生と死と | NYA

NYA

NYAにゃあ


ふとみた動画が何日経っても私の心から去らない。

それは障害者夫婦が自分たちの世話をさせるために子供を産んだという話。
産まれてきた子供は、産まれてきてよかったとこの先思えるようになりたい、と呟いていた。

ヤングケアラーの人生とは一体。
私も祖父や祖母をみてきた。
壮絶な介護。殺人が起きるのも分かる。

真面目な文章を書いているのに、電車の目の前に座っている人が笑うことを耐え忍んでいる顔をしている。そんな顔を見ると幸せになる。
込み上げる笑顔を押し殺す、なんて幸せなことだろう。


Twitterではなくて、Xのお気に入りを読み返した。2020年のお気に入りたちは、私が20歳の時保存したもので、あの頃はモラトリアムだった。

私は今何も考えていなくて、だから心を打つ何かに出会うと、思考が停止してしまう。

産まれてきてよかったな、考えたことない。
私は私の意思とは別に産み落とされた。

卵子凍結のための準備をしているところのため、いかに子供を自然に産むことが心も懐ともに素晴らしいことか、実感している。

自然に家族ができるものだと、呆然と思っていたのだ。

職場の25歳のおうち大好きっ子に、あっという間に三十路になるぞ!私みたいになるぞ!ってプレッシャーをかけている。


世の中には、漠然とした幸せの道筋があって、そこから外れるとどうしても、心が落ち着かなくなる。
私は20代前半でそのレールからは外れてしまった。

恐るものはなんだろう。
死は決して恐るものではない。
けど今それを目の前にしたら、私より私のことを悲しむ人がいるから、いやかな。


彼が産まれてよかったと思える経験がいつかできますように。