昨日書いた投稿の中で「情報リテラシー」ということにちょっと触れたので、
今日はそれについて。
まず、私は現代の日本人は「バカ」だと思っています。
こう言われると反論してくる人がいるのもわかるし、
そこにパターンが存在していることもわかります。
「日本人にもいろいろいるのだから、
一括りにするな」というのがメインかな、と思われます。
あとは「お前も日本人だろう」とか、
「そんなに嫌なら日本から出て行ってください」とか、
差別的な思考の人になると「在日」などと言ってきますね。
まぁ、どう言われても構いません。
それらすべてが、「日本人がバカである」ことの証拠ですので。
もちろん「私だけはちがう」などと思っていません。
概論としてものを語るとき、「そう言う人が多くて問題だ」と言うとき、
「○○人は」という表現をするものなのです。人類は。
それを受け入れられないとしたら、
それもまた精神の幼稚さを露呈している、ということです。
※
こういったエクスキューズに時間をかけたくないので、先に進めましょう。
どのように「バカなのか?」ということの端的な例が、
情報リテラシー、もしくはメディアリテラシーの低さです。
それはどういうことか、というと、日本人はとにかく右へ倣えの性質が強い。
テレビで言っていたから、新聞にそう書いてあったから。
誰かがこれがいいと言っていたから。
そんな理由で情報を丸呑みして鵜呑みにする思考停止の性質のことを
「情報リテラシーが低い」といいます。
事実、日本人は情報に弱く、騙されやすいですよね。
そういう例がこの国の歴史の中にはたくさん詰まっています。
戦後、GHQがこの国に足を踏み入れたとき、
この国の精神レベルは12歳だ、と言いましたが、それは今も変わらないでしょう。
いや、この30年で、もっと下がっているんじゃないでしょうか。
逆に情報リテラシーが高い、とは、どういうことか、と言うと、
与えられた情報に対して、それを鵜呑みにせず、どう言う立場のどう言う人の発言なのか?とか、
その狙いはなんなのか?とか、そういうことを自分で考え、情報を俯瞰から吟味して
総合的に判断する力を持っていることです。
それは主に政治家などの権力者が「洗脳」をしようとすることに抗うためにある概念です。
なぜそんなことが必要か?と言えば、
我々人類は、歴史に残る二度の愚かな世界大戦をしてしまったことを反省し、
二度とそんなことを起こさないために何が必要かを考えたんですね。
その瞬間に自分の耳に心地い事だけを妄信してしまったせいで、
取り返しのつかない愚かな結末に至ってしまったことをいつも忘れず、
自分たちの思考力がいかに脆弱なものであるかを自覚しようと。
世界各国は、日本人からみると考えられないほど、
ちゃんとあの戦争を振り返って、何がいけなかったのかを考え、
同じ道を繰り返さないように教育しているのです。
その中のひとつには情報リテラシーを高める教育もあって、
権力者がまちがったことをしようとしたら市民がそれを正せるように、
そういう意識をいつも持ってやってきているんですよね。
※
日本の戦後教育は、確かに「平和教育」ではありました。
そこは評価されるべきですが、原発の安全神話と同じで、
「事故は起きない!」という宗教のもとに、もしもに備える対策をしてこなかったのと同様、
戦争そのものに完全に蓋をしてしまって、
「もう二度としないのから、戦争の件はもういいんです!」と向き合うことを放棄してしまった。
だから、「何がいけなかったのか?」ということを
ちゃんと体系立てて整理して伝承していくことが欠落してしまったんですね。
もう二度と戦争をしないために、
戦争について考えることをすべて捨ててしまったんです。
そして「楽しいこと」「現生の喜び」だけに執着した。
その証拠に、日本のテレビ番組の内容のくだらなさ、
タレントのゴシップ記事の多さは世界屈指です。
そんな毎日を積み重ねつづけた結果何が起きたかと言えば、
社会全体から「中身」がなくなり、
現実をみつめる誠実な態度が失われたんですね。
※
先ほども言ったように、戦争のあと、欧米はとにかく教育をしました。
権力を信じないように。メディアを信じないように。
市民から信じてもらえるために、とにかくメディアは権力を監視した。
これを「ジャーナリズム」と言います。
権力者が自ら「暴走したときは我々を抑えなさい」という態度をとる。
これが民主国家のあるべき姿ですが、日本はそうならなかったんですね。
権力者は自分の権力の座に固執し、それをただ失わないことを目的にしてしまったし、
国民はそういった類のことを気にすることそのものを
「怪しいこと」と位置付けて排除してしまった。
それほど日本人はバカで騙しやすい連中なのです。
そしてこの状況は恐ろしい悪循環を生んでいます。
権力者たちは、国民には情報を受け入れ冷静に分析する能力がない(と思っている)から、
正しい情報を与えるとパニックになり、
コントロール不能になることを恐れるわけです。
だから情報を開示せずに内々に問題を解決してしまおうと考える。
情報を与えられない国民は余計にパニックに陥りやすい体質になり、
さらに情報を開示しにくくなっていく。
でも、だいたいの問題は、秘密裏には解決できなくて、
あとからどんどんボロが出てしまうわけです。
そんなこと、枚挙に遑がないですよね。
この負のサイクルで、不都合なことや自分の頭で考える必要があることを退けつづけたため、
ついには環境大臣が「プラスチックの原料は、なんと石油なんです!」みたいな
馬鹿げたことを言うようになる。
首都のトップが都民に話しかけるとき、
「おうちにいましょう!」と幼児に話しかけるような感じで伝えるようになる。
もうこの国の幼稚度は末期としか思えないわけですが、
彼らがそんな態度になるのは、我々がパニックに陥る、
もしくは陥るだろうと思わせていることが原因で、
それこそが情報リテラシーの低さだ、というわけですね。
権力者は我々をバカなままにしたいけど、
バカであることに手を焼いている、というアベコベ状態です。
※
我々はどこかで、この悪循環を終わりにしないといけません。
欧米が正しいなんて、これっぽっちも思いませんが、
欧米の政治家が、日本人のそれよりは「知的」に見えるのは、
何も英語や他言語でしゃべっているからではありません。
内容のレベルが全然ちがうのです。
「若い人が政治について考えないのはいいことだ」という大臣が
偉そうな顔をしてのさばっているのを、どうにもできない国に
民主主義国家としての未来は、ないに決まっています。
「プラスチックは石油でできています」なんて、
大臣のいう言葉ではない。あってはならない。
この国は、一億総幼稚園児扱いをされているのです。
メディアが言っていることは、ほとんどがテキトーな嘘です。
なぜなら、彼らも資本主義社会の一営利企業に成り下がっているので、
金を稼ぐために、自分たちの都合の良いことを伝えているだけなのです。
そういうものなのだ、という前提を持った上で、
観たり、読んだりできない人は、情報リテラシーが永遠に改善されないので、
テレビを捨て、新聞を捨てた方がいい。もちろん、ネットもです。
それらは、真実を伝えるものではなく、
単なる社会のコマのひとつに過ぎないのです。
情報は、決して心を動かさず、俯瞰して管理する。
情報そのものを信じるのではなく、そこから何を洞察すべきかを考える。
とにかく考えることです。
考えるのをやめたとき、
あなたは、あなた自身の人生を他者に委ねることになるのです。