自ら望む強い意志と、自らの決断によって、恐れと苦痛の連鎖を断ち切る
思考の能動的なイマジネーションを使って、自分を守ろうとしているときは、受動的なイマジネーションを使って、自分をすべてに委ねる、すべてを無条件に許容して受け取ることができていない状態です。
思考の能動的なイマジネーションを使って、自分を守ろうとすることが、恐れを生じさせ、その恐れが、自分を守ろうとさせます。
ある状況に直面したときに、思考の能動的なイマジネーションを使って、ある特定の可能性のみを肯定・執着する場合は、他の可能性の受け取りを拒否し、抵抗しようとしています。
そして、他の可能性を否定・排除しようとする場合は、それらを隠そうとしています。
自分で自分を守らなければ、恐れにより、自分が苦痛を受けてしまうと、恐れているのです。
恐れが苦痛を生じさせ、その苦痛を恐れ、またその恐れが苦痛を生じさせ・・・・・
恐れと苦痛の連鎖が続きます。
この恐れから、自分を守ろうとすることによって生じる、苦痛の連鎖から抜け出すことができなくなります。
恐れから自分を守ろうとすることが、苦痛を生じさせます。
だから、癒す(=恐れと苦痛を消す)ためには、自分を守ろうとするのではなく、すべてに委ねる必要があります。
ある状況に直面したときに、能動的なイマジネーションにより、ある特定の可能性を肯定・執着し、他の可能性を否定・排除することによって、自分を守ろうとするのではなく、受動的なイマジネーションにより、すべてを無条件に許容して、創造の源とハートの意志に委ねるのです。
思考の能動的なイマジネーションは、創造の源とハートから、思考の受動的なイマジネーションが受け取ったものを、ありのままに表現するのが本来の働きです。
形のない全体から、形のある部分に分けて、形のある部分を組み合わせて、形のある全体に再構成するのです。
本来、思考の受動的なイマジネーションが、創造の源とハートから、インスピレーションとして受け取ったものには、部分的な形に囚われた、条件付けと判断が入る余地はありません。
思考の受動的なイマジネーションがインスピレーションを受け取る前に、思考の能動的なイマジネーションにより、自分を守ろうとして、受け取り拒否したり、隠そうとすることによって、部分的な形に囚われた、条件付けと判断が入るのです。
自分を守ろうとさせる、恐れと苦痛の連鎖を、根本から断ち切るためには、最大の恐れと、最大の苦痛を生じさせている、自我の根幹を支えている、ネガティブな観念を明らかにして、気付き、それを諦めて、無条件に許容し、ハートから合一の認識を受け取ることによって、さらに気付く必要があります。
恐れと苦痛の連鎖のもとになっている、部分的な形への囚われを、明らかにして気付き、それらの期待と判断を諦めて、それらを全体として、無条件に許容し、ハートから合一の認識を受け取ることによって、部分的な形への囚われが消失し、それに気付くことによって、恐れと苦痛が消え、癒されるのです。
能動的なイマジネーションによる、部分的な形への囚われが明らかになって、それに気付くだけでは、恐れと苦痛の連鎖を断ち切ることはできません。
能動的なイマジネーションが形に囚われている部分を、受動的なイマジネーションによって、本来の全体として、無条件に許容し、ハートから合一の認識を受け取ることによって、部分的な形への囚われが消失し、それに気付くことによって、恐れと苦痛の連鎖が断ち切られるのです。
ある状況に直面したときに、能動的なイマジネーションで、条件付けと判断をして、部分的な形に囚われていることが明らかになって、それに気付いたら、能動的なイマジネーションにより、条件付けと判断をすることによって、自分を守り続けるのか、それとも、自分で自分を守るのをやめて、受動的なイマジネーションにより、すべてを無条件に許容して、創造の源とハートの意志に委ねるのかは、自我の自由意志による選択になります。
恐れと苦痛の連鎖は、形への囚われに気付いたら、自らの意志に関係なく、自動的に解消するのではなくて、自らの自由意志による選択によって、形への囚われを消失させて、気付き、自ら断ち切らなければならないのです。
恐れと苦痛の連鎖を解消するためには、自ら望む強い意志(=意図)と、自らの決断(=自ら断ち切ると決めること)が必要なのです。
自ら望む強い意志(=意図)と、自ら望むもの以外のものを断ち切り、自ら望むものに想像力を結びつける、ハートのエネルギー(=情熱)が必要です。
自我が、創造の源とハートの意志(=意図)にすべてを委ね、自我の意志(=意図)と創造の源とハートの意志(=意図)が一致したときに、創造(=想像)に必要な自我のイマジネーションの原動力となる、ハートのエネルギーである情熱(=ワクワク感)を自我が感じ、ハート主導で受動的に、自我のイマジネーションを使って、望む現実(=ポジティブな現実)の経験を創造(=想像)することができるようになるのです。
ポジティブな現実の経験とは、創造の源とハートと自我の意志(=意図=青写真)が一致し、ハートのエネルギーである情熱が原動力となって、すべてが喜びのもとにひとつになる、現実の経験です。
ネガティブな現実の経験とは、創造の源とハートと自我の意志(=意図=青写真)が一致せず、ハートの情熱のエネルギーから分離した、ネガティブな側面である、恐れが原動力となって、すべてが恐れのもとに別々になる、現実の経験です。
そして、自我の意志(=意図=青写真)を、創造の源とハートの意志(=意図=青写真)に一致させる方法が、思考の受動的なイマジネーションにより、すべてを無条件に許容して、ゆだねる、ということになります。
自我が思考の受動的イマジネーションにより、すべてを無条件に許容して、創造の源とハートの意志(=意図=青写真)にゆだねることによって、自我の波動がハートの情熱のエネルギーに同調し、自我自身によって、恐れと苦痛の連鎖を断ち切ることができるのです。
自我が思考の能動的イマジネーションにより、部分的な形に囚われた、条件付けと判断をして、創造の源とハートの意志(=意図=青写真)にゆだねずに、自分で守ろうとすると、自我の波動は、ハートの情熱のエネルギーに同調せずに、そのネガティブな側面である、恐れのエネルギーに同調し、自我自らで、恐れと苦痛の連鎖を断ち切ると、決断することができないのです。