「議論の前提」となるべき私からの提案:

 

相手を負傷させることを目的に、

ホイッスルがなった後、気が抜けているところに

背後からタックルを浴びせる。

 

あのタックルは、

競技中に起こりうる「反則」の域をはるかに超えた、破壊行為である、

という認識を持つべきである、ということ。

 

 

関東学連の処分が出たことで、

日大アメフト問題も沈静化の方向に

向かってくれることを期待します。

 

気になるのは、学連の報道を受けて、

各種メディアが鬼の首を取ったように、

嬉々として内田前監督、井上前コーチ、そして森コーチの処分を

報道していることです。

 

そこで見えたのは、極悪支配者を退治した

善良なるメディアのパワーというような絵でした。

私は吐き気すら催すほどの気持ちで、その様子を見ていました。

 

 

関東学連の今回の裁定の決め手になったのは、

たくさんの人(20人ほどと言っています)の証言であり、

その中でも、試合を見に来ていた複数の観客から、

「宮川は監督の言う通りにやったのだ」という趣旨の発言を

していたことを聞いていた、ということであるようです。

 

そして、複数の証言を総合して

日大コーチ陣の発言は「虚偽である」とし、

彼らは教育者に不向きの人間である、と断定したわけです。

 

それと、井上コーチの

「関学のQBは知り合いじゃないんだろう?」という言葉が、

知り合いにだったら到底できないことをしろ、という命令であるとし、

あの反則行為を指示した、という証拠としています。

 

今日には、試合前日のハドルで、内田監督が

宮川選手を名指しして、「反則してでもQBをつぶせ」と言っていたのを

複数の部員が聞いていた、としています。

 

それでも、私はどこか納得することができなかった。

その理由はどこにあるのかと、昨夜はずっと自問していましいた。

 

 

「言葉って恐ろしい」

 

 

我々が毎日使っている言葉。

 

それは、発せられた言葉そのものだけでなく、

声の調子、勢い、大きさ、

その会話の文脈や前後関係、

そこに至った背景やその場の雰囲気など、

非常にたくさんの要素と掛け合わさって、

人に伝わっていきます。

 

逆に言えば、そういう別のファクターによって

発した側とはまったくちがった意図で受け止められることは

多々ありますよね。

 

例えばその言葉を、文字にした場合、

或いは別の環境で再現した場合などでは、

やはり、ちがったものに聞こえてしまうはずです。

 

「ありがとう」という言葉ひとつとっても、

感謝なのか、嫌味なのか、

ときと場合によって、いろんな解釈をすることが可能です。

 

言葉って、そんなものですから、

独り歩きすると、とても危険なんですよね。

 

 

私が現役だった時代は、1990年から1993年なので、
今から四半世紀も前のことです。

当然、時代は変わっていますから、私は古い部類の人間なのだと思いますが、

私は当時、同期に「他校の人間と、友達になるべきではない」と

話したことがあります。

 

それはなぜか、というと、試合の中の究極の場面が訪れたとき、

つまりそれは、決死の体当たりをしなければならない

というシチュエーションが来た時に、激しくブロックしたり、

激しくタックルすることができるためには、

私情が邪魔になってしまう可能性があるという意味でした。

 

その結果、相手がケガをしたり、

こちらがケガをしたりしてしまう可能性が、ゼロではないからです。

 

フットボールは非常に頭脳的で戦略的なスポーツですが、

その下敷きには、人と人がぶつかり合うという、

非常にプリミティブな格闘要素があり、それを可能にするためには、

まるで戦争のようなファイティングスピリットが求められます。

 

これは、コンタクトスポーツであることによる現実です。

 

逆に言えば、敵味方に分かれて決死の覚悟で戦っていたからこそ、

すべてが終わって引退したあとなどに、

同じ目的、価値観の元に戦いあった相手を

素直に尊敬できるのではないか、と思うのです。

 

友達になるのは、引退してからで充分。

それまでは笑顔で言葉を交わす必要もない。

むしろそのような行為は心の隙を生んで、敗北に繋がる可能性がある

 

本当にそう思っていました。

少なくとも私は。

 

だから、井上コーチの

「相手のQBは知り合いじゃないんだろう?」とか、

「相手に悪いと思ったんだろう?」とか、

そういう言葉が、なぜ発せられたのか、という経緯は

内容としてはとても理解できるのです。

 

そこを超えなければ、到達できない場所があるのも事実、ということです。
それをフットボールを知らない人、あるいはスポーツの世界で、

ギリギリのしのぎを削った経験のない方にご理解いただくのは、

とても難しいことだと思います。

 

