名利(=形作られた自分)を守るために、愛(=フリーエネルギーE)をネガティブな方向に利用してきた
よく
「愛を守るために名利を得てきたんだ。」
と言う人がいますが、
本当は、愛(=フリーエネルギーE)を守るために、名利(=形作られた自分m)を得てきたのではなく、
名利(=形作られた自分m)を守るために、愛(=フリーエネルギーE)をネガティブな方向(=-m)に利用してきたのだと思います。
+mは、喜びを分かち合う方向(=光=ホワイトホール)、
-mは、否定される恐れから自分を守るために、喜びを奪い合う方向(=闇=ブラックホール)
です。
だから、本当は、愛を守るためになら、
-mで喜びを奪い合う方向にではなく、
+mで喜びを分かち合う方向になる
はずなのです。
愛を守るためになら、名利(=形作られた自分)を捨てて、喜びを分かち合う方向(=+m)に、フリーエネルギーEを使うことができる、
というのが本当でしょう。
しかし、実際、そうなっていないのは、愛を守るためにではなく、名利(=形作られた自分)を守るために、愛(=フリーエネルギーE)を利用してきたから、-m(=闇=ブラックホール)となり、喜びを奪い合う方向に生きてきたということになるのでしょう。
形作られた自分が否定される恐れから、その自分を守るために、自分の側を愛(=正義=善)として、相手の側を、自分を否定して恐怖を与えるもの(=不正=悪)として、相手を否定し排除しようとすることは、結局は、形作られた自分mを守るために、愛(=フリーエネルギーE)を、ネガティブな方向(=-m)に利用するから、闇(=ブラックホール)となり、喜びを奪い合い、形に囚われた世界から抜け出すことはできないのです。
今までの人類の歴史上で、「愛を守るために・・・・・」という、一種の、愛をネガティブな方向に使うための許可宣言により、一体どれくらいの人々が、涙と血を流してきたのでしょうか?
「愛を守るために・・・・・」というときに、まず、本当は、自分が何を守ろうとしているのかを、ちゃんと見て、気づかなければならない、ということが、今、最も問われていることだと思います。
形に囚われた-mのブラックホール(=闇)から、抜け出すためには、ブラックホールの重力により、引っ張られないくらいに、形への囚われを捨てて、質量mを軽くし、+mに方向を変え(=フリーエネルギーEをポジティブな方向に使う)、光の速度Cを速くする必要があります。
簡単に言えば、ブラックホール(=闇)から抜け出すためには、自ら光るしか方法はない、ということです。
相手の方を否定し、排除しようとする方向に、フリーエネルギーE(=愛)を使ってしまうと、自分もブラックホール(=闇)になってしまいますから、抜け出すことはできません。
この簡単な理屈さえわかれば、なぜ、肯定も否定もせずに、すべてを無条件に許容しなければならないのか、ということがわかると思います。
愛(=光)を守るためだと言いながら、実際は、名利(=形作られた自分)を守ろうとして、自分の正義をふりかざして、相手の方を否定し、排除できたとしても、自分は光になるのではなく、闇になるのです。
だから、ブラックホール(=闇)から抜け出すためには、相手の側を否定し排除するのではなくて、自分も相手も含めたすべてを無条件に許容することによって、自らが-mから+mに変わり、光となる必要があるのです。
自らの意志で、そこから抜け出すことさえできれば、思考の範囲に限定されていた自分の意識が、思考の範囲を超えて拡大しますから、闇の中にいたときは、愛を守るためには、これしか方法がない、愛を守るためには、相手の喜びを奪うことも仕方のないことだと思っていた、その思い込みから、抜け出し、思いつき(=インスピレーション)と、シンクロニシティにより、相手の喜びを奪うことなく、すべてと喜びを分かち合う方向に、自分の意識の向かう方向(=エネルギーを使う方向)を転換させることができるのです。
そして、その転換点(=目安)が、2012年ということになっていますから、自らの意志でブラックホール(=闇)から抜け出す選択をした人々は、地球と一緒に、-mから+mとなり、フリーエネルギーEを、すべてと喜びを分かち合う方向に使える、パラレルワールドに移行し、
自らの意志でブラックホール(=闇)にとどまる選択をした人々は、-mのままとなり、フリーエネルギーEを、喜びを奪い合う方向にしか使えない、パラレルワールドに移行することになります。
