ここのところ、日大のアメフト問題に関して、

つづけて書かせていただいております。

 

この発信を通じて、いま、ひしひしと感じていることを

書かせていただきます。

 

それは、「偏見や先入観を超えていくことの難しさ」です。

 

 

これまで、私のブログを読んでくださった方はおわかりかと思いますが、

一連の日大のアメフト問題が起きた当初、

私は多くの方と同じように、日大に対してマイナスな印象を持っていました。

 

いえ、私は関学アメフト部のOBなので、

普通の方よりむしろ強く嫌悪感や憤り、悲しい気持ちを感じていたと思います。

 

しかし、転機となったのは、多くの人が「酷い会見だった」と評している

日大・内田前監督と、井上前コーチの会見を見た時でした。

 

私は、彼らの言葉や表情、態度を見ているうちに、

「これは本当のことを言っている」と思ったのです。

 

私は、自分自身が思い込みが激しい人間だと認識していて、

その危険性も常々感じているので、

「自分の考えがまちがっているかも知れない」と

意識的に考えるクセがついているので、

彼らの会見を見ている時、できるだけ素直に聞こうと意識していました。

 

それでもやはり、会見が始まった時は、

「何を今更、言うことがあるんだ」と思っていたし、

内田監督と井上コーチの謝罪の言葉がまるで同じだったことも

「同じことを繰り返すなよ!」と思ったし、

会見が始まると、いきなり質疑応答になったことも、

「なんじゃこの会見は!」と思わず声に出してしまいました。

 

けれど、彼らの話を聞いているうちに、

その苦渋の表情を見ているうちに、

「これは本当だ」と思ったのです。

 

そして、「我々は大変な集団リンチをしている」と思ったのです。

 

そこにいるのは、チームを思い、若者を立派な選手を育てようと努力していた

二人のフットボールコーチであり、彼らにもまた人生があり、

いま、その人生を、我々が集団で踏み潰しているのだ、

という現実が、ありありと見えたのです。

 

私が関学フットボールで学んだことは、

まちがいに気づいたときにはすぐにそれを認め、

正しいと思うことに対して、どんなときにもブレずに、

信念を貫く、ということですから、

たとえそれが相手チームであろうとも、

この集団リンチを終わらせるために動くべきだと思ったのです。

 

 

そういう経緯があるので、私のブログでは、

あくまでも日大のコーチの立場からは、

この一連の出来事はどう見えているのか、ということを、

あくまでも推論の域は出ませんが、世の中に発信しています。

 

しかし、多くの人にとって

「日大アメフト問題」というタイトルを見れば、

そこには「最悪の大学、日大を、どんな言葉で痛烈にこきおろしているのか」

ということが求められていることなのだと思います。

 

そういう「前提」で読み始めてくださった人の心の中に

「そうではないのでは?」という言葉を届けるというのは、本当に大変なことです。

 

嫌いな人の話すことは、なんでも聞く価値のないものだ、

と決めつけてしまうのが人間の脳の仕組みです。

これが「偏見」とか「先入観」というものの正体であって、

そのことが人間社会の難しさの主要因のひとつなのではないか、

とさえ思っています。

 

 

でも、こう考えていただくのもいいと思っています。

 

日大はとんでもない学校だ。

フェニックスは最低のアメフトチームだ。

 

そう思い込んでいる方には、私のブログを読んでも

まったく耳に入らない、心に響かない、という現象があるとしたら、

 

日大の宮川くんは、

「相手のQBを潰さなければ試合に出られない」と思い込んでしまったから、

「キャリアにいけ」と言われても意味がわからなかった、

という現象が起きるのだし、

 

関学陣営は、

「内田監督が反則指示をしたにちがいない」と思い込んだから、

「乖離」は誠実な回答と思えないという現象が起きる。

 

偏見や先入観。

 

どんな人でも多かれ少なかれ持っています。

電車の中で女性が「この人、痴漢です!」と叫んだら、

やっていなくても、周りの人間からは頭ごなしに「犯人」だと思われるでしょう。

 

か弱い女性と、薄汚い男性という印象が、そう感じさせる部分がある。

 

会見に単身で臨んだ宮川くんは、確かに立派でした。

「こんな誠実そうな若者が、嘘をつくはずがない」

そういう印象を、私も持ったし、今も持っています。

けれど、その後に開かれた内田・井上両氏の会見については、

「立派な若者に対して、このオトナたちはなんだ!」という

批判の声しか聞きません。

 

確かに、印象ではそう思えてしまったのかも知れません。

でも、それはイメージだけで捉えてしまってるからではないですか?

 

日大の体質が悪い、という意見もたくさん見ますが、そういう方々は、

「日大の体質」と言えるほど、日大の何を知っているのでしょうか?

 

単なるイメージだけで語ってはいないでしょうか?

マスコミの印象誘導に踊らされてはいないでしょうか?

 

絶対にやってはいけないことは、

「本当にそうなのか?」という目を持たずに、

イメージだけで、感情だけで、思い込みだけで決めつけてしまうことです。

 

それを防ぐ方法があって、それは、その人の気持ちになって考えてみる、

ということだと私は思っています。

 

みんなが「とんでもない極悪人」だと思い込んでいる、

内田正人前監督の気持ちになってみてはいかがでしょうか?

 

井上前コーチの気持ちに。

 

宮川くんは20歳の未来ある若者だ、とみな、言います。

けれど、井上コーチも、30歳の未来ある若者で、

ご家族もいらっしゃることでしょう。

 

私は聞いた話では、井上コーチは選手たちからの信頼も厚く、

宮川選手は高校時代からの教え子であり、

またポジションも同じということもあって、

ことさらに熱い想いをもって指導していたのだろう、ということです。

 

内田監督は、昨年の学生チャンピオンチーム、フェニックスを率いて、

この春の関学戦を大きなベンチマークとして設定し、

秋のシーズンに向けて、チームを前進させようとしていたはずです。

 

しかし、いま、彼はもう監督ではないのです。

本業である大学の常務理事の仕事も、このままでは失うことでしょう。

 

そういうことが、あなたの人生に起きたとき、

もし、世の中が思っているようなことは実際には起きておらず、

後ろめたいこともしていなかったとしたら、

あなたなら、どう思うでしょうか?

 

私はそういうことが、本当に気がかりなのです。

 

文句の言えない人を徹底的に叩き潰す、日本人のバッシングの性質は、

本当にレベルが低いことだと思うし、

そういう「世論」が正しかったことはとても少ないのだと思います。

 

今回のことを機会に、「思い込み」というものを、

もういちど見つめ直してみるのはいかがでしょうか?

 

 

最後になりますが、私は日大の首脳陣に非がないとはまったく思っていません。

反省すべきところはたくさんあったのだと思います。

 

それと、関西学院ファイターズには、

弱っている相手に対し、手を差し伸べる戦士としての心を持っていてほしい。

 

Fight clean and be proud of the victor’s name

 

部歌、Fihght On, Kwansei の中のもっとも好きな一節です。

ピンチをチャンスに変える力こそ、人間力というものです。

Fightersは、日本一になることではなく、

日本一を目指して努力することを通じて、人間力を身につけることを

その存在意義にしているはずです。

 

この出来事が、長い両校の歴史の中で、

結果として絆を深める一因になることを心から望んでいます。