これから書くことは、あくまでも私個人の意見です。

しかし、もし可能なら、一緒に考えていただければ、と思い、

共有を試みる次第です。

 

それは、日本や人類の未来のお話です。

いやぁ、楽しそうな話題でしょう?

 

では、いきます。

 

 

私は今までもMMT、現代貨幣理論について、発信をしてきました。

それは、自国通貨建ての国債の発行は、国の借金ではなく、

通貨供給なので、それが原因で財政破綻することはない、という意見です。

(変動相場制・国家運営の安定した先進国である、という条件がつきます)

 

私は、この理論に賛成しています。

しかし、この理論が提示するいちばん大きなものは、

「貨幣観」なんですね。

お金の意味が、時代とともに変化しているなんて、あまり想像できません。

 

でも、実際に変化しているんですね。

だから「現代貨幣理論」という名前なんです。

 

そしてその貨幣観とは、「お金は使っても消えない」ということです。

なぜならお金はモノではなくて、目に見えない「約束」だからです。

 

お金にとっていちばん重要なことは、

それが「お金だ」ということを、みんなが意識共有していることですね。

その「お金像」は時代によって進化しました。

 

昔は金などの金属だったものがやがて紙になり、

今では外形を持たないデジタルの数字になった。

つまりお金は「意味」だけになったわけです。

 

ではそのお金の「意味」とは何か?と言えば、

その数字分の価値の約束だと、私は解釈しています。

約束はいくらだってしていいですよね?

 

でも限界はあります。

それは「約束を守れる範囲で」ということ。

 

それが新しい、しかも正しい現代の貨幣観です。

だから、これに基づいた財政のあり方というのは、

お金を「もの」だと思っていた常識からは変更すべきなんですね。

 

日本はお金を物理的な「もの」だと思い込んでいたから、

30年もの間、経済政策を間違え、経済成長できなかったのです。

 

 

私は上記のような考え方を基本的に持っています。

それが最近よく議論されるようになった積極財政論ですが、

でも、忘れてはいけません。

 

それはあくまでも「貨幣観」とか、経済の認識であって、

では、貨幣や経済とは一体なんなのか?という議論が、

その外側というか、根っこというか、土台の部分に存在しています。

 

経済とは、人間が文明を創出していく上で編み出した

ひとつのシステムですね。

 

そうです。お金も経済も、自然物ではなくて、どこまでいっても、

人間が決めただけのもので、想像や妄想なのだ、ということです。

 

恐らく様々な取引のやり方が試された中で、

「お金を媒介にする」というやり方が生まれ、

会社ができ、今のような資本主義という仕組みが

作り上げられたいったわけです。

 

しかし、それは

この地球を宇宙から見たときに国境が見えないのと同じように、

この地球という星や大宇宙とはまったく関係の無いものであって、

絶対的な存在なわけでもない、というのが、

厳然たる事実なのですね。

 

 

さて、話のレイヤーを変えて、気候危機の話をします。

SDGsという観点でもいいのですが、実はSDGsは気候危機と

密接につながっています。

 

気候危機がどうして生まれたのか?という原因を掘り下げていくと、

その根っこにあるものが別の様々な問題を発生させていて、

それらを個別に言葉に言い表したのがSDGsなのですね。

 

気候変動を解決できるとしたら、SDGsの17の項目は解決できているでしょう。

 

で、残念ながら気候変動の引き金となる
地球温暖化が発生した原因は人間活動であって、
それは人間が呼吸するとCO2を吐き出すという意味の人間活動ではなくて、
すなわち人間の経済活動と、その在り方だったわけです。

 

ここでは端的に、今までの「成長資本主義」と言っておきます。
(ソ連の社会主義だって貨幣経済という意味では同じですけどね)

 

今の我々の経済活動・成長資本主義は、

エネルギー消費活動とイコールで結ばれていて、

そのエネルギー源が「化石燃料」であることに、大きな問題があるわけです。

 

今、時代は地質学上「人新世」と呼ばれるような、

人間の活動が地球そのものの在り方を変えてしまう状況になっている。

 

もちろん大量の化石燃料を燃やすことでCO2を発生させていることが

地球の大気のバランスを狂わせ、

その結果、地球上の水の移動のあり方が急激に変わっていくことが

気候危機の大きな要素な訳ですが、

では、エネルギーを化石燃料から再生可能エネルギーに変えればいいのか?

