エントロピー増大の法則を知ってから、

私はすべての価値観が変わったと自覚しています。

 

ある種の達観。

 

物事を主観ではなく、

自分より遥かに高い視座から見下ろす客観性によって、

あらゆることを「事象」として捉えることです。

 

例えば「苦しい」ではなく、「自分が苦しがっているようだ」

「大変だ!」ではなく「トラブルが起きたようだ」

のように、主観ではなく、客観で、

人間社会に起こる現象として物事を捉えるわけです。

 

この視座は、中々に面白いものです。

なにしろ、大概のことは「まぁ、そんなこともあるわな」と

気に留めないようにできるのですから。

 

それがエントロピー増大則を理解することの

最大の利点でしょう。

 

 

ところで、熱力学の第二法則であるエントロピー増大則は、

この世のすべての事象に当てはめることができる

万能の法則であるということが最大の魅力です。

 

例えば最近、企業では「パーパス」が大流行ですが、

それだって、結局はエントロピーの話なのです。

 

エントロピー増大則というのは、

世の中にあるものはすべて、秩序のある状態から、

秩序のない状態へと変化する、というものです。

 

人のグループなども、最初は盛り上がっていていいけれど、

次第に冷めていって、最終的には散り散りになります。

 

それに抗うには、「初心を忘れないこと」の徹底が必要です。

結局、パーパスというのは、

人の集団である組織が散逸していく流れを食い止めるために、

組織の中に「初心」のような低エントロピー源をつくる作業なのです。

 

みんなの注意があっちこっちにバラバラになっているものを

ひとつの方向に向けて、増大したエントロピーを捨てるわけですね。

 

やっていることの本質は、そういうことです。

 

 

今、アメフトの日大フェニックスが、大きなピンチに陥っています。

学生による薬物の不祥事が原因です。

 

私は、この事件も、組織のエントロピー増大で説明できると

最近は考えています。

 

この件についての、現状での私の意見を書いておきます。

現時点ではあくまでも推論です。

それはあの「タックル事件」が起きていなければ、

(厳密には、あのタックルを「事件」にしなければ)

今回の不祥事も起きていなかっただろう、ということです。

 

以下にその理由を書いていきますが、

タックル事件の知識が2018年の段階で止まっている人には

ちょっと信じられない内容かも知れません。

 

冷静に、偏見の眼鏡を外して、読み進めてください。

 

 

まず、前提ですが、あのタックル事件において、

内田元監督と、井上元コーチによる「反則指示」はありませんでした。

それは警察の捜査でもハッキリしています。

学連や第三者委員会の判断基準となった学生たちの証言は、

嘘だったことが明らかになっています。

 

あの事件は、悪質な反則指示ではなく、

コーチと選手の言葉の認識の乖離が原因でした。

簡単に言えば「勘違い」です。

 

当時の日大フェニックスは27年ぶりの学生日本一に返り咲き、

さぁ、これから再び王者の組織文化を作り始めよう、

というタイミングでした。

 

そんな矢先に起きたあの事件は、

世間が思っているような謀略ではないので、

監督やコーチ、そしてチームにとっては「突然起こった悲劇」、

まさに晴天の霹靂でした。

 

多くの人が理解していないようでしたが、

あの2017年の「日本一のフェニックス」を作り上げたのは

他でもない内田正人監督だったということが、

今の私にはハッキリとわかります。

 

学生を大切にし、自分で考えさせる人間教育を旨としていた内田氏は、

世間からはその真逆のように解釈されています。

しかし、実際のところ、あのチームを真ん中で繋ぎ止めていたのは

間違いなく内田正人氏だったのです。

 

実はそれほど大きな出来事ではなかったあの件を、

結果的に「事件」までに大きくしたのは、

内田氏の存在を快く思っていなかった一部の人々だったようです。

 

フェニックスが低迷した2000年代初頭、

篠竹幹夫氏からフェニックスの監督を引き継いだ内田正人氏は、

チームを再建するためには、

旧来の日大フェニックスの文化だけでは対応できないと考えていたので、

外部からのコーチを複数名起用しました。

そういうことが気に食わなかったのかも知れません。

 

