「戦争をしたい人など、いるはずがない」

あれは都知事選の前くらいこのとでした。
会社の4つ上の先輩(女性・二人の子持ち)と、ふとしたことから
少し政治的な話になりました。

その人は言いました。

「日本が戦争するってオーバーに騒ぎ過ぎな人がいるけど、
政府の人たちだって必死で戦争が起こらないように
やっているはずなんだから、起こるはずないよね。
だいたい『戦争がしたい人』なんているはずないんだから」

私はそのとき、もう考えていることの次元が違い過ぎて、
まず話が通じないだろうと思いました。
そして、こういう人が「普通の人」なのだろうから、
いったいどこから話せば伝わるのだろう、と思うと
気が遠くなりました。

「戦争をしたい人などいない」という前提。

この前提は、いったいどこから来たのか・・・。
では、いったいなぜ、戦争は起きるのか。起きた戦争は、終わらないのか。

先日の新宿での「憲法フェス」で、最後の方に質疑応答の時間が少しだけあって、
大学生が山本太郎さんに質問していました。

「日本は戦争できる国になって、いったい何をしようとしているのですか?」
という主旨でした。
そのときの太郎さんの返答は少しわかりにくいものでしたが、
まぁ、一言で言えば「経済のため」ということです。

今日は「戦争をしたい人なんかいるはずがない」と思っている人が、
「そういう人は実在する」ということをわかってもらえるように、
なぜ「戦争がしたいのか」ということについて、少し書きます。

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「戦争したい人は、いる」

いきなり結論を言ってしまいますが、戦争をしたい人はいるのです。
なぜ戦争したいのか、と言うと、お金が儲かるから、という理由と、
そういう人は「自分は戦地に行くことは絶対にない」とわかってるからです。

戦争したい理由は、大きく3つあると私は思っています。
それをできるだけわかりやすく書きます。

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<戦争したい理由・その1「軍需産業が儲かる」>

私は安倍さんと言う人を、自分の国の総理として人格的に認めていないので
彼のことを首相とは呼ばず、安倍さん、もしくは安倍晋三と書きます。

安倍さんが一生懸命、戦争できるように法整備に奔走しているのは、
彼にそれをお願いしている有力者がいるのです。
その中にもいくつかの一味がいるのですが、ここでいちばんわかりやすいのは、
「経団連」です。

経団連というのは経済団体連合会のことで、
日本の有力な企業が集まって作っているグループです。
この経団連が自民党の大口スポンサーになっていると思ってください。

たくさんのお金を自民党にくれる団体ですから、
政治家も彼らの要求に応えようとします。
経団連は企業の集まりですから、企業が儲かるような法律を作るように
政治家にお願いするわけです。

ここにひとつのお金のループができているわけですね。
企業は政治家を金銭面でバックアップし選挙でも支援する。
そうして企業の助けで当選した政治家が、企業に有利となる法律を
ガンガン作っていく。そういうことです。

企業のために有利なことと、「戦争」になんの関係があるの?ってことですが、
日本は戦後、兵器に関わる技術開発をしてはいけない、
兵器に転用できる技術や製品を輸出してはいけない、など、
戦争のためになるものを作ることに関しては、自ら法でがんじがらめにしてきました。

それはひとえに、「二度と戦争をしてはいけない」という教訓が
そうさせてきたのです。
だから、技術大国・経済大国として大躍進した戦後の日本には、
たったひとつ、経済的に手つかずの領域があったのですね。
それが、「武器産業」です。

このパンドラの箱を開けると、何が起こるのか。

軍需産業会と政界による新たな利権構造が生まれるわけです。
ゼネコンと省庁や、原子力ムラのような、
これさえあれば、ずっと儲けられる、という巨大宇宙が出現する。
いま、日本の経済は閉塞感がありますが、
軍需産業を解禁にすれば、再び武器を作り、それを売ることで
経済を活性化できる、というわけです。

でも、武器を作るのと、実際にそれを使う戦争とでは
ちがうんじゃないの?と思うかも知れないですね。

アメリカを例に説明しましょう。
アメリカでは武器産業が盛んなのですが、武器だけを作っても
使わなければどんどん余剰になってしまいますよね。
そうしたら、それ以上の武器が売れなくなってしまいます。
その場合、どうしたらいいか。

