影の部分を明らかにして、気付いて、諦める
ある状況や出来事に直面したときに、それらから、ある特定の可能性を肯定・執着し、他の可能性を否定・排除しようとすると、影ができます。
つまり、期待し、判断すると、それが影になり、闇(=ネガティブな結果)を経験することになります。
期待する場合、特定の可能性を肯定し、執着しているので、他の可能性を否定することになります。
その場合、影を消すには、肯定している特定の可能性に対する執着を手放し、他の可能性も許容することです。
執着しているものを明らかにして、気付いて、諦めるのです。
判断する場合、特定の可能性を否定し、排除しようとします。
その場合、影を消すには、否定し、排除しようとしている可能性も、他の可能性と同様に許容することです。
否定し、排除しようとしているものを明らかにして、気付いて、諦めるのです。
今まで、ネガティブな結果を引き出していた、同じような状況や出来事に直面したときに、それらの状況や出来事から、結果として引き出される可能性に対して、期待や判断をせずに、明らかにし、気付いて、無条件に許容することによって、諦めると、影は消え、光に変わり、ポジティブな結果を引き出すことになります。
諦めることによって、自分が本来望んでいる(ポジティブな)結果を引き出すことができるのです。
諦められないことが、自分が本来望んでいる(ポジティブな)結果を引き出すことを、拒んでいるのです。
なぜなら、今までは、自分が肯定している可能性に執着し、否定している可能性を排除することが、自分が望む結果を引き出すことだと、思い込んでいたからです。
だから、自分が望んでいる(ポジティブな)結果を引き出すためには、自分が肯定している可能性に対する執着を手放し、否定している可能性を排除せずに、許容する必要があるのです。
今まで、ネガティブな結果を引き出していた、影の部分を明らかにして、気付いて、諦めることによって、ポジティブな結果を引き出すことができるのです。
自らの意識が投影するものが、影ではなく、光に変われば、それが鏡のように反映された現実の経験も、闇ではなく、光に変わるのです。
自分が何に期待し、何を判断しているかを明らかにすることが、影の部分に気付くこと、自ら愛する(=自ら照らす)ことになります。
そして、その、明らかにして気付いた、影の部分を諦めることが、無条件に許容すること、受け取り、自ら光ることになります。
期待を明らかにして、気付いて、諦める。
判断を明らかにして、気付いて、諦める。
それが、自ら照らし、自ら受け取り、自ら光る(=自らを愛する)ことになるのです。
自らを本当に愛することができるようになれば、例え、一人でいるとしても、孤独を感じることはなくなります。
なぜなら、孤独感というのは、愛に対する欠乏感から生じるものだからです。
自分以外の誰かや何かから愛をもらわなくても、まず、自らを本当に愛することによって、愛に対する欠乏感である孤独感(=影)は消えるのです。
まず、自らを本当に愛することによって、孤独感(=影)が消え、光に変われば、自らの意識が投影するものが、影によって作られていた闇から、光に変わるのです。
自らの意識が投影するものが、光に変われば、自分以外の誰かや何かに対して、期待や判断を諦めた状態になります。
つまり、まず、自らを本当に愛していますから、愛に対する欠乏感である孤独感(=影)も消えているのです。
その状態になれば、自らの愛が欠乏しているから、自分以外の誰かや何かに、期待したり、判断したりする必要がなくなるのです。
自分の行動や反応を決めるのに、自分以外の誰かや何かに、期待したり、判断したりすることによって生じていた感情に、左右されることがなくなります。
まず、自らを愛することが、自らのハート(=中心)と一体化することなのです。
自分以外の誰かや何かに期待したり、判断したりしなくなれば、自らの意識が投影する光が、鏡のように反映される現実を経験できるようになります。
まず、自らを本当に愛し、愛に対する欠乏感である孤独感(=影)を感じていない、自分の分身のような存在に出会うという、現実の経験をすることもできるのです。