つまり、あの出来事を利用して

「内田降ろし」をしたかった人たちがいたんですね。

 

世間はそんなことは知りませんから、彼らの示した流れにのっかって、

日大フェニックスに猛烈な逆風を浴びせかけました。

・・・かくして、内田降ろしは成功しました。

 

 

問題はそのあとでした。

 

多くの人には想像もできていなかったことに、

当時のフェニックスというチームをひとつに結び付けていたのは

実は内田氏だったわけです。

 

その結び目の役割をしていた人物がいなくなってしまったことで、

フェニックスは糸の切れた凧のような状態になってしまいました。

 

監督を引き継いだ立命館出身の橋詰氏は

チームを甲子園ボウルにまで導きましたが、

そもそも内田氏によって土台が造られていたチームですから、

ゼロスタートだったわけではありません。

 

そして橋詰さんが任期満了になると、

日大OBだけによる首脳陣が組織されました。

 

結局、あの事件の結果、何が起きたのかと言えば、

一時的に橋詰体制を挟んだ上で、

内田氏を降ろし、外部コーチを排除し、

日大純血に戻したということなんですね。

 

当初から、これが狙いだったのかは、わかりません。

しかし、現実として起きたのは、そういうことでした。

 

 

私が言いたいことが見えてきたでしょうか?

組織というものは、時間が過ぎたり、人数が増えたりすると

エントロピーが増大して、バラバラになっていきます。

 

長い期間、大きな組織のモラルやモチベーションを保つには、

エントロピー増大を抑止する、なんらかの低エントロピー源が必要なのです。

 

それはチームのフィロソフィーであったり、

カリスマ監督の存在だったりします。

 

そして当時のフェニックスにとって、

紛れもなくそれは内田正人監督だったということです。

 

もし2017年に日本一になったフェニックスが、

あの事件が起こらずに2018年シーズンを全うしていたら、

年を追うごとにチームのモラルは上がり、

リクルートも好循環になり、

より素晴らしい意識の集団に変化していったことでしょう。

 

不祥事が引き起こすことの意味を一人ひとりが理解し、

人としても王者の名に恥じないようにという文化が

構築されていった可能性は高いと思います。

 

しかし、事件は起きてしまいました。

あの事件が起きた背景には、長年果たせずにいたチャンピオンに、

実際になったことによる「驕り」や「緩み」があったのだと思います。

 

だからこそ、関学戦に向けて、

選手の内面のモラルを高めていく必要もあった。

そのことが誤った方向に出てしまったのが、

あの「タックル」だったのでしょう。

 

内田氏がフェニックスの監督になったのは2003年です。

それから15年の間に、あのようなプレーをする選手はいませんでした。

それは、コーチ、監督の指導を

誤って受け止める選手がいなかったことを意味します。

 

しかし、あの事件によって、

厳密に言えばあの事件をきっかけに内田氏を排除したことによって、

日大フェニックスは低エントロピー源を失い、

モラルも含めてバラバラになってしまったのでしょう。

 

そういうことが、今の私には見えています。

多くの人が、そうとは知らずに抜き去った一本の釘が、

実はその建物全体の要だった。

 

そんなことです。

 

そして恐らく今でも、

そういうことに気づいていない人がほとんどでしょう。

 

人間は思い込みをする生き物です。

偏見を持ち、人にレッテルを貼る生き物です。

そのことを顕著に教えてくれるのが、日大タックル事件なのです。

 

反則タックルをした当該選手も思い込みをしていたし、

メディアも世間も、内田・井上両氏に対して思い込みをしていた。

 

人間の不完全性を示す、なんと象徴的で、

悲しき出来事なのだろうと、私は思っています。

 

あのとき個人のエゴによって内田氏を排除してしまった人たちが、

少しでもそのことに関心を寄せてくれたら、と、

いつも思っています。