自分の外側にある喜びを手に入れることによっては、自分の内側の恐れを打ち消すことはできない。
色は物体そのものが持つ性質ではなく、当てられた光によって見え方が変わります。
自分の内側にある、目には見えない形のない恐れを打ち消すために、自分の外側にある目に見える形のある喜び(=見返り)を手に入れても、恐れを打ち消すことはできません。
本来、自分の内側に最初から在る、目には見えない形のない喜び(=光)が、自分の外側に自然ともれ出るときに、本当の喜びを感じることができます。
目に見える形のある、この物質的な現実の世界を生きることによって、形への囚われ・執着心が作り出され、その形への囚われが防壁(=ボーダー)となり、本来、自分の内側に最初から在る、目には見えない形のない喜び(=光)が、自然に外にもれ出ることを妨げるようになります。
本当の喜びは、本来、自分の内側に最初から在る、目には見えない形のない喜び(=光)が自然と外にもれ出るときに感じることができるものですから、形への囚われがあって、執着心が強いと、ボーダーが厚くなり、光(=喜び)が外にもれ出ることができずに、喜びを感じることができなくなります。
だから、自分の内側(=ボーダー)に形作られた、目には見えない形のない恐れから自分を守るために、自分の外側の目に見える形のある喜びを手に入れることによって、恐れを打ち消そうとします。
自分の外側に目に見える形のある喜びを手に入れることは、常に、見返りを求めることになります。
なぜなら、本来、喜びは自分の内側から自然にもれ出てくるものですが、自分を恐れから守るために、自分の外側に何かをすることによって、自分の外側から喜びを手に入れようとすることは、常に、その自分が外側にした何かと引き換えることによってもたらされるものであり、自然ともれ出てくるものではない、形作られたものだからです。
自分の外側の目に見える形のある喜びを手に入れようとする、形への囚われ・執着心は、恐れから自分を守るための防壁であり、恐れそのものです。
つまり、自分の内側の目には見えない形のない恐れから、自分を守るためにすること自体が恐れになっているのです。
だから、自分の内側の目には見えない形のない恐れは、自分の外側の目に見える形のある喜びを手に入れることによっては、打ち消すことはできないのです。
自分の内側の、目には見えない形のない恐れを打ち消すためには、本来、自分の内側に最初から在る、目には見えない形のない喜び(=光)が、自分の外側に自然ともれ出ることができるように、自分を守るために形作っている防壁(=形への囚われ・執着心・ボーダー)を外す必要があるのです。
その防壁(=形への囚われ・執着心・ボーダー)は、自らのすべてをゆだねることによって、外すことができます。
自分の内側に形作られた恐れは、自分の外側の目に見える形のある喜びを手に入れることによってではなく、自分の内側に本来、最初から在る、目には見えない形のない喜びを、自らのすべてをゆだねることによって、防壁(=恐れそのも)を外すことができたときに消えるのです。