それですべてが解決するのか?というと、そういうことでもないのですね。

 

それはどういうことでしょうか。

 

 

成長資本主義の問題は、大量の化石燃料を燃やしつづけるとか、

森林を破壊したり、水を大量に消費するといった

物理的な側面だけではありません。

 

その方式は「お金」という富をめぐるって、

人間自身を、マーケットの中の一要素として扱うことによって、

人の心を引き裂き、社会を分断していくという、副作用を持っているのです。

 

SDGsの、気候変動以外の16の問題は、

この「副作用」によっておきていると言ってもいいでしょう。

 

つまり、成長資本主義は、地球という有限な環境を食い尽くすだけでなく、

人間の内面も食い尽くして、社会の健全性を保てなくしていく

という状況になっているのですね。

 

だからこそ今、世界中で「資本主義の見直し」が叫ばれているわけです。

私はこのことに同意します。

 

諸外国では、ポストコロナに向けて「Build Back Better」という

言葉が叫ばれています。

これは、コロナを機会にして、今まで存在した様々な問題を一気に解決し、

コロナ前よりもいい社会にしよう、という意味です。

 

それはエネルギーをグリーン化しよう、ということだけではなく、

人間の心のキャパシティと、社会のあり方の乖離を戻し

人間性を復元しようという意味を含んでいるのです。

 

そのためのひとつの方向性として「脱成長」という価値観さえもが

提唱されている、ということですね。

 

 

資本主義はグリーンニューディールに向かうというベクトルは、

欧州ではまちがいなく明確化されていますし、

それは世界に確実に広がるでしょう。

 

しかし、先ほども書いたように、エネルギーを再生可能エネルギーに変えれば、

それで問題がすべて解決するのか?と言えばちがう。

 

今、我々は、CO2の問題を解決するだけでなく、

そこはかとなく感じる「なんのために生きているのか」という

無気力感や閉塞感を打破し、今までとはちがうものとしての

「生きる意味」や「豊かさ」の定義を迫られているのですね。

 

それは新自由主義的な完全利己的なあり方によって生じた

ささくれだった人間の心をトリートメントしていく、というベクトルであって、

利他的で、思いやりを持った社会の構築という方向です。

 

それは「Well Being」が注目されたり、瞑想が注目されたりするように、

「今のあり方」とどうバランスをとっていくか、という試行錯誤の先に、

お金で買えるものではない、

人間を大切にするという価値観が尊ばれなければいけない、という

社会を構築すべきだという流れでしょう。

 

それは、今の経済偏重の価値観では理解不能なものです。

今までとはちがう価値観ですから、そこへのトライは試行錯誤です。

 

今はそれが繰り返されているというフェーズということですね。

 

どうしてそういう流れになるのかと言えば、

グリーンニューディールよりも、もっと外側にある上限があるからですね。

 

それが熱力学の法則、エントロピー増大の法則なのです。

 

 

熱力学の2つの法則は、この大宇宙を支配し、

誰も抗うことのできない法則です。

 

ひとつはエネルギー保存の法則。

もうひとつが、エントロピー増大の法則です。

 

ここでは詳細は避けますが、簡単に言えば、

この宇宙のすべての現象は、「まだ使えるエネルギー」を使い、

「もう使えないエネルギー」に変換していくことだ、ということです。

 

人間は、この地球という星にドリルを突き立て、様々な資源を掘り返しては、

燃やしたり、何か別のものに作り変えたりしているわけですが、

それは究極的に言えば1度しかできないことで、不可逆なんですね。

 