ひとつには定期的に戦争をして武器を消費したり、
新しいものと入れ替えたりする。

もうひとつは、どこか戦争をしている国に武器を売って稼ぐ。
戦争している国がない場合、戦争を引き起こさせて、そこに売る。

つまり「兵器」という商品を恒常的に売るために、
そういう軍産複合体は政治に「戦争をするように」とか、
「どこかに戦争をさせるように」という圧力をかけるのです。

そうやって「武器市場」を活性化させるために戦争をする、という
本末転倒なループが存在するのです。
それをして「死の商人」などと呼ばれています。

作った武器をどんどん消費するために、戦争が必要なのです。
だから、「戦争がしたい人はいる」ということなのです。

そういう勢力は、自分ではない誰かに、自分とは関係のないどこかで
戦争をさせる、ということで金を稼いでいますから、
その戦争で自分が死ぬなどとは考えもしない人々なのです。
戦争で死ぬのはいつも金のない貧乏な市民でしからね。


さて、以前に土建屋さんから聞いたことがあるのですが、
「本音を言うと、2〜3年にいちど、人が死なない程度の災害が起こって欲しい」
と言っていました。

この言葉がいろんなことを象徴しているんですよね。
その人は、自分が住んでいない場所で災害が起きて欲しいはずなのですが、
土建屋さんは災害が起こるとそのあとで儲かるんですよ、復旧作業でね。
自分が死なないのであれば、自然災害が起きて欲しいと望む人がいるように、
自分が戦地に行かないのであれば、戦争が起きて欲しいと望む人はいるのです。

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<戦争したい理由・その2「経済的カンフル剤になる」>

もし安倍さんが、この国の行く末について真剣に悩んでいる場合、
少子高齢化によって、日本の経済はどんどんやせ細っていくという現実に
向き合っている可能性があります。

(その可能性はとても低いと思いますが)

トマ・ピケティの「20世紀の資本」でも語られたように、
資本主義という経済システムでは、一部の金持ちが大儲けするだけで、
その富が労働者まで降りてくる、ということはありません。
しかし、実際に日本は戦後、大きな経済成長を遂げました。

それはなぜでしょうか。

実は、資本主義がもともと持ち合わせている不平等性が、一時的に是正され、
例外的に全ての人が豊かになっていく場合があります。

それが「戦争」なのです。
ピケティはここ300年の世界中の国の経済を観察したときに、
あることに気づきました。
資本主義が今のように人々の生活を底上げできた理由は、
第一次世界大戦と、第二次世界大戦があったからだ、と。

つまり資本主義は焦土のように荒廃した社会が立ち直っていくときには
とてもいいシステムであるものの、復興が完了し、
すべてが満たされた状態になると、成長が止まるのです。
だから今ある社会をいちど徹底的に破壊し、もう一度作り直すことで、
日本の経済を建て直す、ということができる可能性がある。

事実、日本が戦後の復興を実現できたのは
朝鮮戦争とベトナム戦争のおかげなのであって、
ただ日本人が勤勉に仕事をしたからだけではないのです。

「戦争」を利用して社会をスクラップ&リビルドのサイクルに持ち込む、
という観点がもしあれば、「戦争したい人はいる」ということです。

しかし、この方法ではものすごく大きな犠牲を払う必要があります。
ですから、私はこの理由で現政権が戦争をしたがることはないと思います。
もしそれができたら、安倍晋三はたいしたものだと思います。

この立脚点は個人の儲けの話ではなく、日本の再興のため、という視点であり、
このようなストーリーを構築し実行していたとしたら、
安倍晋三はある意味、英雄である可能性もあります。

が、彼の人間性の小ささを見るにつけ、この線はないと断言できると思います。


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<戦争したい理由・その3「一流国への憧れ」>

理由その2は、考えることはできても、その可能性はほとんどないですが、
これから述べる「その3」は「その1」と相まって、リアリティがあると思います。

日本が先の大戦に踏み切った大きな流れの中に、「日本は神の国である」「日本は一流の国である」という想いがあったように思います。
他のアジアの国のように、西欧列強に支配されたりすることのない、世界の一流国の一角を占める存在になりたい。

日清戦争、日露戦争と勝利を重ねる日本は、まさに東洋の支配者に相応しいと思い込んだことでしょう。我々は一流国なのだ、と。

しかし、第二次大戦で敗戦国になったことで、ごく一部の人間は、「日本が二流国になった」と感じているのです。そういう判断をする人がいるのです。
あなたの会社の上の方にも、そんなことばかりを気にしている人、いませんか?

