交通事故や法律の話題からは外れますが,先日,センター試験の「ムーミン」と「ビッケ」の出題が,正確な知識に基づくとは言い難いと書きましたことから,ふと「知性とは何だろうか?」「果たして今のわれわれに十分な知性があるといえるだろうか?」と考えたのです。
原典に少し当たれば,あるいはその方面の専門家に確認すれば容易にわかる程度の知識なのに,そこを誤り,あのような出題をして,しかも自らが用意した正解を押し通したと言われても仕方のない入試センターの態度に,(本来高度なものを有すべき)知性があるだろうかとさえ思ってしまうのです。
「知性」とは,例えば大辞林の定義では「① 物事を考え,理解し,判断する能力。人間の知的能力。② 感覚によって得られた素材を整理・統一して,新しい認識を形成する精神のはたらき。」とされています。②の方がより高度なものであるといえましょうか。
私も偉そうなことは全くいえませんが,「知性」(特に②の意味で)を備えた人間たるには,少なくとも,㋐先人が積み上げてきた業績への敬意,㋑自分と異なる立場に対する理解・配慮が必要であると思います。また,㋒高度で奥深い知識の本質を易しく説明する能力も重要なファクターではないかと思います。
そのような観点から,私が高い知性を感じる書物はいくつかあるのですが,その点についてはまた機会があれば書かせていただきたいと思います(最近話題の『君たちはどう生きるか』も,そのような意味で私が高い知性を感じる書物の一つです。)。
このように考えますと,先日の大学入試センターの態度につきましては,遺憾の意を表せざるを得ません。文学者への敬意があれば,「ムーミン」,「ビッケ」の「舞台」を「フィンランド」,「ノルウェー」と決めつけて,それを唯一の正解と押し通すことができるのでしょうか?