『かっぱ語録』谷川俊太郎/著 覚 和歌子/能書き
角川春樹事務所
帯より抜粋します。
「詩人・谷川俊太郎さんがこの世に送り出してきたあまたの言葉から、いま、ご自身で選び出したこころの栄養になる78の言葉」
谷川俊太郎さんは確か、もんたよしのりさんの恩師で、もんたさんも載っている対談本(谷川さんがいろいろな人にインタビューした本)が家にあったと思うのですが、見つけ出せませんでした。
この本も職場である大学図書館の選書イベントで買ってもらいましたが、私は詩心が乏しいため、谷川さんの詩がすごく好きだから、という理由でこの本を選んだわけではありません。
実は、私の好きなキューライスさんがイラストを描いていらっしゃるという点に惹かれ、また、「カッパ」も好きなので、タイトルも良いなと思ったのです。(「かっぱ」という詩からとったものでしょう)
ですが、表紙のカッパはかわいいけれど、本文中のイラストは数えるほどしかなく、すべての詩にイラストがついているのではという期待は見事に外れました。
でもその内容は、詩に疎い私にも響くものが多々あり、買ってもらって良かった学生さんにも是非読んでほしい
と思いました。
それと言うのも、谷川さんの詩の一つ一つに、覚和歌子さんの能書き(解説)がついていて、理解を助けてくれるため、私にもわかりやすかったからだと思います。
まず、今日の私に特に響いた詩から抜粋します。
「いたるところで人間は寸法を計りたがっていて
次々に新しい単位を考え出す」
『詩めくり』「十二月二十日」より
これだけならたぶん、心にズシンとは来なかったと思いますが、この詩にはこんな能書きがついていました。
「寸法を計るのは比べる必要から。
比較は人間だけが反応する感覚で、まさっていれば安心し、足りなければ消沈する。勝ち負けのその先には勝ち負けしか生まれないということを頭ではわかっている。
新しい単位が物事の違いを明らかにして、事実を見極めるためだけに使われればいいのだが、ただそのありのままに受けとめるということが私たちは何より上手くない。」
今日私は、他人に対して嫉妬を覚えました。焼きもちなんてほとんど焼いたことがないのに、いつ以来かもわからないくらい珍しい感情なのに……。
通信講座以外のことでずっと、何年も頑張っていることがあり、頑張っても頑張っても成果が出ず、ちょっと気落ちしていたところに、他の人の達成報告に触れ、珍しくどす黒い感情がわき、自分で自分に驚きました。
「おめでとう」というスタンプをかろうじて送信できましたが、「おめでとう」と花束を渡す割には無表情の黒猫……。
笑顔のスタンプを選べないところに心の狭さが表れてしまっていました。
詩はときとして、心の奥底まで見透かされてしまうものなのだなあと思いました。
同じような気持ちから、次の詩も響きました。
「にんげんはなにかをしなくてはいけないのか
はなはたださいているだけなのに
それだけでいきているのに」 「はな」より
いろいろなことを頑張って頑張って……うまくいかなくて落ち込んで……。でも、そんなにいろいろしなきゃいけないんだろうか
なんてちょっと思ってしまいましたが、でも、やることを選んでいるのは自分。誰にも強制なんてされていない。
なぜやることを選んでしまうのか。他人から評価されたいのか。ダメな自分のままでもいいのじゃないか
20代の頃、従妹に、「そらちゃんは何でそんなに変わりたがるのそのままでも良いのに」と不思議がられましたが、「いや、こんなダメな私のままでは嫌だ
」と、その時も思いました。
「幸せには退屈という一面がある」
『幸せについて』より
うん。おかげさまで、幸せでも退屈したことはありませんよ。大変なことばかり重なって起きることが何度もあったり、何もなくても自分で選んでいろいろ頑張ってしまったり……。
この詩の能書きの抜粋です。
「幸せが単調な日々の継続だとしてしかし、ささやかなことの中に面白さを発見する感覚が持てれば、決して漫然としているだけのものにはならない。
見出した面白さが良き味わいだけとは限らないけれど、豊潤な感受性が支えるものが豊潤な人生であることだけは間違いない。」
豊潤な感受性は持っているかも
そして、もんたさんを偲んでしまった詞。(と言っても、能書きを読んでの連想ですが)
「軽やかなものにも重苦しいものにと(も?)
等しく優しく遠慮深げに重力は働いていた」
「一本胴ーー桑原甲子雄の写真によせて」より
「身体という衣服を脱いで地球を卒業するとき、重力をなつかしく思い出すこともあるだろう。
身体があるうちに、身体がなければできないことをやり尽くしておこうと思う。
美味しく食べること、美味しく作ること、真夏の水面に浮かぶこと、真夏の冷たい水をごくごく飲み干すこと、いとしい誰かを抱きしめること、いとおしいと伝えること。
生きるということは明日死ぬかもしれないということだから。」
NHKのうたコンに出演して元気なお姿を見たばかりだったのに、突然倒れ、亡くなってしまったもんたさん。
もんたさんはやり尽くせたのだろうか……。
遺作アルバムも制作半ばだったけれど、悔いはなかったと信じたいです。
遺された仲間たちが、アルバムをきっと完成させてくれると信じて(完成させてくれました)安心して旅立ったと思いたいです。
「飲みに行こ」と誘われるより、近所の子供たちを集めてだるまさんがころんだをする方が好きだったもんたさんが、先に旅立った仲間たちと再会できていると信じたいです。
最後にもう一つだけ。
「私がなにを思ってきたか
それがいまの私をつくっている
あなたがなにを考えてきたか
それがいまのあなたそのもの」
「こころの色」より
「愚痴や恨みや噂話で過ごす時間はあなたの中に堆積して細胞に直接働きかけるだろう。
黒い考えは心の中でくりかえすたび、あなた自身へと向かう刃物になるだろう。
新しい時代に『ほめ言葉』を探し出せる心の力は、あなたを内側から輝かせる。」
上記の言葉も、人生の応援ソング盛りだくさんのアルバムを遺してくれた、もんたさんに言われているみたい……。
黒い考えは早々に捨てて、他人も、頑張る自分も、素直にほめられる私になりたいです。
嫉妬心が苦しく、今夜は通信講座の勉強をする気になれず、ふと手に取ったこの本に、思いがけなく救われ、癒されました。