さて、安倍晋三という人を見ていると、彼が「人の上に立ち、人を思い通りに動かしたい」という欲求が強いことを感じます。戦闘機や戦車、自衛隊の艦船に乗ってみせるときの彼の表情にも、どこか独裁者的面影を感じます。

オバマ大統領やプーチン大統領をファーストネームで呼んで失笑を買うというエピソードもありますが、それらは「私はあなたと対等なんだ」とアピールしたいというパフォーマンスだとわかるはずです。

彼ほど、自分のことを「我が国の総理大臣だ」と連呼する人も、今まで見た事がありません。
どうしてでしょうか?

彼が公に「戦後レジームからの脱却」「日本をとりもどす」という言葉を発し、その言葉とともに行ってきた一連の動きを一言で表するなら、「戦前日本への回帰」です。
別の言い方をするなら、「大日本帝国」への回帰です。

大日本帝国では、為政者は「支配者層」であり、国民は「臣民(しんみん)」と呼ばれて、支配者の好きなように扱うことができた。だから戦争ができてしまったんですよね。
国民ひとりひとりに「主権」を与えるという戦後の民主化という出来事を戦前の為政者の目から見ると、それはまさに「下克上」なのであって、まさに屈辱的な状況なわけです。

「国民が主権を持つ民主的な国家など、牙を抜かれた二流国に過ぎない。」
安倍晋三はそれを、祖父であり「A級戦犯」である岸信介からそう聞かされていたことでしょう。

「本来、国民は我々、支配者層が思い通りに生きるために奉仕するはずの存在なのだ。一流酷になるために、そういう状況にいつか戻さなくちゃならんぞ」とも。

そういう思いを胸に刷り込まれた野心家が、いま、この日本を戦前の体制に戻すぞ!と言い出している。
あの(おじいちゃんが頑張った)戦争は、間違いじゃなかった。負けたから悪いんだ。
日本は負けたから「敗戦国」になってしまった。そして二流国になってしまった。
世界の一流国になるには、戦勝国にならなければならない。

そのために、アメリカと手を組んで、一緒に戦争をして、
勝利に貢献して、今度は戦勝国の一員になる。
そうすれば国連の「敵国条項」も外してもらえるし、
常任理事国になれるかも知れない。
核兵器だって持てるようになるかも知れない。

明治維新から夢見た、名実ともに、一流国になれるかも知れない。

そんなことを思っている可能性は高いのです。

戦後のレジームは、第二次世界大戦の戦勝国によって作られ、それが今でもつづいています。
そして日本は敗戦国です。

敗戦国という現実を変えるには、新しい戦争をして、そこで戦勝国になることなのです。
だから「戦争がしたい」のです。

安倍晋三のこの思いと、経団連の思いは、利害が一致します。
そこでこのような方向に、今の日本はガンガン進んでいるということです。

「戦争したい人」はいるのです。わかるでしょうか?


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<それでも日本が戦争できない理由・その1「国連」>

私は、いかに現政権が法的に戦争を可能にしようとも、
やはり日本は戦争ができないのではないか?と思うポイントが2つあります。
ひとつは、国連です。

日本は国際連合に加盟しているわけですが、
ご存知のように「敵国条項」が外されていませんし、
当然、常任理事国などになることはできません。

敵国条項は、事実上、死文化されているという意見もあるものの、
それでも外してもらっていない、という現実はあって、
その条項の中には、ものすごい内容が含まれています。

その最たるものが、連合軍側の国は、敵国が不審な行動をとっていると思えば、
その国を断りなく攻撃していい、という項目があることです。

そう、例えば中国は軍事的に日本に対してめちゃくちゃアドバンテージがあるんですよ。
でも、何も攻撃してこないですよね?
なぜでしょうか?

