3日前から、大麻事件に揺れる

日本大学アメリカンフットボール部(フェニックス)の

廃部という処分に対して、撤回の署名活動をしています。

 

もしかすると、多くの日本大学の学生さんたちは、

アメフト部のことなんか気にしていないかも知れません。

迷惑をかけやがって、とか、なくなってしまえ、という

気持ちを持っている人もいるかも知れません。

 

でも少し一緒に考えて欲しいのです。

 

 

この活動を始めてみたらわかったことがあります。

本当に多くの人が、日大フェニックスの存続を望んでいるということです。

たった3日あまりで、25000の署名が集まっています。

 

その事実は、日本大学や、その学生にとって、

誇らしいことだと思うんですね。

 

それでも、この署名に関して、

「そんな活動はまちがいだ」と決めつける人もいらっしゃいます。

人間はみんなそれぞれであって、それぞれの正義感を持っています。

 

その中身がちがうと、こういうことになるんですね。

 

これは非常に面白い現象だと思うんです。

人間というエゴの塊による珍現象です。

 

ここで確固たる事実をお伝えしますが、

そもそもこういうことに正解などないんです。

この試みが正解か、間違いかがわかるのは5年後、10年後、

いや、もっと先のことでしょう。

 

その処分が廃部であろうと、存続であろうと、

その中身に関わらず、今、日大フェニックスにいる学生たちが

将来、家庭を持ち、お子さんが産まれ、

その子を育てていくときなどに、きっとこの裁定の影響はでるでしょう。

 

このことから何を学び取るのか、何を学びたいのかということが、

その後の日本の未来にも影響するということです。

 

そしてこのことは、アメフト部だけでなく、

その他の一般学生の皆さんとも関わっているのです。

それがわかるでしょうか。

 

 

未来のことは誰にもわかりません。

前回の参議院選挙の時、その選挙が終わる段階で、

安倍晋三元総理が亡くなっていると選挙前に予想した人はいますか?

 

今年の春のフットボールシーズンが始まる前、

その秋にフェニックスがいないことや、

その後、廃部の危機になることを予想した人はいますか?

 

未来は誰にもわからないのです。

それが厳然たる事実です。誰も否定できないはずです。

 

二度と戻せない時間の流れの中で、

今を生きることしかできない我々には、

常に「可能性」に対する意志と決断と実行力が問われているだけです。

 

今、やれるベストを尽くすことしかできないということです。

では何が結果としてベストなのか。それさえ、誰にもわからない。

だから信じたことをやるしかないのです。

 

 

世間では、3人の逮捕者が出たから、

日大フェニックスを「犯罪者集団」と呼ぶ、という人がいます。

 

そういうメンタリティは、

構造を理解できていないことから生まれると私は思っています。

 

フェニックスのような学生のチームは、

それぞれのちがう立場の人間が集まってできています。

 

学生は学校側の人間ではないです。部長などは学校側です。

そのように、立場はそれぞれにちがっていて、

チームは一枚岩の存在ではないわけです。

コーチから見たチームと、学生から見たチームと、

学校側からみたチームはそれぞれにちがいます。

 

それを暴力団のような「犯罪組織」と呼ぶことがいかにナンセンスか、

理解できる人間になっていただきたいです。

 

例えば、コーチたちや学校側が学生に大麻を吸わせていたなら

それは犯罪組織かも知れない。

しかし、組織の中にいる一員が、

その組織の存在目的とは異なる行為を行なった場合、

(フェニックスの存在目的はフットボールで日本一を目指すことですね)

その組織全体を「犯罪組織」というのはちがいます。

 

犯罪組織とは、「犯罪を行うことを目的として存在しているもの」だからです。

 

いま、ガバナンスは重要だと言われています。

確かにそのとりです。否定はしません。

しかし、社会がそれに対して過剰にヒステリックになるとき、

誤った判断や行動をしてしまう場合もあると思うのですね。

 

そういう視点でみたとき、

今回の日本大学の「廃部」という決断はどんな効果を学生にもたらすのか。

それだけが重要なのです。

 

究極的に言えば、世間は関係がない。

フェニックスに残された学生たちがいちばん重要なのです。

 

そしてそこの部分は、一般学生の皆さんにも大いに関係があるのです。

アメフト部以外の日大の学生にとっても、それは同じことだからです。

例えばあなたが所属するサークルの中で問題が起きたとき、

この学校はあなたにどんな対応をするのか。

 

