先日、私の身近な人の中で、相次いで「地球の温暖化」に関して、

実は懐疑的である、という意見をいう人がいました。

 

一人は以前からそのような意見だとわかっている人で、

もう一人は、今までその件について語り合ったことのない人でした。

 

私はそのような場合、相手を否定することはしません。

気候変動に対してどのような意見を持っていても

決して他者の人権を傷つけるわけではありませんし、

お互いが別の意見を持ちながらも、

それぞれの立場から議論できる方が健全だと思うからです。

(私はネット上での不毛な議論はしませんが)

 

私も「温暖化懐疑論」があることはずっと前から知っているし、

それがどのようなものであるかも把握しているつもりです。

 

1:地球温暖化そのものが起きていない、とするもの、

2:温暖化は起きているが、人間の活動に起因したものではない、とするもの、

3:温暖化も起きているし、人間の活動が原因だが、CO2ではない、とするもの、

という3つに分類されるでしょう。

 

「温暖化懐疑論者」の行動の傾向にも大きく二つあって、

「温暖化は嘘である」と結論づけたあとも情報を調べ、更新しつづけている人と、

自分なりにそう結論づけた後は、一切情報を調べない人です。

 

このような傾向は何も温暖化懐疑論に限ったことではなく、

健康情報とか、ワイドショーのネタとか、科学情報など、

おおよそどんな分野にもあることで、

私は特に後者のような態度は様々な意味で「マズい」と思っています。

 

 

温暖化に懐疑的である、という意見を相次いで聞いたわけですが、

今回はその根拠は二人とも1でした。

私は念のため、もう一度温暖化議論の現況を調べました。

科学者ではないのでネットによる調査に過ぎませんが、

例えば「温暖化は嘘」論の論拠になりやすい

「クライメートゲート事件」に対する見解がその後また変化しているのか?とか、

温暖化を否定する新たな科学的根拠が出ているのか、など。

 

私が調べたところでは、ネット上の「懐疑論」は日付が古いものがほとんどで、

最近では懐疑論だった人も温暖化は起きていて、それは人間の活動に起因している、

というところまでは認めているケースが多いことがわかりました。

 

私自身は科学者ではないので、自分で研究しているわけではありません。

なので、世の中に存在している情報から判断するしかないわけですが、

次の3つの要素から「現状の意見」を「仮の結論づけ」として出すようにしています。

 

○更新された科学的な意見

○リスクの可能性

○自分の想像力

 

今回に関しては「やはり温暖化は起きている」

「それは人に起因している」「人類に今できることとしてCO2削減は必要」

ということで、私は「現状の意見」とすることにしました。

 

「温暖化説は嘘かも知れない」ということと、

もし嘘ではなかった場合に想定されるリスクを天秤にかけた場合、

やはり完全に嘘だとわかるまでは対策すべきと思いますし、

「陰謀論」がどんな風に生まれるのかという経緯を考えると

温暖化がエコ商品を売るために捏造されている、というのは考えにくいからです。

 

陰謀論は、だいたいの場合、

起きてしまった事実をうまく利用して利益に転じさせた存在が、後日談的に

「こいつらがこのために仕組んだのでは?」と見えることから発生しています。

 

しかし、普通に考えれば温暖化そのものは産業界にとってマイナス要因でしかなくて

それに対応した商品を開発するのにどれほどの開発費がかかるかを考えると

自ら進んで仕組むようなものではないとわかると思うんですよね。

 

温暖化予想は1970年代から言われていましたからね。

 

それに、地球温暖化説が本当かどうかがわかるのは、

100年後の未来ではありません。数年内なのだと思います。

(徐々に答えが出るので、もう始まっていますが)

つまり、もうすぐ回答がわかるものについて、

科学者たちがわざわざ嘘を言うことの必然性がないように私は感じています。

懐疑論者に対して科学者たちは「とにかく科学的なデータを見てくれ」

「専門家の意見を聞いてくれ」という態度をとっているようです。

あとは「気が済まない」という人の心の問題でしょうかね。
これも侮れない部分なのですが。

 

 

なんにせよ、今回のことで非常に思ったのは、情報を更新することの大切さです。

それぞれが結論づけをすることは構わないと思いますが、

「以上、おしまい!」と蓋をしてしまうと正しい判断ができなくなってしまいます。

 

情報を更新した結果、違うと思ったなら、
フレキシブルに意見を変えられることが重要です。

 

これはコロナについても同じですよね。

 

新型コロナウイルスはこうである!と結論づけるのはまだまだ早くて、

最初に比べたらたくさんのことがわかるようになったけど、

まだまだこれから何が起こるかわからないわけです。

 

だからどんな局面になっても「最終結論」とは思わずに

議論をつづける必要があるんですね。

 

地球温暖化も、時が過ぎればどんどんハッキリしていきます。

それまでには見えなかった条件がどんどん見えるようになってくるからです。

それは同時に事態が悪化していっているという意味なので、

どう見てもマズいという場合に行動できるようにするためには、

やはり早めに準備を進める必要がある。これがリスク管理というものだと思います。

 

コロナも同じですね。

 

コロナは症状が出ない状態で感染させる力がある、と言う点が、

これまで人類が慣れ親しんできた感染症とはちがった部分だったわけで、

それまでは「今までの経験から類推される対処法」をとっていました。

 

時間が経って、研究と経験から、どんどん新事実が判明されてくるわけですが、

「変異」という要素があるために、

これからもイタチごっこはしばらく続くのだと思います。


楽観論の中にはインフルエンザと比べる人も多いですが、
インフルエンザのためにロックダウンしたり

緊急事態宣言を出したことはないですね。

今のコロナの「たいしたことない」数字は、
ここまでみんなで意識してウイルス対策をして出している数字なのであって、
コロナ対策によってインフルエンザの罹患数が減っていることも
よくわかる話ですよね。
その気になれば元々インフルエンザはここまで減らせたということです。
 

ともあれ、我々に必要なのは、そのような「不確定性」を認めた上で、

思考を展開することですし、そのためには安易に結論づけたり、

議論をやめないことだと思います。

 

絶対的な正解はないのですから。

 

すべての意見は「現状の最新」であって、将来的に置き換わる可能性があるのです。