競争原理は、自分と他人は別々であるという、分離の幻想に基づいた、ネガティブな現実の創造原理です。 | ------時給数百円のフリーターが学ぶ本当の愛

競争原理は、自分と他人は別々であるという、分離の幻想に基づいた、ネガティブな現実の創造原理です。

競争に勝つ自分の喜びは、負ける他人がいることによって成り立つ、形作られた喜びであって、本当の喜びではありません。

競争に勝つ自分と負ける自分とを、形として同時に創造することができないから、勝つ自分と負ける他人を別々に創造することによって、分離の幻想に基づいた、ネガティブな、形作られた喜びを経験しているのです。

例えば、貨幣経済のシステムにおいて、競争に勝つとは、自分が他人より多く貨幣を手に入れるということになります。

競争に負けて、貨幣の獲得量が少ない、大多数の者にとっては、必要な物を手に入れるためには、できるだけ安く、品質が良く、数が多いものを選択しなければならないということになります。

競争に負けている大多数の者は、貨幣の獲得量が少ないから、その少ない貨幣量に応じて、貨幣と物の交換基準である物価が安くなり、デフレになります。

競争に勝っているごく少数の者の貨幣の獲得量は多いですが、競争に負けている大多数の者よりも、その需要は極端に少ないために、全体の物価を上げる(=インフレになる)ほどの効果は期待できないということになります。

競争に勝っているごく少数の者が持つ、貨幣の全体に対する総量を99%、競争に負けている大多数の者が持つ、貨幣の全体に対する総量を1%とし、

ある一つの物に対する需要量が、競争に勝っている者が1%、競争に負けている者が99%であるとすると、

競争に勝っている者が持つ、99%の貨幣量に合わせて、物価を高くしてしまうと、競争に負けている者が持つ、1%の貨幣量では、高すぎて買うことができないということになります。

そして、生産・販売する側にとっては、高い値段で少数の者に売るよりも、安い値段でも多数の者に売らなければ(=薄利多売する)、競争に勝てずに負けてしまうということになります。

だから、必然的に値段を下げる競争をしなければならなくなり、デフレ状況が作り出されるのです。

デフレが繰り返されると、競争に勝っている会社の内部においても、競争に勝っている者と、負けている者との差(=経営者と労働者、社員と派遣社員・アルバイト・パートなど)が大きくなり、負けている者の貨幣の保有量は、どんどん少なくなっていきますから、最終的には、極限まで安く、つまり、ただになり、貨幣の物の交換媒体としての役目は終わりを迎えることになるでしょう。

貨幣経済のシステムにおいて、競争とは、物の交換媒体となっている貨幣を、自分が他人より多く手に入れる(=奪う)ということです。

しかし、その原理によって、競争に勝っているごく少数の者の貨幣の保有量が増えても、負けている大多数の者は、逆に少なくなり、需要の多い、負けている大多数の者の保有する貨幣量に応じてより安く物の値段が決まり、薄利多売した、その薄利を束ねて、分配する権限を持っているごく少数の者に、貨幣の大半が集中してしまい、その状態が極まると、もはや、貨幣は物の交換媒体としての機能を果たさなくなり、貨幣経済は崩壊するでしょう。

したがって、ネガティブな競争原理の基では、『すべての人が競争に勝つ』というようなことは最初からなく、自分と他人は別々であるという、分離の幻想を見ていたのですから、

それに気づいたら、ごく少数の者だけが、圧倒的な貨幣の保有量に物を言わせて、必要ない物まで、必要以上に手に入れる(=奪い合う)という競争原理ではなく、すべての者に必要な物が必要なだけ手に入る(=分かち合う)助け合いの原理で、ポジティブな現実(=本当の喜びに基づく経済システム)を創造することができるでしょう。

必要なくても、お金をたくさん持っている人が手に入れ、必要なのに、お金がないから手に入らない人がいるという矛盾が生じているのは、すでに、貨幣が物の交換媒体としての機能を果たさなくなっているのに、ごく少数の競争に勝っている者たちの意向だけで、実質は機能していないのに、ルールだけをその権限で守っているからです。

だから、競争に勝って貨幣を多く保有している者だけが、それを使って、多くの物を手に入れる(=奪う)ことができるという、競争原理に基づくルールを、必要なときに、必要なものが、必要な人に、必要なだけ手に入る(=分かち合う)、助け合いの原理に基づいた、新たなルールに変えなければならないでしょう。