オリンピック開催の是非について、

アスリートに発言を迫ろうとする世論があるようです。

 

水泳の池江璃花子選手がそれについて「苦しい」という心中を公にしたり、

陸上の新谷仁美選手が「人として開催すべきでない」

というスタンスを表明しています。

 

今のネット上の情勢だと、

「オリンピックは中止すべき」と発言したアスリートが正しく、

そう発言しないアスリートがまちがっているかのような

同調圧力が働きかけていることに危機感を感じています。

 

 

私はこのオリンピックについて招致の段階から反対していたので、

コロナのあるなしにかかわらず、態度としては「開催に反対」です。

 

もちろん、今ではそこに「コロナ」という条件も加わり、

開催されないことの必然性ばかりが際立っていると感じます。

 

私の意見はそうです。

なので、中止になって欲しいし、そのように世論が動いて欲しいですが、

当事者であるアスリートに対して、

SNSを通じて直接的に発言を強いるようなプレッシャーをかけるのは

果たしてどうなのだろうか。

 

世の中にはスポーツに興味がない人がいます。

部活なんてなくなってしまえばいい、という人もいます。

 

そういう人は、自分が体育の時間が嫌いだったり、

それなのに無理に運動をさせられた経験から、

スポーツや体育会、アスリートを毛嫌いしている傾向があります。

 

もちろん、それは自由です。

けれども、スポーツが好きな人もいるし、

部活でたくさんのことを学んだ人も現実にいる。

 

人が何から何を学ぶかはそれぞれなのであって、学びのチャンスを

偏った意見によって奪うことは、ダイバーシティに反しています。

 

スポーツが嫌いだからと言って、オリンピックをアスリートの自己満足と言ったり、

だから無くなってしまえばいい、などと考えるのは、圧倒的にまちがっています。

 

ダイバーシティは「多様性を許していく」方向であるはずです。

 

 

コロナによってたくさんのイベントが中止になりました。

去年、高三と中三だった私の子どもたちは、

それぞれの最終学年を、ほぼ何もできずに終わりました。

 

みんな中止になって我慢したのだから、オリンピックアスリートも我慢しろ、

というマイナスの引っ張り合いはまったく不毛です。

 

それぞれがオリンピックにいくら反対してもいいし、

私も開催には反対だけれど、そこにスポーツに対する憎悪や、

アスリートに対する偏見を混ぜるべきではない。

 

アスリートは、オリンピック開催の可否に関してのいちばんの被害者であるはずです。

だって、オリンピックが開催されなくてもほとんどの人の暮らしには関係がありませんが、

アスリートはガチのど真ん中です。

 

私が言いたいのは、そういう人の心中を配慮する気持ちは持つべきだ、

というだけです。

 

池江選手の発言と、新谷選手の発言。

どちらが正しい、などという評価をくだすべきではありません。

人はそれぞれなのです。

気持ちをはっきりさせられる人もいれば、

モヤモヤなままなすすべない人もいる。

 

そうですよね?

 

それなのに、他者にはハッキリすることを求めるのはフェアではありません。

すべての人は不完全です。

不完全な人間が、他者にだけが「完全」を求めてはいけないのです。

 

何度も言いますが、私はオリンピック開催には反対だし、

最終的には開催されないだろうと考えています。

 

理由は、オリンピック後に衆議院選挙を控えた自民党にとって、

オリンピックはマイナス要因になる可能性のほうが高く、

あまりにもリスクが大きすぎるからです。

 

開催してたくさんの感染者が出ることより、

ギリギリで中止の「英断」をして、やっていたら感染が増えたかどうか、

有耶無耶の闇の中にしてしまう方が、今の世論の中ではリスクが少ない。

 

自民党は選挙のことしか考えていませんから。

 

今のオリンピックの開催計画は机上の空論にしか見えませんし、

オリンピックを開催してしまった以上、その後の各種イベントへの対応や

医療体制の整備は大変なことになってしまいます。

 

「オリンピックでやれて、国民にはやれないのか?」という世論に

対抗するのはかなり困難だからです。

 

私はそう睨んでします。

 

自民党政権は、コロナを「できるだけ何もせずにやりすごしたい」と考えています。

そのためにはオリンピックは危険すぎるアイテムですからね。

きっと中止になります。しかもギリギリに。

あまり早く決めると、もしもコロナが下火になってしまった時に

「やれたんじゃねぇの?」という世論が出てきますから。

 

朝6時の天候判断で運動会中止の決定をしたら、

後から晴れてきて文句ブーブーなんてことは、経験ありますよね?

 

そういうのも避けたいから、できるだけギリギリになって「中止」にする。

私が自民党の人間ならそうしますね。

 

 

話が逸れましたが、私が言いたいことは、

「もっと人の気持ちも察しようよ」ということです。

 

反対運動はいくらしてもいいと思うし、

仲間を増やそうとすることもまちがっていません。

 

けれど、「アスリートも反対すべきだ!」というのはおかしい。

自分はそう思う、と空に向かって言うだけならまだいいけれど、

SNSで本人に向けてぶつけるべきじゃない。

 

アスリートにとって、開催されるかどうかわからない

それでも世界最高峰の大会であるオリンピックに対して

準備を続けなければいけない気持ちというのは、

なかなか過酷なものがあるはずです。

 

せめて「アスリートも可哀想に」と心中を察してあげるくらいの優しさが、

同じ日本人同士に対して持てなくて、

みんなで力を合わせなければならないコロナ禍なんて乗り切れるはずないでしょう。

 

私は社会から「おもいやり」が消え失せていく様に危機感を持ちます。

お互いを敵視しているような社会では、人はどんどん生きにくくなってしまいます。

 

政府、東京都、JOC、IOC、

いろんな「おかしな連中」がいるけれど、

せめてアスリートに牙を剥くのはやめてあげてほしい。

 

彼らは何か悪いことをしたわけではないのだから。