先日の「励ませるようになりたい」という記事にコメントをいただき、ちょうど電車で移動中だったのですが、教わった「HSP」(とても敏感な人)かどうかの診断を早速やってみたら、その傾向が「強」という結果がでました。
が……いや、私はそこまで敏感でもなく、自分の思ったことはハッキリ言うし、断れないなんてこともないけどと思い、再度、家で落ち着いてやってみたら、今度は「中」でした。
まあいずれにしろ、私はどうやら「HSP」であるらしいので、職場にある『「繊細さん」の本』を借りてみました。
「繊細さんは、決して人嫌いなわけではありません。心を許せる相手と深く話すのは好きだし、家族を大切にしていたりと、人そのものは好きなのです。」
以前からだんなに「お前は人嫌い」と言われていて、先日も、「もっと地域の人に溶け込むように努力しろ」とか、「俺がいなくなった後のことを心配して言ってるんだ」とか言われ、ケンカになったことを思い出しました。
だんなは酔っていなければまだいいのですが、酔っていると普段の100倍くらい話が通じなくなるので、「だから嫌いなわけじゃないの私だって仲良くしたいと思っているんだけど、それができないんだよ」と、何度も何度も訴えましたが、わかってもらえませんでした。
だんなにしてみれば、「心配して言ってやってるのに、俺の言うことをまるで聞かない」と思うのでしょう。相手も善意なだけに堂々巡り……。
「冗談交じりのささいな一言なのに、受け流せずにグサッときてしまう」というのもすごく当てはまりました。
だんなにしてみれば何の気なしに言っているらしい言葉を、「なんてひどいこと言うんだろう」、「私の気持ちを害する以外に何の意味もない言葉をなぜわざわざ、私が出かける間際に言うんだろう。私が出かけるのが本当は嫌なら、そう言えばいいのに……」などと、ものすごくショックを受け、何日もぐったりしてしまうことが、若いころには多々ありました。
それも、だんなにしてみれば、「思ったことを言っただけなのに、なんでそこまで落ち込まれたり恨まれたりしなきゃいけないんだ」と思っていたことでしょう。
「人に頼るのが苦手」というのも、すごく当てはまりました。
「自分の感覚をわかってもらおうとするのではなく、はっきりと言葉で頼む必要があります」
ああ、それ、あるある人に頼むことで心に負担がかかるくらいなら、自分でやった方がいいと思ってしまうし、だんなに対しては、「こう言っているんだから、こうして欲しいと思っているのがなんでわからないのこちらからやってと言うのは言いづらいのに」と、いつも思っていました。
が、その反面、私もだんなに「そんなのたいしたことないでしょ」と言ってしまっていました。
この本を読むと、「元営業職で、人と話すの大好き」なだんなも「繊細さん」なのがよくわかります。
以前から、だんなは、なんでこんなささいな音に驚いたり怒ったりするんだろうといつも思っていました。
洗い物の音や、私が階段を下りる音、ドアの開け閉めの音などを「うるさい」としょっちゅう怒るので、私も疲れて「こんな音、全然たいしたことないのになんで」と言ってしまっていました。
なんて神経質な人なんだろうと思い……。
でもそれが、神経質というより、「繊細さん」ゆえのことだったんだとわかれば、こちらももう少し配慮できる部分も出てくると思います。
この本を読みながら、「音」の点でだんなも「繊細さん」かなあと思っていましたが、下記の言葉で、絶対そうだと確信しました。
「営業や接客業の繊細さんは、『自分が心からいいと思う商品を扱いたい。そして、お客様には、必要なものだけをすすめたい。売上をあげるために、お客様にとって不要なものを売るのは、嘘をついているような気がして嫌だ』という人が多いです。」
だんなが言っているのを聞いていたのというくらい、だんなの言葉そのままです。
だんなは一時期、置き薬の会社で働いていたことがありましたが、抜粋した通りの言葉を何度も言い、とうとうドラッグストアに転職し、登録販売者として、一昨年まで働きました。
きちんとしたメーカーの商品を安心してお客様に薦められるので、仕事にやりがいを感じていたようです。
「自分の納得と、相手に誠実であること。このふたつを両立したとき、繊細さんは仕事で大きな力を発揮します」
私も自分の好きな仕事ができている点は本当に幸せだと改めて思いました。
