われわれにおける芸術は、他所におけると同じく、われわれの国民文化の最高最貴なるものの表現である。それゆえ、これを理解せんがためには、儒教哲学の諸相、仏教精神が時々に掲示したさまざまの理想、つぎつぎに国民性の旗をかかげてきた大いなる政治上の循環、愛国的思想の中に映る詩の光芒と英雄的人物の影の反映、大衆の慟哭と、ならびに民族の哄笑の狂的とも見える陽気さの反響などを、一通り検討しなければならない。
岡倉天心『東洋の理想』
われわれにおける芸術は、他所におけると同じく、われわれの国民文化の最高最貴なるものの表現である。それゆえ、これを理解せんがためには、儒教哲学の諸相、仏教精神が時々に掲示したさまざまの理想、つぎつぎに国民性の旗をかかげてきた大いなる政治上の循環、愛国的思想の中に映る詩の光芒と英雄的人物の影の反映、大衆の慟哭と、ならびに民族の哄笑の狂的とも見える陽気さの反響などを、一通り検討しなければならない。
岡倉天心『東洋の理想』
岡倉氏は、躊躇することなく、こう答えます。日本に集まり、日本の芸術の中に自由な生き生きとした表現を得ているものは、大陸アジアの文化である、と。そしてこのアジア文化は、氏の説によれば、これを中国の学問とインドの宗教とに大別できるものであります。氏にとっては、氏の国の芸術の特徴的な要素を真に形づくっているものは、その装飾的、工芸的特色ではなくて、そのことによって日本の芸術がヨーロッパに知られることは今までほとんどなかったところの、理想の偉大な生命なのであります。数輪の梅花の図ではなくして、「竜」を生む強大な意想。花鳥ではなくして、「死」の崇拝。それがどんなに美しくとも、一片の些々たる写実ではなくして、人間の心の及び得るかぎりにあるもっとも壮大な主題ーーおのれをかえりみず他を救おうと念ずる仏の悲願ーーの壮大な解釈。こうしたものが日本の芸術の意義であります。
岡倉天心『東洋の理想』