日本と戦争する気なんかないんですよ。

さて、国連において、日本は未だに「前科者」であって、
監視されている対象なわけですから、
どこの国と戦争するのか、にもよりますが、
もし本気で戦争するとなると、
国連を脱退する、くらいのアクションが必要になると思います。

そんなこと、できるでしょうか?

核兵器保持も同じです。いくら核を持ちたいと言っても、
日本は持てないのです。持つなら、国連脱退が必須になります。
これこそ、国際連盟を脱退して孤立していった戦前の繰り返しです。


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<それでも日本が戦争できない理由・その2「自衛隊員の心の問題」>

最近、先の戦争の記憶を伝えなければならない、ということで、
長年口を閉ざしていた旧日本兵だった方がお話会などを開いていると聞きました。

そのことは、とても素晴らしいと思っています。
が、もうひとつ、そのことから視点を持つべきだと思います。

そのような人々が戦後70年間も、口を閉ざし続けられたのは、なぜでしょうか?

彼らが口を閉ざしていた理由は、戦地で自分が行った凄惨な行動を
この平和な環境に生きる家族たちに知られたくない、という気持ち。
もちろん、思い出したくない、という気持ちもあったことでしょう。

しかし、その「口をつぐみつづける」という行動を可能にしたのは、
彼らのハートがとても強かったから、ということができると思うのです。

戦地でどんなことがあったのか、自分が何をしたのか。
何も言わず、何も知らせず、ただ、この平和な日本に生きる。
戦場とはまったく異なる平和な日本に。
戦場の記憶を、ただ、自分の脳裏に押し込めて。

とても孤独な戦いだったはずです。どうしてそれができたのか。

日本は戦前、軍国教育をしていました。
第二次大戦に従軍した人々の多くは、生まれたころから日本は戦争国家であって、
いつかはお国のために戦って、散ってくることを
誇りに思うことを教え込まれて育ちました。

今のような娯楽もなく、人々の規律意識も、今よりずっと高い社会でした。

そんな教育を受けてきた彼らだからこそ、戦地に赴くことができ、
また、帰国してからも強く生き抜くことができたのかも知れません。

しかし、今の日本はとても物理的恵まれていて、
戦争という状況とは無縁のなかで子どもたちは成長していきます。
自衛官は自ら「国を守るため」とわかって入隊したはずですが、
そんな彼らも、生まれながらに自衛官だったわけではないですし、
この現代の日本に生きている一人ですから、
なんら変わった精神構造を持っているわけではありません。

さて、先のイラク戦争に派遣された自衛隊員。
死者はいないとされていますが、帰国してから29人の隊員が自殺しています。
自殺していない人でも、PTSDに侵されている人がとても多い。

これはアメリカでも同じ状況です。

いま、日本の子どもたちの教育は、さまざまな問題をはらんでいるものの、
軍国教育などには至っていません。
生まれたときから「いつかは戦争に行くのだ」と刷り込まれるわけでもない。
そういう社会でもないわけです。

このような社会に育った人間は、基本的に「兵士になれない」と思うのです。
「現代の戦争は歩兵が機関銃を持って歩き回るようなものではない」という
安保賛成派の人々からの話がありました。
今の戦争は、もっと専門性が高いのだ、と。

方便に決まっています。

ではなぜ米軍には「海兵隊」がいるのか。
戦争が専門性を帯びて、兵隊同士が直接戦わないなら、
海兵隊はいらないはずです。

どんな時代になっても、歩兵は人柱として必要で、
それになるのは、経済的に恵まれない最下層の人々です。

しかし、いま、街の中を見回して、自分の周りを見回して、
歩兵になれる人はいるでしょうか。
戦場で気が触れることなく、勇敢に突撃できる人間が。

戦争とはそういうものですから、そういう人材がいない国に戦争はできません。

逆に言えば、そういう人材を作るために、教育制度を変え始めたら、
いよいよヤバいということです。
そういうところからも、国が何をしようとしているかはウォッチできます。
まずは国民がしっかり政府を監視するのだ、という意識を持つことが
すべてのスタートになるでしょう。