最近、いろいろ変わり目のせいかもともとの性格もあるのですが、ほんの些細なことでくよくよしがちです。
全6回の健康ボウリング教室が終了し、先週は初めて「健康ボウリングクラブ」に参加してきましたが、その直後は楽しかったと思ったんです。
当日もらえたマイボウルは、教室で使っていたボウルより一段階重くなったせいで、またまた後ろに放り投げしまいましたが。
ボウルをレーンの先まで抱えて行って、両手で後ろに振り、えぃっと、投げるときのみ片手にするという、今までさんざん練習したフォームが何の役にも立たない投げ方しかできなくなっても、これで腕に負担のかからない投げ方がわかって良かったなとさえ思ったんです。
そんな投げ方でもストライク1回とれたし、初めて会う人の前で失態を重ねても、今の職場に入ってから、「できない自分」を認められるようになっているので、そこまで気になることもなく……。
ですが、教室のときからご一緒の、私より年上の女性が、先日の『舟を編む』の記事に書いた西岡と同じく、「他人とのあいだに垣根を設けぬ性格」なので、そんな方と自分を比較し、家に帰ってから気持ちが沈みました。
マイボウルを入れるバッグを購入するときも、先生が何種類か持ってきてくれて、「どれがいいですか」と聞かれたのですが、私が「良いな」と思ったものをその方が「買う」と言い、在庫はあるのだから、同じものが良いのならそう言えばいいのに、つい、「じゃあピンクの方にします」と言ってしまい、それも後でなんかくよくよ……。
いえ、すぐに「それが良い」と言えば良かったのに、その方もそれが良いかもしれないと思い、ちょっと待ってしまったんですよね。
そして、やはりその人も「それが良い」と言ったのだから、思った通りになって良かったんじゃないかと思うのに、なんかくよくよ……。
職場でも、リーダーが交代し、私同様、公共図書館から来た方なので感覚も似ているし、今まではどちらかと言えば規則規則でとても厳しいリーダーだったのですが、新リーダーは穏やかな感じの方でもあり、厳しすぎていた部分は緩和されそうで、良かったなと思いました。
でも、閉館後、勤務終了の打刻ができるまでの10分間について、新リーダーが「この時間は長いですね」と言ったことで、なんかくよくよ……。
その日の遅番は私とリーダーだったので、10分間、私と二人で話しているのは退屈だったのかなとか、全くそんなつもりで言ったわけではないことはわかっているのに、たかがそんなことでくよくよ……。
私は、できればいつか、人を励ませるような文章を書けるようになりたいとずっと願っているのですが、それなのに自分がこれでは……とか、こんな私がそんなことできるようになるのかなとか……。
そこでまた、もんたさんのことを思い出しました。
残念ながらCD化はされていない、「いてまえ」という曲を歌う前に、もんたさんが言っていた言葉を。
「これはいつも自分自身に言い聞かせている言葉」だと。
「いてまえ いてまえ どうっちゅうことなわい
いかんかい いかんかい どないでもなるわい
いてまえ いてまえ にげださんとこ
いかんかい いかんかい いかんかい いかんかい」
「にげてもうたら 終わりやん そう言ったかって
しゃあないやんか 泣き言いわんと いくしかないで
いてまえ」
「自分を信じ いくしかないで いてまえ」
その言葉を聞いたとき、ああ、もんたさんもわりとうじうじする人だったのかと思いました。(10~20年くらい前の話です。)
でも、そうだよなあ、と納得しました。
全く「うじうじ」も「くよくよ」も「いじいじ」もしない人には、他人を励ます歌など、書けるはずがないと思いますから。
今回の新しいCDにも、「イジイジしているあなたの元へ」という歌詞の歌があります。(「Calling you」)
「あの少年は今も」にも、「傷ついて苦しんで 泣き濡れて癒されて また立ち上がって」とあります。
もんたさんも苦しんで来たから、それを乗り越えて来たから、人を励ませるのですよね。
「負けんとこ」には、「時代のテンポに まるで着いて行けやしない 取り残されたみたいで 不安になって来るけれど」という歌詞もあります。
それは、もんたさんより2歳年下の、家のだんなが最近よく口にする不安と同じでした。
私には、それはまだハッキリとはわからない心境ですが、70代ってそうなのか、50代でも自分の衰えは感じているけど、もっともっと怖くなるのか……と思いました。
でも、それを乗り越えたからこそ、もんたさんは「大丈夫 大丈夫さ」と歌うことができ、人を励ませるのですよね。
私も、「全然落ち込むようなことじゃないのにすぐくよくよして、なんで私ってこうなんだろう」と思うことは多々ありますが、それを乗り越えれば、いつかもんたさんのように人を励ませるかもしれない、もんたさんが歌でやってきたことを、私は文章でできるかもしれないと、また希望を持つことができました。
昔、息子の幼稚園のママ友と共に、ほんの内輪だけの作文サークルを立ち上げたことがありますが、私の文章を読んだママ友から、「あなたの作文を読むと、私も頑張ろうという気持ちになれる」と言われたことを思い出しました。
こんな私でも、諦めさえしなければ、いつかはそんな文章が書けるようになると自分を信じて、くよくよしながらでも前進して行こうと思います。