私の【表】プロフィール | 【心躍る心理学】女子率96%の高校出身者が語る、心屋流でパートナーと心と体で結ばれる自分になる秘訣◇恋愛・セクシャリティ◇京都 東京

【心躍る心理学】女子率96%の高校出身者が語る、心屋流でパートナーと心と体で結ばれる自分になる秘訣◇恋愛・セクシャリティ◇京都 東京

中学はブラバン、高校は共学一期生。ハーレムと思われる女子社会をサバイブしつつ、彼女の自殺や友人との死別を経験しつつ、
ダメな自分を受け入れていった心屋式リセットカウンセラー兼選曲屋の
基本ゆるくてタマにアツーく何かを語るブログ。

私は京都市内で、

呉服業界で悉皆業をする父と

(悉皆=しっかい:反物から着物をしつらえるまでのプロデューサー)

会社勤めをする母の元に生まれました。


◆幼少期

2歳ごろには一部の漢字が読めたり、

魚の骨を出せるなど、

周りよりも少し成長スピードは早い子どもだったと

聞いています。


一人っ子であったこともあり、

やりたい事は基本的にさせてもらえる環境ではあったものの、

基本は節制を心がけ、大きな買い物は現金でする、という

典型的な京都人の家庭でした。

私が小学校の頃、家に帰ってきたら

当時出たばかりの40インチ超のハイビジョンTVが

家にあったりしました。


一人っ子だからこそ、「甘やかすとこの子のためにならない」と

躾は非常に厳しく、

箸の持ち方、挨拶などの礼儀・マナーに関わる事は勿論、

小学校の宿題も字が汚ければ全て消される、といった事が

数多くありました。


習い事に関しても、

習いたい、と言ったものに関しては、

基本辞めさせては貰えない、という

環境でした。


ピアノも4歳から習っていましたが、

受験勉強にとりかかる14歳までは

継続させられていました。

私がタンスに隠れても引き釣り出されて

行かされていました。



◆小学生

小学校低学年の頃までは、

何故か人気者でしたが、

3年生の初めてのクラス替えで、

何かうまくいかない事があり、

その後は妙に目立ってしまう人でした。

恐らく、目立つのに「目立ったらいかん」

と思っているもので、

何か問題を起こしたりして、

目立ってしまっていました(笑)



◆中学生

中学で、人生初めての英断をします。

それは、小学校で続けていたサッカーを捨てて

吹奏楽部に入部すること。

当時、吹奏楽部は上回生に男性が居ない環境でしたが、

やりたい気持ちを素直に信じて入部、

部長まで務める事になりますが、

中学校3年の夏頃までは上手くまとめられない状況でした。

女性を味方につけるっていうのが難しかったんですよね。

夏の大きな大会の前に、ずっと続く状況に心が折れてしまって、

顧問の先生に「もう辞める」というところまで言った所、

顧問の先生が大激怒。

私に、ではなくて、

私の同級生に、ですよ。


思えば、自分一人で解決しないといけない、という意識を

強く持っていたように思います。


この頃に父が病気を患い、

入退院を繰り返す事になりました。

当初目指していた高校へは行かず、

結果的に母の母校に入学することとなりました。

そして、そこもまた、

上回生は女子しかいない学校、

つまり、

共学の1期生として入学することになりました。


◆高校生

高校の時の記憶は、正直あまりありません。

それは、特進コースの学業と併せて

部活を3つ(空手・ワンゲル・軽音楽部)掛け持ちし、

生徒会や行事の実行委員会に入り、

禁止されていたアルバイト(しかも超絶厳しい板前寿司)をしながら

ボランティアをし、

恋愛もする(傍から見れば女遊びでしょうけれど)

という

状況だったからです。

その頃の状況を同級生は

「アナイくんはドラッグをやっていると思っていた」

と同窓会で語ってくれたんですが、

そこまで多忙になった理由は、裏プロフィールに書きますね。


しかしながら、評定平均4.3に

ボランティアの活動成果が認められ、

立命館大学にAO入試で合格することができました。



◆大学生

大学に入ると、

バンドとお酒とそれなりに勉強という感じで

一晩に野郎4人で50缶位を消費する位の飲み会を

延々やっていました。

恋愛の新陳代謝も大学1年の夏の大失恋で

不眠症と食事ができない位の状況となり、

収まりました。

学業は、

一番人気のゼミに1枚で良いレポートを7枚提出し、

(しかも締切時間ギリギリなので受け取らざるを得ない)

希望のゼミに入ることができ、

ゼミ長を経験させていただきました。

一橋大・福島大・中央大を京都に招いての

合同発表会を企画したり、

軽音楽部の月例ライブや定期演奏会に出させて頂いたりと

充実したキャンパスライフを送らせて頂きました。


併せて、京都広告塾の21期生として

広告表現や企画の立案を学んでいました。

当時から業界のトップ中のトップの方の話を聞き、

ワークをこなし、夜はお酒を飲む。

そんな学校に半年間ほど在籍しておりました。



就職活動は2007年の団塊の世代の退職問題で間口が広く、

色々とチャンスはあったのですが、

結局一番最初に内定を出してくれた会社に

入社することとなりました。




◆社会人

社会人として、これまで2社経験しています。


1社目は採用広告の営業を4年、

2社目は体外診断用医薬品のMRを3年半勤めました。


どちらも人格者の方が多くいらっしゃり、

助けて頂いて続けることができていましたが、

明確な転機が訪れ、2014年末で退社。


その後、ご縁がありマスターコースを受講することになり、

そこでの影響から選曲とカウンセリングを主軸とした活動を

現在行っています。



裏プロフィールでは、

なぜ、心屋塾のマスターコースを受けるに至ったのか、

カウンセリングをすることにしたのか、

その主な要因や、過去の出来事について、

お伝えします。