 

それでも、私は「正々堂々と戦うこと」は

それらのすべてを超えた「前提」として当たり前だと思っていました。

 

皆、口にしなくとも、そうだったと思います。

もちろん京大、立命館といった対戦相手も、そうだったと信じています。

 

むしろ「真剣勝負」というのはいかなる場合でも

手を抜かないことだと考えていましたし、

それを教えてくれたのは日大フェニックスであったように思います。

 

ですから、「10の力があるのに5で処理する」ということは

心技体を高める上では、あってはならないことだと思うんですね。

 

会見の中で、内田監督は宮川くんのことを

そのように話していました。

 

少年野球でも、サッカー教室でも、剣道の道場でも、

子供たちを指導している人なら、

10ある才能を使い切ろうとしない子というのは経験があると思います。

 

そういう子に、どうやって一皮向けさせるかは、

ある意味、指導者としての腕の見せ所であるはずです。

 

それは、スポーツのみならず、書道やピアノの先生だって、

日々向き合っていることでしょう。

 

今回は、経験ある日大コーチ陣が、その試みに失敗してしまった。

 

起きたのは、そういう出来事なのだと思うのです。

 

 

今回の「ひどいパーソナルファウル」は、決して許されることではありません。

それは間違いのないことです。

 

なぜ許されないのか、というと、競技の範疇を超えた破壊行為だからです。

あれはもはや、フットボールではない。

 

「ホイッスルが鳴り終わったあと、気を緩めている選手に対して、

負傷させることを目的に、背後からタックルする」

 

そして、それはコーチ陣によって計画された組織ぐるみの行為で、

宮川選手に対して実行命令が出された。

その証拠として、コーチ陣はその行為を容認している。

 

それが、世論で問われている「罪」だと思うのです。

ちがうでしょうか?

 

私が、執拗に「そこはちがうのでは?」と訴えているのは、

日大のコーチ陣が、

「関学のQBを負傷させるために、ホイッスルが鳴った後に背後から行け!」

と命令したのか?ということです。

 

そのように命令したのであれば、それは反則指示どころか、計画的犯行です。

 

が、コーチ陣のどの言葉をとっても、

「ホイッスルが鳴った後に行け」とは命令していないのです。

確かに、最新の情報では「反則してでも」という言葉が出ていたようです。

 

そうであったとしても、その言葉を発したときに内田監督が想像したのは、

果たして「あの」プレーだったのでしょうか?

 

私が思うに、やはり内田監督の言葉にある「反則してでも」の「反則」は、

あくまでもスピードを緩める原因となってしまう

「ギリギリのレイトヒット」のことを指していると思うのです。

 

もちろん、「反則」という単語が使われたこの段階で、

宮川くんが「QB破壊ミッションを命じられた」と

解釈するだけの要件はすべて揃っており、

これは「誤解」ではない、と言えると思います。

 

けれど、世間様の印象と、私の意見に乖離があるのは

私は(決していいことだとは思っていませんが)

「相手をケガさせてこい!」というセリフが本当にあったとしても、

よしんば「定期戦がなくなってもいい」というセリフがあったとしても、

「反則してでも」というセリフがあったとしても、

 

「ホイッスルが鳴ったあとにいけ」という命令ではない、ということです。

つまり、具体的に、「あの」プレーをやってこい、とは言っていない。

 

「反則」という言葉で想像したものの範疇を、逸脱しすぎている。

 

繰り返しますが、

あの反則は、常識的なレイトヒットをはるかに超えた、

フットボール競技の中で起こる反則のレベルとはちがう

誰もみたことのない次元の反則なのです。

 

勘違いしないでいただきたいのは、

私は、今更宮川くんを責めたいのではありません。

 

彼が「ホイッスルの後に行く」という手段を選んだのは

「1プレー目で」という条件をつけた、監督たちに責任があります。

 

しかし、彼らを「罪を問う」のであれば

「動機」の検証は絶対に必要で、
その言葉の裏側にあった監督・コーチたちの狙いが

「関学を傷つけるため」だったのか、

「宮川くんを鍛えるため」だったのか、は

関学選手の負傷という結果は同じでも、意味が大きくちがうのです。

 

誤解がちょっと怖いですが、例を出します。

 

いじめっ子が、いじめられっ子に、

「コンビニに行って、コーラを盗んでこい」と命令したとします。

で、いじめられっ子が、それを実行した。

 

