肯定も否定もせずに、ただ、喜びのまま在るところに、本当の自分が在る、と気付いたときに思考を超える
精神体の低次マインドである思考が、固定観念と感情を作り出します。
自分の持っている固定観念が否定されるような状況に直面すると、思考は自分を守るために、自分の持っている固定観念の方を肯定し、相手の持っている固定観念を否定し排除しようとします。
つまり、思考は固定観念によって形作られたものであり、本当の自分ではないということです。
自分の持っている固定観念が否定され排除されようとすることは、思考にとっては、自分の存在自体が否定され、無くされてしまうようなものですから、自分の存在が消失してしまうという、最大の恐れに支配され、自分の持っている固定観念よりも、相手の持っている固定観念の方を否定し排除しようとします。
だから、自分の思考の中だけに限定された凝縮された狭い意識では、自分の持っている固定観念により形作られた自分が、本当の自分であるという思い込み(=目に見える形のあるものへの囚われ)によって、自分の思考を超えた、形への囚われから自由になった、拡大した意識である、本当の自分の存在が在る、ということに気付くことができないのです。
今、自分が創造している現実を一旦すべて捨ててしまえるくらいの意識の大転換がないと、本当の自分に気付くことができないとは、今自分が持っている固定観念により、形作られた自分(=思考)が、そのまま反映されて今の現実が創造されているのですから、その反映されるものを変えるためには、形作られた自分(=思考)が今持っている固定観念を捨てて、自分の思考を超えた拡大した意識(=本当の自分)によって、新たな観念を持ち、その意識が反映された現実を見なければならないということです。
肯定も否定もせずに、ただ、喜びのまま在るとは、思考により形作られた自分(=凝縮した狭い意識)によって、自分の持っている固定観念(=形への囚われ)の方を肯定し、相手の持っている固定観念を否定・排除しようとするのではなく、思考によって固定観念を、肯定も否定もするのを止めて、凝縮した意識である固定観念の密度を、無条件に許容することによって薄くし、思考によって形作られた自分の枠を外して、意識を拡大させ、本当の自分である無条件の愛の波動と意識をシンクロさせて、形作られない、元から在る、本当の喜びに気付くということになります。
自分を守るために、思考で相手を否定して排除しようとする、強い感情に気付いたら、凝縮した固定観念により生じる恐怖がそうさせているということを、思い出してください。
自分が恥をかきたくないがために、相手の方を否定して、自分を守ろうとするのは、もう終わりにしましょう。
肯定も否定もせずに、ただ、喜びのまま在るところに、本当の自分が在ると気付きましょう。
恥をかいてもいいではないですか。
肯定も否定もされない、無条件に許容されたところに、ただ、喜びのまま、本当の自分が在る、ということに気付けるのですから................
自分の持っている固定観念が否定されるような状況に直面すると、思考は自分を守るために、自分の持っている固定観念の方を肯定し、相手の持っている固定観念を否定し排除しようとします。
つまり、思考は固定観念によって形作られたものであり、本当の自分ではないということです。
自分の持っている固定観念が否定され排除されようとすることは、思考にとっては、自分の存在自体が否定され、無くされてしまうようなものですから、自分の存在が消失してしまうという、最大の恐れに支配され、自分の持っている固定観念よりも、相手の持っている固定観念の方を否定し排除しようとします。
だから、自分の思考の中だけに限定された凝縮された狭い意識では、自分の持っている固定観念により形作られた自分が、本当の自分であるという思い込み(=目に見える形のあるものへの囚われ)によって、自分の思考を超えた、形への囚われから自由になった、拡大した意識である、本当の自分の存在が在る、ということに気付くことができないのです。
今、自分が創造している現実を一旦すべて捨ててしまえるくらいの意識の大転換がないと、本当の自分に気付くことができないとは、今自分が持っている固定観念により、形作られた自分(=思考)が、そのまま反映されて今の現実が創造されているのですから、その反映されるものを変えるためには、形作られた自分(=思考)が今持っている固定観念を捨てて、自分の思考を超えた拡大した意識(=本当の自分)によって、新たな観念を持ち、その意識が反映された現実を見なければならないということです。
肯定も否定もせずに、ただ、喜びのまま在るとは、思考により形作られた自分(=凝縮した狭い意識)によって、自分の持っている固定観念(=形への囚われ)の方を肯定し、相手の持っている固定観念を否定・排除しようとするのではなく、思考によって固定観念を、肯定も否定もするのを止めて、凝縮した意識である固定観念の密度を、無条件に許容することによって薄くし、思考によって形作られた自分の枠を外して、意識を拡大させ、本当の自分である無条件の愛の波動と意識をシンクロさせて、形作られない、元から在る、本当の喜びに気付くということになります。
自分を守るために、思考で相手を否定して排除しようとする、強い感情に気付いたら、凝縮した固定観念により生じる恐怖がそうさせているということを、思い出してください。
自分が恥をかきたくないがために、相手の方を否定して、自分を守ろうとするのは、もう終わりにしましょう。
肯定も否定もせずに、ただ、喜びのまま在るところに、本当の自分が在ると気付きましょう。
恥をかいてもいいではないですか。
肯定も否定もされない、無条件に許容されたところに、ただ、喜びのまま、本当の自分が在る、ということに気付けるのですから................