なぜ自分が、期待(肯定)する方の可能性が、現実化しないのか?
自分が期待する方の可能性が、現実化してほしいと思っていても、なぜか、否定・排除しようとしている方の可能性が現実化し、その現実と強く関わることを、余儀なくされてしまいます。
なぜなら、それは、現実の経験を通して、その否定・排除しようとしている方からも、肯定・執着する方と同じように、価値を見出すためです。
否定・排除しようとする方にも、肯定・執着する方と同じように、価値を見出し、意識のバランスを取って、無条件の愛の波動の本来の在り方と、調和することを学ぶためなのです。
肯定・執着しているものの、執着とは、否定・排除しようとして生じる、恐れがもたらしている(=影響を及ぼしている)ものです。
だから、そういう判断をすることによって生じる、意識の偏りをなくし、バランスを取るために、肯定も否定もせずに、条件付けの程度を弱くして、同じにし、どちらも同時に無条件に許容するのです。
肉体を持って人間として、この物質的な世界に生きる目的は、肉体的・物質的な現実の経験を通して、無条件の愛の波動と調和することを学ぶためなのです。
だから、そのために必要な現実の経験が、現実化するのです。
したがって、否定的な判断の方に偏っていた、自分の意識を、肯定も否定もせずにバランスを取って、無条件の愛の波動の、本来の在り方と調和できれば、もう、同じようなネガティブな可能性は、現実化しないのです。
ネガティブな現実を経験することによって、恐れや苦痛や困難を味わい続けるためにではなく、意識のバランスを取って、無条件の愛の波動と調和することによって、本当の喜びを得るために、ネガティブな可能性が現実化しているのです。
自分の意識が、形として反映されたものが、現実の経験であり、自分の意識において、影(=否定的な判断の方に偏った意識・恐れ)を光(=喜び)に変えることができれば、もう闇は、現実化されないのです。
だから、影(=否定的な判断の方に偏った意識・恐れ)を光(=喜び)に変えて、本当の喜びを得ることができるということさえ、知っていれば、恐れから自分を守ろうとして、自分が作り出している、恐れと苦痛と困難に、直面し続ける必要はないのです。
恐れから自分を守ろうとすればするほど、恐れと苦痛と困難が増大した、ネガティブな可能性が、次々に、連鎖反応的に現実化してしまうのです。
だから、その、恐れと苦痛と困難の連鎖を断ち切るためには、恐れから自分を守ろうとするのではなく、本当の喜びを得るために、すべてを無条件に許容することによって、ゆだねて、気付き、無条件の愛の波動と調和することを、学べばよいのです。
一度、気付きを得て、学んだことに関しては、もう同じようなネガティブな可能性を現実化させて、経験する必要はなくなるのです。
この地上界は、一つのネガティブな思い(意識)や、一つのポジティブな思い(意識)だけではなく、さまざまな思い(意識)が反映された世界です。
だからこそ、意識がネガティブになっている人に対して、意識がポジティブになるようにサポートして、その人の意識が、ポジティブに変わる喜びに、共鳴することができるのです。
逆に、ネガティブな意識の鏡として、反面教師になることもできます。
ネガティブな意識の反面教師も、その鏡を見る人の意識が、ポジティブに変わるサポートをしているのです。
自分の意識がポジティブに変われば、もう、そのネガティブな意識の反面教師の、自分にとっての役目は終わり、その鏡を見ることによって、ネガティブな影響を受けることはなくなります。
だから、反面教師に感謝はしても、その人の意識を変えようとして、攻撃する必要はないのです。
今度は、そのネガティブな意識の人たちを、サポートする側にまわればよいのです。
ポジティブな意識とは何かを、ありのままの鏡として、示せばよいのです。
これらの連鎖反応が起こることによって、最終的には、さまざまなポジティブな意識を反映する鏡だけになって、そのさまざまなポジティブな意識が共鳴して、喜びが拡大するのです。