『「老害の人」にならないコツ』 平松類/著 アスコム
『老害の人』という本はまだ読んでいませんが、その言葉は前から気になっていて、なんとなく、「はた迷惑な老人のことをそう言うのだろう」と思っていました。
それが、この本によると、「老害とはそもそも、『企業や政党などで若返りすべき時期がきているのに、ベテランが居座ることによってそれができない状態』のことを意味します」とのことです。
「読者のみなさんの若いころを思い出してみてください。『老害』という言葉が使われたとしても、それほど頻繁ではなかったし、使われるシチュエーションも限られていたと思います。」
えっ「老害」って、そんな昔からあった言葉なの最近できた言葉かと思っていたよと、上記の個所を読んで驚きました。
でもその後に、「現在は一般的に、『他人の意見を聞かずに時代遅れの持論を周囲に押しつける高齢者』という意味で「老害」という言葉が用いられています。」と書かれていて、なあんだ、やっぱりそういう意味なのか、と思いました。
この本を開くと、最初に二つ質問があり、「誰しもが『老害』だと勘違いされてしまう可能性がある」こと、選択肢の中に該当するものがあったら、「近い将来、老害になるかもしれない」ことが書かれています。
そして、「気が付くと自分の話をしている。」というものに、私も当てはまりました。
医学博士である著者は、「老害は年をとれば大半の人がなるものであり、いわば個性であり、理解を深めれば思いのほか害にならないもの」で、「ともかく、自分がどういう人間なのかを知ることーーそれがわかれば、対処はできるはず」と言っています。
それはぜひ、知りたいと思い、職場で借りて帰ってから、一気に読みました。
この本はとても読みやすく、2時間半で読み終わりましたし、当事者に向けた「老害にならないためのコツ」のみならず、「周りの老害に配慮するコツ」までも載っているので、老害に悩まされている人にとっても有益だと思います。
この本では、現実に即したオリジナルの定義として、「加齢変化に気づかずに生活することによって、他人と齟齬(そご)が生まれること」を「老害」としています。
「齟齬(そご)=ズレ」で、「他人との間に生じたちょっとしたズレをそのままにしておくと、さまざまな問題を引き起こし、いつしかそこには大きな壁が発生してまう」とのこと。
その壁は、「家族の壁」「仲間の壁」「社会の壁」という3種類だそうです。
「加齢変化(=老害レベルの上昇)が起こるのは当然のことですし、それを悪いことと考える必要もありません。
あなたは悪くないのです。間違ってもいないのです。それでも『老害』と言われるのは、ただ勘違いされているだけなのです。」
それならお互いに理解を深めれば、分かり合えそうですよね。
私はまず、「味付けが薄く感じるのは料理のせいではない」という個所を読み、思い当たるなあと思いました。
最近、私には十分味がついていると思える料理でも、だんなは「薄い」と言うことが増え、料理に難癖をつけられるのは今に始まったことではありませんが、なんとなく違和感を覚えていました。
「加齢にともなう味覚の変化です。じつは人間の味覚は、60代から変わってきて、味付けの好みが次第に濃くなることがわかっています。
舌にある『味蕾(みらい)』という細胞の生えかわりが遅くなるのも、味覚が変化する理由のひとつです。」
なるほど……。でも、「味はちゃんとついてるよ。年をとると濃い味を好むようになるんだってさ」なんて言ったらケンカになりますよね……。
それよりも激しくうなづいてしまったのは、下記の言葉です。
「Aさんのご主人のように、家庭内で、とくに奥さんに対して、わがままを言う男性は多くいらっしゃいます。
その根底にあるのは、甘えと間違った愛情表現です。
高齢者に限った話ではなく、「家族だから言える」「厳しく言うのは信頼関係があるから」「愛のない他人にこんな態度はとらない」という考えを持って家族に強く接している人は多いです。」
「でも、言われている側が同じように感じているとは限りません。」
はい。まっっったく、そんな風には感じていません
「それが年を重ねるにつれ、『それをできるのが親しさの証』と思う傾向が強まるように感じます。」
いやむしろ家の場合は、以前よりも言われることが減った気がする……。私の激しい反論に対抗する元気がなくなってきたということかな……。
「自信とプライドを捨てられない慇懃無礼な『老害』」という個所では、私のOL時代を思い出しました。
この本の事例では、高齢者雇用枠で入ってきた人が、かつて貿易会社にお勤めで、部長まで出世したキャリアの持ち主だったとのこと。
「おそらく、自信があってプライドも高いのでしょう」と書かれていました。
私がOL時代に、私の勤める事務所にきた女性もそうでした。
銀行で高い役職につかれていて、定年退職をされた後、私の会社の下請け会社に雇われた方です。
私が勤めていた会社は、一応名の通った老舗企業だったので、その下請け会社とは言え、同じフロアで働くのだからと思って来られたようなのですが、とにかく、プライドが高かった。
伝票に押すはんこを作っておいたので、お渡ししたら、やたら大きいはんこをお出しになり、「私はこれを使う」と。
そんなサイズでは、伝票の枠に収まらないでしょうが
そしてすぐにお辞めになりました。
同じ章の、「『まだまだ新人だからでしゃばらない』と謙虚になったほうが、周囲との関係性もきっとよくなり、『仲間の壁』も解消に向かうでしょう。」という個所は、私が今の職場に転職したときのことを思い出しました。
あの頃の私は、面接で落ち続けた末の転職だったので、それまでに持っていたプライドをすべて捨てざるを得ず、ものすごく謙虚になっていました。
それは、この本に書かれているように、すごく良かったと思います。
今、先輩方ととても良い関係を築けていると思いますし、「ここぞとばかりに過去の経験が活きてくることもあるでしょう。」と書かれているとおりだったなあと思うようなことも、多々ありますから。
「もうひとつ意識したいのは、体力と筋力の低下です。
加齢によって、体を思ったとおりに動かせなくなるのは仕方のないこと。だから、それを悲観する必要はありません。
要は、それを受け入れて、その現状に合った動き方をしたり、対策を立てたりすればいいということです。」
それも、本当にそうだと思います。今の職場に入ったときは、「遅番のみのショートタイム」という働き方に納得しかねる部分もありましたが、すぐに、それで良かったんだと思えました。
既に50を超えて転職した身には、ちょうど良い働き方なのだと。
そして、「老害にならないためのコツ」として書かれている、「『もしかしたら自分にも原因があるかも』で大きく前進」というのも、経験しました。
自分自身が信用できなくなってくる年頃なので、以前の私なら、他人が悪いと決めつけてかかったようなことでも、自然と上記のような考えをするようになり、さらに良い人間関係が築けるようになったと思います。
「あとがき」から抜粋します。
「個人の努力で変えられることには限界があります。みんなが同じ方向に向かって歩を進めることによって初めて、高齢者が生きづらさを感じない社会になっていくと、私は信じています。
それが実現すれば、年齢や性別を問わず、すべての人が幸せな生活を送れるようになるはずです。
それが私のいちばんの願いーーこの思いが変わることはありません。」
私も、これから高齢者になっていく身として、また、社会の一員として、同じ願いを持っています。