こんにちは、受験パパ@NAGOYAです。

今回から連載「日本の教育、かくあるべし!」を再開します!
今回のお話しで、第9弾となります。思いの外、続いています。逆に終わりが見えない…です。

そして、今回からは、学校や塾・予備校という「教育機関・体制」から離れ、教育に携わる人々、つまり「教員」についてしばらくお話ししたいと思います。

なお、今後は「教員」と「教師」を区分してお話しします。

子供たちに教える(=授業する)という立場にある方を「教師」とし、その中で教員免許状を持った人のみを「教員」と定義します。

学校教育法等の規定により、学校で授業ができるのは、「教員」だけとなっています。
つまり、国が定めた学習指導要領に基づき、子供たちに授業(=知識や経験を伝授する)を行い、成績評価を行うことができるのは、国家資格(=教員免許状)を持つ人だけということです。
ですから、教科に対する知識が深く、教え方がどれだけうまくても、教員免許状がなければ、教員にはなれません。つまり、学校で授業をすることができないのです。
これは、正社員教員だけでなく、非常勤講師についても同様です。

ですから、教員は、学校には、ある意味「特権階級」にあるようです。
よく学校では、教員の方々が事務員等を「見下す」ことがあると聞きますが、上記の事情があれば、なるほどなあと思います。

ただ、日本では学習塾・予備校が大きな影響力を持ってしまったがために、「授業は教員だけが行うもの」と位置付けることが難しくなっていると思います。
つまり、教員でない知識人が授業をした方が学力が向上する事例がワンサカとあるため、教員免許状が良い授業を行うことの「十分条件」ではなくなっていることを意味します。

例えば、地方の進学高校なんかだと、大学受験の補習授業を塾や予備校が実施している事例がありますよね。

更に成績処理・分析については、塾・予備校の方がDX化が進んでいる分、圧倒的にアドバンテージがあるように思います。

以前お話したように、日能研は公開模試の採点・成績・分析が「翌日の午後に公表」されるわけですから、圧倒的な早さです。塾・予備校の力は絶大ですね。

とすると、教員が教員たる所以、つまり、その存在意義(レゾンテノール)とは、何なんでしょうか?
 

教員の業務を「分業」していくと、教員でなければならない部分って、それほど多くないのではないかという気がします。
教員の業務を分業すると、以下のようになるのではないでしょうか?

  1. 学習指導要領で定められた内容に即して、生徒に教授していく(=授業を行う)。
  2. 授業を通じて「学力」を向上させる。
  3. 生徒一人ひとりの学習成果を評価し、記録する。場合によっては面談等を通じて、学習指導を行う。
  4. 学級(クラス)運営を行い、生徒指導を行うとともに、清掃活動はじめとする学習外活動を生徒にやらせる。
  5. 部活動顧問として、課外活動の支援・指導を行う。
  6. 遠足、野外活動、修学旅行など、学校敷地外での学習活動を行う場合、生徒を引率する。
  7. (校長等の管理職は)学校を円滑に運営し、何かしらの成果を上げていく。

といったところでしょうか?


いずれの業務も、大変失礼ながら、教員免許がなければ実施できないほど「高度な業務内容ばかり」だとは思えません。
教員の業務を上記のように分業化し、各々を専門家に任せることは可能なのではないでしょうか?
部活動なんて、その最たるものですよね。

では、教員が教員たる所以は、どこで発揮すればいいのでしょうか?

私は、ひとえに「学級運営」と「学習指導」だと考えています。
今は、技術的にはインターネットによる遠隔授業も可能ですから、学校や学級(クラス)さえその存在意義があやふや(=必要条件ではない、ということ)です。
ですが、子供たちが社会性を学び、かつ身に付けていくためには、一定程度の「集団生活」を経験することは必要であると考えます。

自分の主張「だけ」をして、それが通らなければ学校に行かないというのは「ただのわがまま」であり、一般社会では全く通用しない人間でしょうし、私自身も一緒に働きたくないような類の人です。

自分自身を振り返ってみると、「学校の先生」の印象って、授業よりもホームルームや遠足・修学旅行の時の方が強いと思うのです。または、生徒指導の一環で自分のいたずらなどを怒られたときなどです。
とすると、教員として活躍してほしい、もしくは期待されている役割は「学習指導」と「生活指導」がメインなのではないかなと考えるのです。
基本は「クラス」という単位で一人の教員が責任をもって担当していくものの、児童・生徒たち一人ひとりの学習状況を把握し、時には授業に出られなくなっても、学習を続けられるように個別に支援・指導していく、もしくは学校単位にはなるけれど、チームを編成し、対応していくことが求められているのではないかなと思います。

用語の使用が適切かどうかはわかりませんが、「チューター制度が」上記に近いかもしれません。

以上のことから、教員免許状の交付も二つに区分し、

  • 専門の教科・科目を教授できる能力を有するもの=「講師免許状」
  • 「学習・生活指導」方法を十分に教育・訓練され、一定の技能を持つと判断されたもの=「教員免許状」

とし、「教員たる所以」を十分に担保できる仕組みにしてほしいところです。