思い込み(=形作られた喜び)が、恐れ(=形作られた痛み)を作り出す | ------時給数百円のフリーターが学ぶ本当の愛

思い込み(=形作られた喜び)が、恐れ(=形作られた痛み)を作り出す

例えば、牛の
口蹄疫に関する風評が出たときに、恐れ(=形作られた痛み)を感じている場合は、本当の痛みは感じていないということになります。

うまい牛肉が食べられなくなる、牛肉に関連した商売がうまくいかなくなるなどという恐れは、狭い思考の範囲の意識に限定された、思い込みにより形作られた痛み(=恐れ)にすぎないでしょう。

牛肉のステーキ、焼肉、牛丼などがうまい、牛肉に関連した商売がうまくいくなどということは、形作られた喜び(=思い込み)にすぎないということです。

口蹄疫 にかかった牛が殺処分されたと聞いて、食べられないからといって、人間の都合で牛を殺してしまってはいけないと気づいた人は、もう本当に牛肉を喜んで食べることはできないでしょう。

このように、本当の痛みを感じるということは、牛肉を食べるということが、自分にとって本当の喜びではなく、形作られた喜び(=思い込み)であったということになります。

牛肉を食べたいのなら、自分自身で牛を殺して、切り刻んでから食べなければならないとなったときに、一体、どれくらいの人が、それを実際にやって、牛肉はうまいといって喜んで食べることができるでしょうか。

多分、それは、相当、形への囚われが強く、本当に痛みに鈍くなっていないとできないことでしょう。

だから、ある状況に直面したときに、恐れ(=形作られた痛み)を感じているのか、それとも、形作られない本当の痛みを感じているのかによって、形への囚われの強さがわかる、ということになります。

恐れ(=形作れらた痛み)を感じているならば、形への囚われが強く、形作られない本当の痛みを感じているならば、形への囚われが弱いということになります。


例えば、原発がないと、電力が足りなくなり、電気料金が高くなると、企業のコストが高くなって、競争に勝てずに潰れてしまうなどと恐れ(=形作られた痛み)を感じます。

あるいは、電気が足りないと個人が便利な生活ができなくなる、電気代が高くなり、家計を圧迫するなどと恐れ(=形作られた痛み)を感じます。


自分以外の誰かや何かの本当の喜びを奪ってまでして、自分の形作られた喜びを手に入れても、その喜びは恐れ(=形作られた痛み)によって、常に、打ち消されてしまいます。

だから、思い込み(=形作られた喜び)が、恐れ(=形作られた痛み)を作り出しているのですから、その形への囚われを、気づき(=形作られた自分と、形作られない本当の自分とのずれを解消する)によって解消しなければ、いつまでたっても、本当の喜びは得られないということになるのです。