「愛を守るために名利を得てきたんだ。」
と言う人がいますが、
本当は、愛(=フリーエネルギーE)を守るために、名利(=形作られた自分m)を得てきたのではなく、
名利(=形作られた自分m)を守るために、愛(=フリーエネルギーE)をネガティブな方向(=-m)に利用してきたのだと思います。
+mは、喜びを分かち合う方向(=光=ホワイトホール)、
-mは、否定される恐れから自分を守るために、喜びを奪い合う方向(=闇=ブラックホール)
です。
だから、本当は、愛を守るためになら、
-mで喜びを奪い合う方向にではなく、
+mで喜びを分かち合う方向になる
はずなのです。
愛を守るためになら、名利(=形作られた自分)を捨てて、喜びを分かち合う方向(=+m)に、フリーエネルギーEを使うことができる、
というのが本当でしょう。
しかし、実際、そうなっていないのは、愛を守るためにではなく、名利(=形作られた自分)を守るために、愛(=フリーエネルギーE)を利用してきたから、-m(=闇=ブラックホール)となり、喜びを奪い合う方向に生きてきたということになるのでしょう。
形作られた自分が否定される恐れから、その自分を守るために、自分の側を愛(=正義=善)として、相手の側を、自分を否定して恐怖を与えるもの(=不正=悪)として、相手を否定し排除しようとすることは、結局は、形作られた自分mを守るために、愛(=フリーエネルギーE)を、ネガティブな方向(=-m)に利用するから、闇(=ブラックホール)となり、喜びを奪い合い、形に囚われた世界から抜け出すことはできないのです。
今までの人類の歴史上で、「愛を守るために・・・・・」という、一種の、愛をネガティブな方向に使うための許可宣言により、一体どれくらいの人々が、涙と血を流してきたのでしょうか?
「愛を守るために・・・・・」というときに、まず、本当は、自分が何を守ろうとしているのかを、ちゃんと見て、気づかなければならない、ということが、今、最も問われていることだと思います。
形に囚われた-mのブラックホール(=闇)から、抜け出すためには、ブラックホールの重力により、引っ張られないくらいに、形への囚われを捨てて、質量mを軽くし、+mに方向を変え(=フリーエネルギーEをポジティブな方向に使う)、光の速度Cを速くする必要があります。
簡単に言えば、ブラックホール(=闇)から抜け出すためには、自ら光るしか方法はない、ということです。
相手の方を否定し、排除しようとする方向に、フリーエネルギーE(=愛)を使ってしまうと、自分もブラックホール(=闇)になってしまいますから、抜け出すことはできません。
この簡単な理屈さえわかれば、なぜ、肯定も否定もせずに、すべてを無条件に許容しなければならないのか、ということがわかると思います。
愛(=光)を守るためだと言いながら、実際は、名利(=形作られた自分)を守ろうとして、自分の正義をふりかざして、相手の方を否定し、排除できたとしても、自分は光になるのではなく、闇になるのです。
だから、ブラックホール(=闇)から抜け出すためには、相手の側を否定し排除するのではなくて、自分も相手も含めたすべてを無条件に許容することによって、自らが-mから+mに変わり、光となる必要があるのです。
自らの意志で、そこから抜け出すことさえできれば、思考の範囲に限定されていた自分の意識が、思考の範囲を超えて拡大しますから、闇の中にいたときは、愛を守るためには、これしか方法がない、愛を守るためには、相手の喜びを奪うことも仕方のないことだと思っていた、その思い込みから、抜け出し、思いつき(=インスピレーション)と、シンクロニシティにより、相手の喜びを奪うことなく、すべてと喜びを分かち合う方向に、自分の意識の向かう方向(=エネルギーを使う方向)を転換させることができるのです。
そして、その転換点(=目安)が、2012年ということになっていますから、自らの意志でブラックホール(=闇)から抜け出す選択をした人々は、地球と一緒に、-mから+mとなり、フリーエネルギーEを、すべてと喜びを分かち合う方向に使える、パラレルワールドに移行し、
自らの意志でブラックホール(=闇)にとどまる選択をした人々は、-mのままとなり、フリーエネルギーEを、喜びを奪い合う方向にしか使えない、パラレルワールドに移行することになります。