終わりなき悲しみから、終わりなき喜びへ
悲しみの涙は、浄化の雨。
止まない雨はなく、終わりなき悲しみもない。
雨上がりの一瞬を逃すな。そこには、もう悲しみはない。
恐れが雲を呼び、その恐れのために形作った、ネガティブな感情と行動が、誰かを傷つけたという思いが、浄化の雨を降らせる。
そして、雨が去った後の、一瞬の澄み切った青空が、本当は誰も傷ついていなかったということを気付かせる。
それに気付いたら、終わりなき悲しみを続けるのか、それとも、終わりなき喜びを始めるのかは、君の選択しだいだ。
終わりなき喜びを選択した君は、雨上がりの一瞬の、澄み切った青空に、虹がかかっているのを見つけるだろう。
その虹の向こうの、君が傷つけたと思っている人がいるところに、行って確かめるんだ。
その虹が消えてしまう前に、実際に行動を起こして、笑顔を確かめるんだ。
虹があるから笑顔になるのではなく、笑顔があるから虹があるんだ。
終わりなき悲しみを終わらせるのは、虹が出ている間に、虹の向こうにある笑顔を、自ら確かめに行く、実際に行動を起こす、君の勇気だけだ。
そこに虹があるから、笑顔があるのではなく、そこに笑顔があるから、虹があるんだ。
それをどうして恐れるのでしょう?
その恐れが雲を呼び、ネガティブな幻想を見させ、浄化の雨を降らせるのです。
恐れを消すために必要なのは、虹の向こうに、必ず笑顔があると信じることと、実際に行動を起こして、それを確かめに行く勇気だけです。
君が傷つけたと思っている相手が、君に笑顔を見せに来るのを待つのは、虹の端が、君のところにやって来るのを待つようなものです。
待っている間に虹は消え、癒しの機会を逃すでしょう。
君の歌は、単なる気休めのためだけのものではない。
君の歌は、君の信念そのものだから、あとは、その信念を、実際に行動に移す勇気を持つんだ。
君の勇気は、雨上がりの、澄み切った青空とともにあり、君の喜びは、虹とともにあります。
君の恐れは、曇った空とともにあり、君の悲しみは、浄化の雨とともにあります。
君の信念は君の歌の中にあり、君の行動は、見上げた空とともにあります。
だとしたら、君が行動を起こすのに、一体誰に聞く必要があるのでしょう?
恐れ、悲しみ、喜び、信念、勇気、行動・・・・
それらのすべては、いつも君とともにあるのです。
なぜなら、君の経験する現実のすべては、君が創造しているからです。
虹はすぐに消えてしまう、手の届かないものではなく、君の意識の反映なのです。
そこに虹があるから、君が笑顔になるのではなく、君が笑顔になるから、そこに虹があるのです。
だから、虹が出るのを待つ必要はありません。
君が今、この瞬間に笑顔になれば、空には、虹が出て、その虹の向こうに行けば、君の笑顔が、鏡のように反映された、君の分身がそこにいるのです。
終わりなき悲しみを終わらせ、終わりなき喜びを始めるのに、必要なのは、虹の向こうには、必ず笑顔があるという信念と、実際に行動を起こして、それを確かめに行く勇気だけなのです