彼(フロム)は、死の本能、生の本能という「二元性は、死の本能が最後に勝利をおさめるまでたえず戦う生物学的な二つの本能の二元性ではなく、生命を保存したいという一次的で、もっとも根本的な生命の傾向と、この目標に失敗したときに生ずるその矛盾(生命の否定)とのあいだの二元性である」と考えた。つまり死の本能は、生の本能が成長しなければしないだけ成長し、それにとって代わる悪性の現象である。それゆえ、死の本能は精神病理学が扱うもので、フロイトの見解のように正常な生物学では扱えないものである。生の本能が一次的な潜勢力(ポテンシャル)で、死の本能は二次的な潜勢力である。適当な温度や湿度で与えられれば種子が生育するように、生に適当な条件が与えられれば愛生的な傾向が発達し、与えられなければ愛死的な傾向が発達するとフロムは考えた。
安田一朗『フロム』