最近、本当に強く思うことがあるのです。

それは、この日本が抱える「世代」に関する問題です。

 

人は若いうちは体力があり、

年老いると体力が落ちるという宿命を背負っています。

ですから、老人というのは「弱い人」という立場にいます。

 

もちろん、体力的には弱いのです。

 

しかし、社会的に見るとどうか、という課題から

我々は目を逸らしてはいけないんですよね。

 

私はここで、敢えて提言したいと思います。

この日本では「若者こそが弱者なのだ」ということを。

 

 

もちろん、人はそれぞれですので、世代だけで語るのは

甚だ乱暴だある、ということは理解しています。

その上で、建設的な議論をしたいのですが、

まず、今の後期高齢者と呼ばれる方々は、いわゆる「団塊の世代」という人々です。

 

団塊世代は第一次ベビーブーマーとも呼ばれますが、

第二次世界大戦が終わったあと、国に平和が訪れたことによって、

たくさんの子供が生まれたんですね。

 

そう、団塊世代が生まれた理由は、戦争が終わったことと、

その後の戦後復興〜経済的安定への道が広がっていったことです。

逆に言えば、凄惨な世界大戦でもない限り、

もう団塊のようなベビーブームはなかなか起こらないということでもあります。

 

そして、その20数年後、今度は団塊世代が親になって、

その子供たちもたくさん生まれました。

それが団塊ジュニア、第二次ベビーブーマーですね。私もその一人です。

 

今の若者たちには考えられないでしょうが、

私たちが若かった頃、「若者」は非常に大きな力を持っていました。

若者の価値観を取り逃すまいと、企業を始め、社会全体が動いていました。

もちろん、その先駆者は団塊の世代です。

 

なぜだったか?

 

理由はたっひとつです。

「人数が多かったから」ですね。

 

人数が多いということは、

そのまま「マーケット規模が大きい」ということを意味します。

団塊から人気が得られればたくさん売れるし、

団塊ジュニアにはもっと売れるのです。

それが資本主義のルールですね。

 

ところが、今は「少子化の時代」です。

しかも、そのレベルは、国の根幹を揺るがすほどのものになっています。

若者たちは、年齢は若く、体力的には老人より強いですが、

商業的なターゲットとしては人数規模が少ないがために、

この社会全体からしっかりと大切にされたことがなく、注目されてこなかったのです。

 

 

しかし、国の未来というのは「若者」の質が決めます。

これは誰がなんと言おうと変えることのできない事実なはずですね。

 

どんなに年寄りが「若いもんには負けん!」と気張っても、

いつかは死んでしまうし、いつかは必ず世代交代するのです。

 

日本だって、いつかは団塊も、団塊ジュニアも死に、

次の世代の時代は来るのです。

そのとき、日本がどうなっているのかを決めるのは、

「若者たちが、どんな質の人間なのか」ということで決まります。

 

ここで言う「質」とは、どんな暮らしができるのか、とか、

どんな教育を受けているのか、とか、どんな思考、決断、そして行動ができるのか、

というようなことです。

 

そしてそれらは、決して、自分の努力だけで獲得できるものではなく、

若者たちがそうなっていけるように、社会全体が連携しなければいけないのです。

 

つまり、この国の未来のために、実は団塊や団塊ジュニアの役割も大きいのです。

 

 

端的に、一般論として語ると、

今、若者たちはお金を持っていません。

 

貧困になっているのです。

 

世の中は今、「人生100年の時代」などと言っているし、

シニア層は元気で、ある程度、お金も持っていて、

どんどん長生きになっているわけですが、

その現実を尻目に、若者たちは貧困になり、未来に希望を持てず、

経済的にも教育面でも、二極化の分断が広がっているのです。

 

その現実を、我々はちゃんと認識しているのでしょうか。

もし知っていたとして、それはそいつらが悪い、で済ませるのでしょうか。

 

今の若者たちは、我々や、もっと上の世代が過ごしたような

末広がりに見えた世の中を経験したことがありません。

社会全体が楽観的で、あまり切羽詰まっていなかった時代を知りません。

 

だから、怖いし、不安なのです。

そういう若者たちが、この国には本当にたくさんいる。

若者の自死が異様に多いのは、ちゃんと理由があるんですね。

 

それをなんとかできるのは、実は人生の先輩方、

シニアの皆様しかいないのだと私は思っているんですよね。

 

もちろん、全員が全員ではないのはわかっています。

医療費の問題とか、いろいろあります。

シニアでも、経済的に苦しい人は、私の言っていることの限りではないのですが、

少なくとも、人数も多く、よりお金を持っている世代は年齢が高い人たちなのだ、

ということを冷静に認識し、この国がこの後もちゃんと存続しうるためには、

人生の先輩方が、若者たちをちゃんと安心できる社会にする必要がある。

 

そう思っています。

 

若者たちがイキイキしていない国に、未来はありません。

自分が死んだらすべてはおしまいなんだから、

 

自分さえ良ければ良いと思う人もいるでしょう。

けれど、人は時代時代の社会の雰囲気に包まれて生きているのですから、

良い時代を生きた人は、後世にもそれを残す義務があると思うのです。

 

もちろん、すべての人には健康で文化的な最低限度の生活を営む権利があります。

若いころ、苦労してきたのだから、もうラクをしたい、という人も多いでしょう。

けれど、気持ちの上では「御隠居」はせず、

いつまでも他者から必要とされつづけるという生き方も、

なかなか生き甲斐に溢れているのではないかと考えています。

 

 

もちろん、考え方は様々です。

しかし、ひとつだけ、厳然たる事実があると思うんですよね。

 

以前、大西つねきさんのことが話題になりましたが、その賛否にかかわらず、

「未来」というものは、完全に若者たちのものですよ。

 

前の世代からいいものを受け取ったなら、

我々も次の世代にいいものを渡さなければなりません。

もし我々が受け取ったものが、期待したほどいいものではなかったとしても、

やはり次の世代に渡すときには、少しでもマシなものにしてあげたい。

 

団塊ジュニアは、ちょうど社会に出るタイミングが曲がり角でした。

でも、そこまでは明るく生きていましたよね。

 

若者たちのために、社会を良くすること。

人生の先輩方には、そんな大仕事が、まだまだ残っているのです。

もちろん、私自身も、そうしようと思っています。

 

病気になったり、体を壊したりしている場合ではないのです。

「若者のための社会をつくる。」

それに取り組むことこそが、本当の生き甲斐なんじゃないかなと、

私は思っています。