本日、「沖縄の米軍基地を東京へ引き取る党」の
zoom勉強会に参加しました。

いろいろ考えさせられたので、
忘れないようにここに書き残しておきます。
自分なりに考えた感想のシェアです。

ご興味ある方のみ、お読みください。

今日の勉強会のタイトルは、

「基地が沖縄にもたらしたもの――辺野古集落を事例に」

というもので、
書籍「辺野古入門」の著書である熊本博之さんを
講師に迎えて、辺野古について様々な角度から
お話を伺うことができました。

中でも今日は辺野古の地元の方の意見というものが、たくさん紹介されました。

基地に対する思いはそれぞれで、
そこに暮らしがある以上、受け入れなければならないこともわかるし、
部外者が反対運動なんかをするときに、
微妙な気持ちになることも理解できます。

ただ、その感情をリアルに聞くと、
やはり複雑な気持ちでした。


このような当事者と非当事者のズレという現象は、
東北の震災のときも被災地とボランティアの間で同じようなことが起こりましたが、
これは人間社会の性であろうかと思います。

当事者と非当事者の間のズレは絶対に発生するし、
永遠になくならないでしょう。

人間って、感情があって、
しかもそれがシンプルじゃないですから。

けれど、思うんですね。
人間のコミュニケーションというのは
送り手と受け手の共同作業ですが、
いつもフォーカスされるのは送り手ばかりです。

でも、本当に必要なのは、実は受け手のスキルです。
社会を構成するに当たって、
より寛容で、心理的安全性の高い社会にするなら、
受け手が「人間」という現象を理解し、受け入れなければなりません。

もちろん地域の問題に関して、
他所者は細心の注意が必要なのはわかるけど、
かといって、地元の人の意見だけが絶対に正しいわけでもないし、
他所者が考えたり参加してはいけない理由もない。ただし、冷笑でなければ。

私はそう思います。

重要なのは、自分が受け手の側になったときはどうするのかを、
みんなが考えておくことだと思います。

私たちは誰だって、いつ大地震が来て「被災者」になるかわからないし、
援助を受ける側になる可能性はいつでもあります。

そうなったときに、ちゃんと人のお節介を受け入れるスキルを持っていなければならないと思います。

みんなが、です。

それが助け合う社会だと思うからです。
とかく「助ける側」の話ばかりが取り上げられますが、両方の立場はフラットでなければなりません。

もちろん、差別がある場合は、それを解消しなければなりません。

震災を通じた活動の経験から私が思ったのはそんなことです。

沖縄の実情を知ることはとても大切だけれど、
それと同じくらい「人間とはどんな現象なのか」を知ることも大事だと思うんですね。

我々は沖縄のことを知らないけれど、
だから知る努力が必要なのだけれど、
どんな人にも言えることとして、
実は他人のことは沖縄に限らず、
誰のことも知らないのです。

他者に関心を持つチカラがないのです。

それが根源的な問題なのだと思ってます。


それは、一人ひとりの個人だけが悪いのではありません。

例えば、なぜガーシーは当選したのか。

有権者がアホだから?
いえいえ、ちがいます。

なぜそのような有権者が生まれたのか、が重要です。
人間は社会という器の中で生きていますから、
器からの影響から逃れられません。

私は、ガーシーへの投票行動は、
今の社会へのルサンチマンや、諦めや、
破壊衝動、あるいは破滅的な冷笑主義の
表出したものだと感じるのです。

もちろん、その原因は今の人間に不寛容な社会が生み出したものだと思ってます。
そういう視座が必要なのだと思うんですね。

どうでしょうか。


はっきりいえば、絶対の正解はどこにも存在しません。
まずは、その事実を受け入れることが
すべての初めの一歩なのではないでしょうか。

他者を自分の思い通りにすることはできません。
そして人間は複雑怪奇な生き物です。
それこそ、手がつけられないくらいに。

でも、例えば沖縄の基地に関することで言うなら、
ただひとつ確実に言えることは、
「沖縄に基地がなければ、基地の議論そのものが存在しなかった」ということです。

社会に不要なものを作ってしまうと、そこに必要が生まれてしまいます。
そしてそれを解消できなくなります。

そういう法則を理解しなければなりません。

そして、表層的な見解に拘泥せず、
ものごとの本質的な意義を考えるくせをつける必要があります。

例えば、基地や原発の本質的な意義のひとつは「社会の分断製造機」ということです。

基地は戦争のためにあるのではなく、原発は発電のためにあるのではなく、
我々の社会を分断するために存在しているのです。

客観的にみて、そうですよね?

課題の解決のためには、
基地や原発の問題がいちばん嫌がることをやらなければなりません。

それは分断を破壊することです。
それが「対話」なんですね。

我々は!対話するしかないのです。


しかしながら、いちど起きてしまった分断を解消することは難しいです。
だからこそ重要なのは、ゼロをイチにしてはいけないということ。

人間は時の流れの中で必ず変化し、適応します。それを完全に避けることはできません。
生まれる前から基地があった人の多くは、その環境の中で適応して暮らします。

そして余計な変化を嫌います。これは誰でも同じですよね。

原発もまったく同じ性質の問題です。

深く未来を考えず、やみくもに便利に走ってはいけないのです。
そろそろ人類も、学ぶといいのですが。


では、もうすでにイチになってしまった場合はどうするのか。

その場合、我々は今できることをただ頑張るしかないのです。
そのとき、効果や結果を早計に求めてはいけません。
例えそれに効果があまり見えなくても、努力をつづけない限り、世の中はさらに猛スピードで悪くなっていくからです。

その努力とは、分断に抗うことであって、そのために必要なのは、やはり「対話」しかないと思っています。
とても時間がかかりますけどね。
でも、それしかない。

大事なのは知ろうとすること。興味関心を持つこと。自分の頭で考えること。正解を求めないこと。
そして、対話すること。

そういうことを感じました。

今まだゼロのものをイチにするときは、細心の注意が必要だということをお忘れなく。

まとまりがないですが、人間社会の難しさを痛感したお話でした。

大いに学びになりました。
ありがとうございました。