この連休、皆さんはいかがお過ごしだったでしょうか?

連休明けって、なかなか気持ちを上げていくのがむずかしいですよね。

 

そんな人が、私以外にも、

きっとたくさんいらっしゃることでしょう。

 

さて、今日は言葉のドラマについて、お話ししたいです。

ぜひ、お付き合いください。

 

 

この連休が3連休になった理由は、

国民の祝日である2月11日が日曜日と重なり、

12日の月曜日が振替休日になったからでしたよね。

 

では皆さん、その2月11日は、いったい何の日だったか、

覚えていらっしゃいますか?

 

建国記念日?

 

いえいえ、ちがいますよ。

カレンダーをよく確認してみてください。

 

そこには「建国記念の日」とあるはずです。

 

同じじゃないの?と思いましたか?

「建国記念日」と「建国記念の日」。

ちがいは、「の」が入るか入らないかだけのちがいです。

 

しかし、この「の」に込められたドラマがあったのです。

 

 

世界各国に「建国記念日」というのがあります。

その国ができた日、その国が成立した日、など、

その国の起こり方によって、呼び方は様々です。

 

例えば、アメリカは、もともとはイギリスから独立した国ですから、

独立を宣言した日が、建国記念日です。

 

アメリカでは建国=独立なので、それは独立記念日で、

インデペンデンス・デイと呼ばれますね。

ちなみに、7月4日です。

1776年の7月4日にフィラデルフィアで宣言されたので、

NBAのフェラデルフィアのチーム名は、76ersなんですよ。

 

話が逸れましたね。

 

アメリカのように歴史が浅く、人工的に作られた国は、

過去の歴史もはっきりしていますが、日本という国がいつできたのか、

ということになると、はっきりわからない、

というのが本当のところでしょうね。

 

でも、日本には建国記念日、いや

建国記念の日があります。

 

どういうことでしょうか?

ちょっと面白いので調べてみました。

 

 

日本の建国記念日が制定されたのは、

明治6年です。西暦だと1873年。

意外と最近だと思いませんか?

 

これには、理由があります。

ここのところ、明治維新の位置付けを見直す、という観点から、

「天皇の国・日本」という国の成り立ちを決めた多くのルールは、

実は明治時代に作られたものばかりだ、という話をしています。

 

長州にとって、日本を「天皇の神の国」にすることが大命題だったので、

明治に入ってから、「神の国」たる本当にいろんなストーリーを作り上げた。

 

この建国記念日も、そんな中のひとつなのです。

 

 

先ほど、日本で建国記念日が制定されたのは、明治6年だと言いました。

本当はこれは正しくないです。

年がちがうのではなく、記念日の名前の方です。

本当は、「建国記念日」ではなくて、「紀元節(きげんせつ)」という名前で

建国記念日が制定されました。

 

アメリカでは「独立記念日」であるように、日本では「紀元節」だったわけです。

 

では、この紀元節とはなんなのか。

 

明治政府は、日本が天皇(=神)の国であることの根拠を、

神話に求めました。

 

神話です。

 

この神話に出て来る「神武天皇」という人が、

古い書物である、日本書紀と古事記に「初代天皇」だと書いてある。

で、日本書紀にはその即位の日が、

紀元前660年の1月1日(旧暦)だと書いてあるので、

明治政府がこの日を新暦に換算したのですね。

 

そうするとどうやら、2月11日である、ということになり、

2月11日が天皇の国・日本ができた日である、ということで、

「紀元節」という名前の祝日になったのです。

 

ここまで、大丈夫でしょうか?

 

 

もういちどおさらいすると、

日本を天皇の国にするためのいろんな仕掛けを作っていた長州が、

神話の登場人物である初代天皇、神武天皇が即位した日を

新暦に換算し、2月11日という日を割り出して、

その日を紀元節という名前の、日本の建国記念日にした、

ということです。

 

ちなみに、なのですが、この初代天皇の、神武天皇。

日本書紀では127歳まで、古事記では137歳まで生きた、

とされています。

 

そんなこともあって、現在の歴史学の中では、

神武天皇が実在していた、とは考えられていません。

 

まぁ、余談ですが。

 

 

時代が少し流れて、第二次世界大戦の終わった後、

連合軍によって日本は民主化されたわけですが、

そのときに、カルト的な天皇崇拝の原因を取り除くために、

明治時代に決められた紀元節はGHQによって廃止されました。

 

なぜ廃止されたか?といえば、

日本という国家の建国を天皇の成り立ちと重ねており、

しかもそれが「神話」を論拠としていることから、

なんらリアリティのないことと解釈されたからでしょう。

 

しかし、このことに納得のできない人、というのはいたんですね。

 

 

戦後、GHQからの占領政策が終わると、

2月11日の紀元節を建国記念日として

再度、制定すべきという声がなんどもおきます。

 

しかし、天皇盲信によるカルト化の記憶がまだ強かった時代ですから、

その度に、必死に反対する人々がいて、法案は却下されました。

 

法案は9回も出されたにも関わらず、すべて廃案になったそうです。

本当に必死に反対したということがわかりますし、

逆に決めたい方も、諦めずになんども法案を提出した、ということです。

 

それほど2月11日であること、は重要だったわけです。

もちろん、反対の理由は「日本の戦前回帰を恐れた」ということだと思います。

 

 

なんどトライしても実現できない、紀元節の建国記念日化。
そこで、賛成派は妥協案を出します。

「建国記念日」というと、その日が

日本が建国された日だということになってしまう。

けれど『建国記念「の」日』とすることで、

「日本が建国されたことを、ただ祝う日」という解釈になるはずだ、と。

 

日本が今、現実に存在しているのだから、

日本という国が建国されたことだけは確かだと。

そのことを、ただ祝おうじゃないかと。

 

だから、「記念日」ではなく「記念の日」。

ちょっと強引だけど、そういうことになった。

 

では、いつをその日にするのか、ということで、

様々な人から様々な意見が出たそうです。

日本国憲法が施行された5月3日にすべきとか、

サンフランシスコ講和條約が発効した4月28日すべきとか。

それらの特徴は、あくまでも「平和国家としての現代日本の建国」

というイメージであることです。

日本が民主化されたことや、

戦後、新しい日本として一歩を踏み出した日を建国の日にする。

 

ものすごく真っ当な意見だと思います。

 

けれど、結局2月11日に決められてしまいました。

1966年のことです。

めっちゃ最近だと思いませんか?

 

まさか、「建国記念の日」にそんなドラマがあったとは

知りませんでした。

 

では、どうして2月11日に決まったのでしょうね。

そこにはやはり、「日本ができた日は2月11日でなければ困る」と

考えた人がいたからですね。

 

 

9度も廃案になった建国記念の日。

それを最後に決めたのは、いったい誰の時かというと、

佐藤栄作首相のときです。

 

佐藤栄作さんといえば、

安倍晋三さんの祖父、岸信介の弟です。

 

表では非核三原則を提唱しながらも、

裏では核持込みの密約をしていた、という人物ですね。

 

重要なことは、

この人もまた、長州の人だ、ということです。

 

長州の人間たちにとって、

紀元節が日本の建国の日であることは、

ことさら重要なことだ、ということなのですね。

 

非核三原則の話をとってみても、

嘘をつくことを政治の手法だと解釈するのも、

官軍旗を偽造したときからつづく、長州のやり方なのでしょう。

 

安倍晋三首相も、その手法をとっていますね。

 

歴史は、つながっているのだなぁと思います。