そういう目で今回のことを見なければいけないのです。

日本大学がフェニックスに対してどのような裁定をするかは、
君たちの学校が、君たち、学生の未来をどう捉えているかを表しているのです。
 

だって、フェニックスの中の、大麻とは無関係に頑張っていた学生は、

犯罪という意味において、あなた方、他の日大の一般学生と

まったく変わらないのですから。

 

是非、皆さんもフェニックスを守って下さい。

同じことがあなたに起きたとき、フェニックスのメンバーは

きっとあなたを守ろうとするはずです。

 

フットボールとはそういうスポーツだからです。

 

 

アメフトがなくなっても、学生は勉強すればいい、

などという持論を展開する人もいらっしゃるようです。

 

それは端的に言って、ナンセンス極まりないことです。

人間には多様性が必要であって、

人間らしい文化的な生活を営むには芸術や音楽やスポーツも同等に重要であって、

その領域で才能を伸ばす若者も必要なのです。

 

勉強はもちろん学校の最も大切な目的ですが、

それだけやっていればいいとはなっていません。

人間力は勉強だけで身に付くものではないからです。

 

人を、あるいは教育、学校、大学の存在意義を

たったひとつのモノサシだけで測ろうとすることは正しいとは言えない。

そのことは、OECDが策定した

「学びの羅針盤・ラーニングコンパス2030」を見ても明らかなことです。

 

人間はコミュニティの中で、他者と関わりながら成長するのです。

フットボールチームはまちがいなくコミュニティです。

学びの場なのです。

そういうものをこの世から消滅させて、トクなことはひとつもありません。

 

 

フェニックスにこだわらなくとも、

そんなにフットボールがやりたいなら、よそのチームでやればいい。

そんな意見を言う人もいます。

 

人はそれぞれに「こだわり」を持って生きています。

その重要性は、ときに経済合理性なども超越することがあります。

その「こだわり」が自分のそれとちがうからといって、

他者にそれを押し付けたり、他者から奪っていいということはありません。

 

そのことを私は311のあとの原発事故から学びました。

あの震災・原発事故のときに、福島県の沿岸部の、生まれ育った故郷から

突然、無理やり避難させられた人に対して、

「よその場所で生きればいい」と簡単にいう人は多かった。

 

なぜ無理に危険な福島に戻るのか、とか、

そんな人たちのために税金を使うなという意見さえ聞こえました。

 

しかし、人間は「心」で生きている生き物です。

生まれ育った場所から離れたくないという気持ちがある人に、

まったく無関係な他者が「よそで生きろ」というのは

甚だ成立しにくいことだと私は思うのですが、あなたならどうでしょうか?

 

常に「逆だったらどうか」「自分だったらどうか」と考えるべきです。

 

今、フェニックスの若者に「こうすべきだ」という人は、

自分がそういう生き方をちゃんとしているのでしょうか。

そういう生き方をしてこられたのでしょうか。

 

私はちがう気がしています。

 

だって、もしそうだとしたら、

今の日本はもっとまともな社会になっている気がするからです。

 

他者にばかり完璧を求めるより、自分のことを気にすべきでしょう。

 

日大の学生の皆さんには、

そんな世間の風評ではなく、フェニックスの学生たちは

あなたと同じ「日大生なのだ」という視点から、

仲間として見守ってあげて欲しいのです。

 

いろいろな考えがあるのは、もちろん否定しません。

ただ、一緒に考えて欲しい。

大人が決めた判断だから、仕方がないというのも、おかしい。

 

つい先日、コロナ禍によって中止になった

2020年の夏の甲子園に出場予定だったメンバーに声をかけ、

甲子園で実際にプレーする「あの夏を取り戻せ」

というアクションが実行されました。

 

アクションの初動の当初から少し気にしてみていましたが、

発起人はあの年に高校3年生だった球児の一人です。

しかも本人は甲子園の切符を手にしていたわけではなかった。

 

そんな彼が、一生懸命動いた。

そして11月29日、そのプロジェクトは実現しました。

 

若い人たちには、「本気でやれば未来は変えられる」ということを

忘れないで欲しいのです。

あなた方こそが、この国の、そして人類の未来だからです。

 

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