過去も、今も、未来も、すべてを無条件に許容すれば、すべては喜びのもとに、今(=ひとつ)となる
例えば、過去の方が楽しかった、今は楽しくない、
だから、今、過去にした選択を変えて、未来を楽しかった過去に戻したいと思う。
その場合、楽しくない今を否定して、未来に楽しくなることを期待するために、その否定的な判断の方に偏った、楽しくない今が、ネガティブな可能性として現実化することになります。
つまり、今、過去にした選択を変えて、未来を楽しかった過去に戻したいと思っても、今を否定することによっては、楽しかった過去が戻って来ることはないのです。
なぜ、今が楽しい、今にならないのか?
それは、過去に選択をしたときにも、その過去における楽しくない今を否定して、未来に期待したからです。
未来に期待したために、今が楽しくないという否定的な判断が入り、その否定的な判断の方に偏った、楽しくない今という、ネガティブな可能性が現実化したのです。
だから、過去も、今も、未来も、すべてを無条件に許容して、肯定も否定もせずに、偏りなく、バランスが取れれば、過去も、今も、未来も、すべて楽しいという、ポジティブな可能性が現実化するでしょう。
過去、今、未来のすべての条件付けの程度が弱く、同じになるということは、すべてが今になるということです。
すべてが今になれば、条件付けの程度に差がなくなり、判断が入りませんから、今よりも過去の方が楽しかった、今よりも未来に期待しようというような、否定的な判断もなくなるのです。
つまり、すべてが今になれば、楽しくない今を否定して、過去や未来に逃げ込む必要はなくなるのです。
楽しくない今を否定するから恐れが生じ、その恐れから自分を守るために、楽しかった過去や期待する楽しい未来に、逃げ込もうとするのです。
過去、今、未来のすべてを無条件に許容することによって、条件付けの程度が弱く、同じになる。
つまり、すべてが今になります。
過去も、今も、未来も、すべてを肯定も否定もせずに、偏りがなく、バランスが取れて、すべては喜びのもとに、今(=ひとつ)であるという、ポジティブな可能性が現実化するのです。
時間も、条件付けの強さと、程度の差から、形作られている、分離と二元性による幻想なのです。
条件付けの程度を弱くし、同じにすれば、本当は、今(=ひとつ)しかないのです。
そうであるならば、楽しくない今を楽しい今に変える、突破口は、楽しかった過去や、楽しいと期待する未来にあるのではなく、今にしかないのです。
今が楽しくないと、否定することによって、楽しかった過去や、楽しいと期待する未来に逃げ込み、よく見ようとしていない、今にこそ、すべては喜びのもとに、今(=ひとつ)であるという、ポジティブな可能性を現実化するための突破口があるのです。
自らの意識が形として反映されたものを、現実として経験するのですから、楽しかった過去という形や、期待する楽しい未来という形が現実化するのではなく、楽しくない今という、否定的な判断の方に偏った、ネガティブな意識の方が現実化されるのです。