恐れではなく、喜びの連鎖の中で生きる | ------時給数百円のフリーターが学ぶ本当の愛

恐れではなく、喜びの連鎖の中で生きる

「自分が生き残るためには、自分以外の誰かや何かを犠牲にしてもかまわない。」


というネガティブな観念から意味づけした場合、


恐れにもとづく、ネガティブな意味づけの連鎖のピラミッドが形作られます。



△ネガティブな意味づけの連鎖のピラミッドでは、


上に位置するほど、恐れが強く、肉食度が高くなり、下に位置するほど、恐れは弱く、草食度が高くなります。


ネガティブな意味づけの連鎖のピラミッドは、多数の草食系が、少数の肉食系を支えるピラミッドになります。


多数の草食系が、少数の肉食系を支えるために、直接、自らの手を血で染めて、自分自身や自分以外の誰かや何かを犠牲にして手に入れたものを、分配するピラミッドは、草食系が肉食系を支えるピラミッドとは、逆のピラミッドになります。


つまり、人間の肉食系は、自分の手は血で染めることなく、草食系の手を血で染めさせて、草食系よりも多くの肉を喰らうのです。


肉食系の取り分を維持あるいは増やすために、草食系は、常に、無駄な競争を強いられ、その競争で発生した損失(=無駄)は、草食系の取り分を少なくするか、草食系を切ることによって調整されます。



肉食系は、自分以外の誰かや何かを犠牲にする、ピラミッド構造の上に位置するために、草食系よりも強い恐れを持っています。


肉食系は、その恐れを隠すために、必要以上に肉を喰らい、肉体的・物質的な快楽を満たすことによって、苦痛を感じないようにしています。


草食系は、恐れは弱いけれども、肉食系の取り分を維持するために、直接、自らの手を血で染めて、自分自身や他の誰かや何かを犠牲にするので、苦痛を強く感じます。


草食系は、その苦痛がプレッシャーとなり、恐れにもとづく、ネガティブな意味づけの連鎖の、土台となっている、「自分が生き残るためには、自分以外の誰かや何かを犠牲にしてもかまわない」というネガティブな観念を、ポジティブな観念に変えなければ、本当の喜びは得られないと気付きます。


恐れにもとづく、ネガティブな意味づけの連鎖から、喜びにもとづく、ポジティブな意味づけの連鎖に変えるのです。


最初に、土台となる恐れがあって、喜びがないから、恐れを肉を手に入れることに変えて、その肉によって、肉体的・物質的な快楽を満たし、苦痛を感じないようにしているのです。


恐れにもとづくネガティブな意味づけの連鎖により、恐れによる支配のピラミッド構造(=草食系が肉食系を支え、肉食系が肉食を維持するための分配をする構造)が形作られています。


最初に、土台となる喜びがあって、ただ、その喜びのままに生きることによって、肉をくらわなくとも、自分の喜びが、自分以外の誰かや何かの喜びにつながっていく、喜びにもとづく、ポジティブな意味づけの連鎖に変えるのです。


まず、最初に、肉と切り離して、自分にとっての喜びが、本当は何なのかに気付いていくのです。


少しずつでいいのです。


そうすれば、最初は自分だけの小さな喜びであっても、その小さな喜びが連鎖して、自分だけの喜びを超えて、自分以外の誰かや何かの喜びにつながっていく、喜びが連鎖するのです。


肉を喰らわなくとも、純粋な喜びを感じることができることに意味づけしていく。最初は自分だけの小さな喜びでかまわない。


なぜなら、喜びは喜びにつながっていく、連鎖して拡大していくからです。


その喜びの連鎖の過程で、ポジティブなエネルギーが拡大し、恐れにもとづいてやっていたことを支えるネガティブなエネルギーが縮小していけば、今まで、恐れにもとづいてやっていたことには、まったく意味づけができなくなって、何も感じなくなり、何もやる気がなくなります。


そのときには、ポジティブなエネルギーがネガティブなエネルギーより拡大して、恐れに打ち勝っていますから、恐れにもとづく、ネガティブな意味づけの連鎖のピラミッドから抜け出すことができるのです。


肉を喰らわなくとも、喜びの連鎖の中で生きていけます。



喜びの連鎖が拡大していけば、恐れの連鎖のピラミッドを支えていた、ネガティブなエネルギーがなくなり、恐れにもとづいて維持されていたものが、すべて崩壊していきます。


そして、その代わりに、喜びが土台となり、喜びの連鎖によって、ポジティブなエネルギーが支える、新たなものが創造されていくのです。



恐れにもとづく(恐れが土台となる)ネガティブな意味づけの連鎖。


喜びにもとづく(喜びが土台となる)ポジティブな意味づけの連鎖。


恐れは喜びには、連鎖しない。


喜びは恐れには、連鎖しない。


恐れは恐れに連鎖し、喜びは喜びに連鎖する。



恐れと喜びのどちらを土台にして、意味づけを連鎖させていくかの選択なのです。