テクノロジーが進化していますから、ペットボトルをリサイクルして、

もういちどペットボトルにする技術はあります。

ジーパンをもういちどジーパンにすることもできます。

 

しかし、そのリサイクルの機械はどうやって作るのか。

リサイクルするためのエネルギーはどうやって工面するのか。

再生エネルギーだったとして、では、自然のエネルギーから発電する機械は

どうやって作るのか。それは未来永劫使えるのか。

 

宇宙的な視点から考えると、そういうふうに捉えるべきなんですね。

 

そうすると、すべては有限であって、

人間がいろいろ頑張って活動すればするほど、

最後の日が来るのが早まるだけなんですね。

 

これは、誰も抗えない、科学的な事実であって、

その視点は、気候変動や地球温暖化を考えていく先に、

どうしても普通に出てきてしまう課題なのです。

 

では、どうすればいいのか?

そこが問題になるわけです。

 

 

どうすればいいのか?

そう問いたくなりますよね。

 

その答えは「ない」んですよ。

 

人がいつか必ず死ぬのに、毎日生きていて、

では、どうすればいいのか?と問うているのと同じことです。

 

我々は限りある「死ぬ日」までの間に、必死に生き、

その日が来るのをできるだけ遠ざけながら、1日1日を有意義に、

心豊かに暮らすしかないのです。

 

我々にできることって、それだけなんですよね。

それが現実です。

 

人類も地球も、必ず終わりが来ます。

恐らく、地球の終わりより早く人類の終わりは来ると思いますが、

その日をできるだけ遠ざける努力は必要だと、私は思います。

(もちろん、ここはいろんな意見があるでしょう)

 

まだ生まれていない未来の世代が生まれ、彼らが生き生きと幸せに暮らせるように、

できるだけ地球環境を変化させずに引き渡す。

もちろん、私自身も生き生きと幸せに暮らしながら。

 

これしかないわけです。できることは。

 

一言で言ってしまえば、我々のテーマは人類の延命だ、ということです。

 

甚だ哲学的に聞こえるでしょうが、それが事実なのです。

 

先ほど「人新世」と言いましたが、

人類の力は、今や、数千年、数万年かけて起きて来た地球環境の変化を

わずか数十年で起こせるほど、大きくなっているのです。

ということは、このままでいけば、

人類の最後の日が来るまでの時間もどんどん短くなっている。

時間を進める速さがどんどん速くなって行っているのですね。

 

我々は一人一人、別の人格を持った、別の人間だと思い込んでいます。

でも、エネルギー保存の法則に従えば、

我々は地球という巨大な有機体の一部でしかないのです。

 

地球という天体が持っている物質の総量は変化しませんから。

我々一人一人も、地球とうい天体を構成する物質の一部なのです。

石とか、海の水とかと変わらないのですね。

 

地球を人間に例えるなら、我々はその肌から生えている

毛のようなものです。

その毛が意識を持っているから、自分は地球の上に住んでいる

地球とは別の存在だと思い込んでいるだけなんですね。

 

実は、私もあなたも、地球の一部なのです。

これが事実なのですよ。

 

まずはそういう視座にたって、お金や、経済について

国境や戦争やエネルギーについても。

見つめ直してみるべきだと思うんですね。

 

我々は一体何をやっているのか?と。

 

私は、ファンタジーの話をしているのではありません。

それが事実なんですよ。

 

真っ黒い宇宙に浮かぶ青い地球を見ながら、

「消費税」と言ってみてください。

笑えて来ませんか?

 

無駄なことと言っているのではありません。

すべては我々次第で変えられることだし、それほど大問題ではない。

我々がその気になれば、です。

 

地球の存在にも、人類の存在にも、あらかじめ意味などないのです。

すべては偶然の現象です。

 

でもだからこそ、意味は我々次第で作ることができる。

限りある地球の上で、限りある命をかけて、

今、という時間を懸命に生きるからこそ、そこに意味が生まれる。

 

私はそう思っています。

 

そう考えられる人が増えれば、奇跡は起こるでしょう。