=2994=花倉城は転進し久し振りの諏訪原城‐1(‐2‐に続く) | 老コンサルの残日録

=2994=花倉城は転進し久し振りの諏訪原城‐1(‐2‐に続く)

19日の花倉城は諦めて後日の為のアクセスを確認しただけで西焼津駅へ。TX運転手さん「前は日本一の遠洋漁業基地だった焼津も魚が獲れなくなり、漁業システムが変わり、他の漁港の整備が進んだりでスッカリ廃れました。東日本大災害の後は前から言われてきた<駿河湾大地震大津波>報道の影響で沿岸部に住んでいた人達が住宅を建て替える時は殆ど高台地区に移り住むようになって地価も大幅下落、嘗て繁華だった焼津の海沿い地域はすっかり寂しくなってしまいました」。


西焼津から島田市金谷まで東海道線で20分足らず。金谷駅から諏訪原城までならどのTX運転手も知ってるし時間も5分もあればいい。10年以上ぶりの諏訪原城は果たしてどんな?嬉しかったのは前に来た時に寄った城址入口前の軽食喫茶がまだ営業していたこと。


高天神城を歩いた後に立寄った諏訪原城は立木が密集し薮も酷く全体を把握しにくかったが、その後どうやら整備と管理が進んだようだ。


城跡碑
拡大してお読み下され
縄張図


縄張図のように諏訪原城の魅力は巨大な堀と土塁と幾つもの馬出(うまだし)。堀はもともと超弩級だったので400年余り経って法面は崩れ堀は埋まってもその威容をそのまま残すが、地山を堀り残した土塁と違い堀の掘削土を突(築)き立てた掻揚土塁ははて?どうだろう?


入口の<お知らせ>
おやおや!

今回は見たかった所が見られない、残念だが仕方がない。然らば逆順路を
土橋を渡ると

画像右は二曲輪大手馬出、左二曲輪との間の堀、正面は土橋

普通の山城の郭なみの広さがある馬出の城跡案内板
名前の由来・諏訪神社

大手曲輪に向かい馬出を弧形に囲む(三日月)堀、ここ大手口?
二曲輪への土橋
土橋から巨大堀

二曲輪の崩れて低くなった土塁上を歩いて
二曲輪東内馬出
連続して二曲輪南馬出が見える
南馬出への土橋から
二曲輪南馬出、次の更新に続く