先日,裁判官にはどうしても上級審で破棄されることを恐れる精神構造があるのではと書きました。万一そのようなことでは,無難な認定・判決を書くのが普通になり,必ずしも真実を明らかにする,本当に世の中に必要な問題解決が実現されない恐れがあるというのが,私も危惧するところです。
先年亡くなられた,刑法学の大家であり元最高裁判事(在任:昭和49年~58年)の団藤重光博士が,大変示唆的なことを述べられているので,ここで紹介しておきたいと思います(裁判官だけでなく,法律学者についても言及されていますが,問題意識は共通だと思います)。
「(今の法律学者は)みんな根本問題を考えようとしない。ごくごく表面的な解釈論ばかりで。解釈論もなきゃならないけどね,腹の底から出る解釈でなきゃならない。アタマのなかの解釈論ばっかりやっているから。」「(「役所やら各方面に配慮しすぎるということでしょうか。」との問に対し」)そうかもしれない。物事は平面的にみてはいけない。動いている,自分たちが責任をもって動かしていると自覚して行動しないといけない。」「(当時の最高裁判事の態度として)もう保守専念で,今まで通りの考え方を後生大事に守っていく。判例を新しくしていくことにみんな慎重すぎる。」「波を起こさないとだめですね。動かさないと。沈滞していますから。滞っている。今の日本も沈滞しているけど,その象徴みたいなのが当時の最高裁でね。」「判例は動いていくものですから。ファクターになるのは裁判官ですよね。裁判官が判例通りの判決を出すことで頭がいっぱいではだめです。」(『反骨のコツ』朝日新聞社・平成19年(262~264頁))。
裁判所に持ち込まれる紛争には,通常の話し合いで片が付かなかったもの,従来の枠組みでは一方当事者に極めて酷な結果がもたらされるもの,従来の常識のままでよいのかと異を唱える人物が問題提起をするもの等が少なくありません。そのような問題に直面して,真に必要な救済を実現し,立法や行政,市民社会を動かしていくのが司法の根本的な存在意義でしょうから,団藤先生のお話はその点からしても非常に重いものがあると思われます。
なお,専門分野は異なりますが,105歳まで現役医師として活躍された日野原重明博士が,その最後の著書で訴えられたことの要点が,①迷ったときは遠くを見ること,②他者のために貢献すること,③keep pn going(進み続けること)だったとうかがいました。この日野原先生のメッセージも,団藤先生のご主張と根本は通じるものがあるように思い,非常に興味深いものです。
同年代の知の巨人からのメッセージを,後に続く私たちは深く受け止める責任があるでしょう。