知識においては真実を見、意志においては善を実践し、感情においては美を感ずる。
学校の教育が特化しているのは知識-真実のものの見方を養うことであるが、人の心意識を相手にする立場に立つことになれば、それだけでは不十分だ。
人間の認識の目的が規則性の発見にあり、適意と結び付くというのならば、科学者の研究に対する愉悦はもっぱらそうしたものなのだろう。
科学者がそうした主知主義的な立場を取るならば、芸術家は善に関する愉悦を主意主義的に考えなければならぬ。
〈悟性-認識能力-合目的性-知識〉の見方にはとどまらぬ。
主意的なものの見方を養わなければ。
〈理性-欲求能力-合目的性-意志-善〉という系列におけるものの見方。
この見方がクリエイションには必要だ。
芸術は究極宗教に至ると言うように、主意的な世界は宗教が最も物語っている。
仏教におけるそれを学びたい!