そしてそんな私たちの一人息子も、たぶん「繊細さん」だと思います。
「『配慮がない=意地悪』ではない」の部分を読み、息子が幼いころのことを思い出しました。
息子が、幼稚園で数少ないおもちゃをゲットしたとたんに、いつも同じ子が「貸して」と言うので、「自分が遊べない、意地悪だ」と言っていたのです。
そのとき私は、その「意地悪」という言葉に違和感を覚え、息子に話しました。
「あのね、その子は意地悪じゃないよ。貸してと言えば貸してくれるからそう言うだけだと思うよ。今度、貸してって言われたら、僕が遊んでからねって言ってごらん」と。
小学生になってからも、「サッカーやりたくないのに、いつもサッカーやろうって言われる。今日も遊ぼうって言われたけど、サッカーはやりたくない」と、息子は困っていました。
そこで、「じゃあ、今日はほかのことをして遊ぼうって言ってごらん」と言っても、「そんなことを言ったら嫌われる」と息子は言い続け、その間に、その子から電話が来ました。
そこで、息子にしてはものすごく勇気をふり絞って「今日はほかのことをしよう」と言うと、「じゃあ○○しようか」と軽く言われ、息子は電話を切った後、ふり絞った勇気で疲れ切り、ぐったりと床に倒れこみました。
私の母は、私の気持ちなど全くわかってくれたことはありませんでしたが、私は息子の気持ちが少しはわかってやれていたかなあと思います。
(今にして思えば、母に私の気持ちがわからなかったのは母のせいではなかったのですね。それも、この本で気づけて良かったです)
そして、またまたもんたさんの話ですが、もんたさんも「繊細さん」なところがあったなあと思います。
あるとき、「毎朝、悲惨な事件の情報を目にするのが嫌なので、新聞をとることをやめてしまった」というような趣旨のことを、ブログか何かに書いていたので。
新聞を「読むのをやめる」ではなく、「とるのをやめる」というのには、結構驚きました。
それに以前、ダウン・タウンの番組に桑名さんと共に出演したときに、若かりしころの「キレたエピソード」を披露していましたが、もんたさんのエピソードは二つとも、キレたのは自分のためではなく、「他人のため」だったのです。
もんたさんは「ライブ中に困るはめになったメンバーのため」、「まだこれから売り出す若手ミュージシャンのため」に、キレたのです。
そんな人たちの心境がわかりすぎるほどわかるから、自分のことのように共感できるから、キレてしまったのでしょうね。
こう考えてみると、「繊細さん」てきっと、見るからにおとなしそうな人だけではないのだろうと思います。
きっと、度合いは違うにしても、そうういう傾向のある人って世の中にたくさんいるのでしょうね。
これからは、「そんなのたいしたことないのに」と人のことを思うのではなく、「その人にとってはそうなんだ」と理解することが大切なんだなあと思いました。
私も、昨日また返ってきた「通信講座の解答」で落ち込むのはやめようと思います。
やはり90点台取れているのに、「90点台取れた」ということよりも、「ああ、ここ間違ったんだ。こういうことなのか、この部分も全然わかっていないな」、「こんなんで大丈夫なんだろうか」なんて悩まずに、とにかく頑張っている自分を認め、もっと頑張らなきゃいけないと自分にプレッシャーをかけるのはやめます。
私は完ぺき主義なのかな、プライドが高いのかなと思っていましたが、「繊細さんは完ぺき主義ではない」とはっきり書かれているので、それも嬉しかったです。
今回は、この本についての情報が少なすぎるので、いつもの感想文とは違うなあという気がしますが、一応、書誌情報を書いておきます。
『「気がつきすぎて疲れる」が驚くほどなくなる
「繊細さん」の本』 武田友紀/著 飛鳥新社
※それともう一つ、「自分の感覚を肯定し、共感できる人とつながる」も、自分のことかと思いました。
「たとえば中学の頃、Nさんが好きだったのはマイナーな実力派アーティスト。クラスメイトがアイドルの話で盛り上がっていても「そうそう、いいよね!」と言うことができない。」
私も中学の頃、「たのきんで誰が好き」と聞かれ、はたのきん限定と驚き、戸惑いながらも、「もんた&ブラザーズが好き……」と言いましたよ。
もんたファンの方と知り合えた=共感できる人とつながれた
ということなので、それもすごく嬉しいなあと思いました。