序所に近づく大学受験。
僕同様に「あれ、気がついたらもう…」みたいな高校生、たくさんいると思います。
というわけで、高校の内にしかできそうにないフリーな行動の一つに芸術家達の講義を今の内に
聞きにいこー、とはじめましたNEW SERIES 「芸術講義―個人解釈:Lets芸術会議」シリーズの第一弾です。
聞いた講義の内容を自分なりに解釈してブログに書いていきます。
The first on the Line is...
2月11日(今日)の世田谷美術館、14:00から内井昭蔵(建築家)展にて開催された
「公共建築とアート・内井昭蔵の場合」講義にいってきました。
Guestさんは彫刻家の澄川喜一さんと美術館のだれか(めがねの小柄なおじちゃん)のふたりでした。
途中参加だったので最初のほうは聞けなかったのですが、自分なりの解釈でわかったことを中心に書いていきたいです。
世田谷美術館や登川喜一さんと関わりのあった多数の建築、彫刻家の作品紹介を中心に講義。
淀井敏夫
ラフで傷ついたような質感を持つ作品で有名。
「うかぶ雲、海鳥たちの訪れ、時の流れを告げる古い貝殻」などの作品を紹介。
ブロンズなどの金属を使うため、水気によってサビが垂れて茶色い流動的な「汚れ」がよくあるらしい。
これがさらなるアクセントにもなって、自然と共同で一つの作品を作っていると思わないだろうか。
作品紹介の内、世田谷美術館に取り組まれた表現方法の一つで「縁を切る」というものがある。
たとえに岡本太郎の「明日の神話」があった。これほどサイズのある作品は歩いて眺めながら見るのが一
般的だろう。
「縁を切る」というのは連続する作品に区切りを入れることでより見やすく、観客に配慮した表現だ。
実はこの表現、空間の「色」やアクセントとしても使われることがあるのだという。
例の一つが世田谷美術館のグッズ売店前の小さな休憩所だ。
二階への会談、展示紹介のポスター、モダン彫刻とそれぞれの平面になにかしら見るものがある
中で、それと対象に何も無い壁が一面だけある。ここに内井昭蔵はくぼみをいれ、人が一人座れる空間をいくつも作った。
閉鎖的かつ開放的なその空間は子供を喜ばせ、また実際に自分も座ってみたが、別の世界から正面の階段を見ているかのようだった。一つの平面にその平面の「縁を切る」ことで生まれるこの別世界は内井昭蔵の世田谷美術館において座る席としても、なにも無い平面を一つの作品にすることにしても、観客に強く配慮した表現方法に思えた。
内井昭蔵は幼少期に感じた空間はその後の見方に影響を与えると信じ、表現方法に力を入れた。世田谷美術館のくぼみのベンチなどの「引っかかり」がある表現を大切にし、小さな空間でも意識する。純粋な子供達はまだ、いわゆる世界の常識というのが無いため、完全に自由な想像力をもっている。幼いころに見て感じたものはその無限大の想像力を活気付けるものだと思ったのだろう。
この世田谷美術館のプラニングにあたって、内井はあるクヌギの木に着目し、それを取り組んだ建築を考えた。このクヌギは長い間砧公園にあったもので、環境と建築を一体化させる上で注目したという。これを「ポイント」や「軸」といい、建築をする上で最も大切な「環境との調和」、そして着眼した
「ポイント」から発展させていくことが内井昭蔵のこだわりでもあった(フランク・ロイド・ライトや
隈健吾、安藤忠雄も「環境との調和」を大切にする建築家達だ)。
「健康な建築」
健康な建築とはいったい何なのだろうか。内井昭蔵に限らず、建築家は常に最近の建築は病んでいると述べる。本来建築とは絵画、彫刻などのいわゆる「芸術」と同じく、自己表現の方法の一つだった。がしかし、今の長方体の天にそびえるビルやまがい物のヨーロッパ風の木の床やレンガタイル、印刷した大理石の模様の壁など存在意義が理解不能なもので溢れている。気候や周囲に合わない建築を建て、閉鎖的で閉じこもった建物が人間の心さえも閉鎖的にしてしまっている。健康な建築とは底にあるべき場所に建てられ、その環境と一体化することで開放感と周囲との調和が保たれた建築のことではないだろうか。
講義を聴いて確信したことがいくつかある。過去に聞いた講義や読んだ本の中にも書いてあったことを自分なりに解釈した結論とも言えるものだ。
建築は殺人能力があることをご存知だろうか。真っ白な閉鎖された空間に住む人はいつか
発狂する。白は刑務所や監獄の色だ。今の日本の家の中は99%が白で塗られている。この空間の中で平然と暮らしている我々はもはやその事実になんの矛盾を感じなくなり、さらにはそれで安心するとまで思い始めている。少し前まで日本人は木造の温かみのある建築にすんでいた。ところが今の東京には、近所の人にすら挨拶をしない、閉鎖的で外の世界とかかわりを持とうとしない人が多い。なじみの無い人にでも気軽に話しかけれたはずの社会が一変している。現代人は他人と関わろうとしない理由に「恥ずかしい」やら「怖い」やらと自分を隠す、人に見られたくないなどをあげる。今彼らは自己表現に恐怖感を抱き始めている。それは暖かく「お帰り」と迎えてくれるはずの家が安らぎを与えるまがい物で埋め尽くされ、真っ白でのっぺらぼうの壁や天井で自分を囲むものなら自分を他人に隠したくなるのも当然の断りではないか。
ふう…たくさん考えた。
どうでしょうか。結構講義の内容から自分の考えに写っていくのが書いていてもわかるほどだったんですけどね。
やっぱり難しいです。
でも自分の考えや講義の内容を整理するのは大切だと思いますし、何より実際に書いてみてよりわかったことなども増えました。
結構有意義なので次回もこんな感じで。
次はちょっとまだお金と講義の予約の問題などでどちらかはわからないんですけど
セシル・バルモンドの「エレメント」を見て建築家、篠崎健一さんとキュレーターの野村しのぶさんとの講義
OR
クリスト&ジャンヌ・クロード展、クリストの新作「Over the River」について
の2択です。実はブログに乗っけたクリストの講義、予約制だったのでいけないと思ったのですが、キャンセル待ちであるかもしれないということで…
とりあえず行ってみて、無ければ「エレメント」ということになります。
次回13日の予定です。
To be Continued