そのとき盗ませる理由として、いじめっ子が

「喉が乾いているから、コーラが飲みてぇんだよ」と言っていたか、

「お前の度胸を試すんだよ」と言っていたかで、

動機がちがいますよね。

 

前者は「コーラであること」が重要で、

後者は「盗んでくること」が重要です。

 

この一連の出来事が「宮川くんの闘志を引き出すこと」を

目的にしていたのであれば、

関学に対する殺意から計画し、命令されたものではない、ということです。

 

具体的に言えば、日大・内田監督が、関学の奥野くんの選手生命を

奪いたいと思っていたのかどうか、ということ。

 

メディアや世間が知らず知らずに彼らに押し付けているのは、

つまりそういう問いなのです。

だから、彼らはそれを否定している。

目的はあくまで自軍の選手の精神的成長にあったと。

 

私自身は、その方法についての賛否はどうでもいいのです。

同じ方法をとって伸びる選手もいれば、そうでない選手もいる。

批判されても仕方ない部分があったことは事実でしょう。

 

しかし、同じ言葉を投げかけても、

全員が「あの」プレーをするわけではない以上、

そこには宮川くんなりの解釈があったわけで、

彼がそのように解釈するに至った理由はまさしく、

試合に至るまでのすべてのプロセスにおける、

コーチと選手の間のコミュニケーション不全が原因だった、と言っているのです。

 

その証拠に、現役たちが「改善策」として声明で語っているのは

コーチ陣とのコミュニケーション環境の改善ですよね。

 

結局、この問題は選手とコーチとの間の

コミュニケーショントラブルなわけです。

 

関学の鳥内監督も「選手が何も物が言えない環境がおかしい」と言っている。

これは、コミュニケーションできない環境が

ことの本当の発端であるということに通じています。

 

コミュニケーショントラブルはどんな組織でも起こりうるし、

皆さんが叩いているような、「組織ぐるみの計画的な犯行」ではない。

計画的ではない、ということは、誤って発生してしまった、

本来の意図ではなかった、ということです。

 

 

関東学連の処分はつまり、監督コーチの発言は嘘であり、

彼らは宮川くんに、あのプレーをやれと指示した、としたわけです。

 

関学の選手を壊す計画を立て、

それを実行するために、宮川くんという選手に

「プレー終了後に背後からタックルせよ」と命令した。

 

そういう意味なはずですよね?

 

それはあまりに酷いことなので、歴史上初めて

「除名」という処分にしたわけです。

 

 

いろいろ書いてはいますが、あくまでも、

責任はコーチ陣にあることは、疑う余地がありません。

 

要は「コーチ陣の計画的犯行」を断罪すべきなのか、

「コーチ陣の指導方法のミス」を断罪すべきなのか、ということ。

 

前者なら除名も相応しいですが、

後者であった場合、除名は重すぎるように思うのです。

 

せめて資格停止あたりが妥当かと。

 

選手に暴力を振るっていたとか、そういう問題は、

今回の一件とは別のものとして、

事実であれば断罪されるべきだと思います。

 

少なくとも、コーチの指導に関して

「そこに愛があったか」ということについて、

「愛がなかった」と第三者が決めることはできないのです。

 

その愛情表現が、客観的にどう見えるのかは、別のことです。

 

 

いま、フェニックスに待っているのは、

新しい指導体制の確立と、皆が納得いく形での再発防止策の策定・提示です。

 

そんな課題を要求された代は、

長いフェニックスの歴史の中でも、いちどもないはずです。

 

しかし、このことは、現役達の人生に、

本当に大きな価値ある何かを残すでしょう。

 

秋のシーズンまで時間がありません。

 

フェニックスの現役たちに、

今こそチーム一体となって奮起することを期待し

彼らに心からのエールを贈りたいです。

 

人が一人では生きられないのと同じで、

チームもライバルの存在なしには高いモラルを維持できません。

 

母校・関学ファイターズにも、立ち上がって欲しいです。

 

最後になりますが、
今回の件で、失礼ながらいろいろな方にご意見を伺っています。

その中で、高校時代の先輩で、フェニックスに行かれた方が
語ってくださったある言葉が、深く胸に響いております。

ご本人の了解を得て、紹介させていただきます。

 

<ここから>
 

日大は、勝つためには自分達がいま何をしなければいけないかを

最大限に考えさせられる場所だと思っています。

 

相手がどこでも関係なく自分達の全力を出し切る。

 

今の学生達にもそれは伝わっていると信じています。

 

<引用おわり>

この窮地から、全力で這い上がらんことを。

がんばれ、日大フェニックス!