どうすれば、本当の喜び(感動)が得られるのか?
自然破壊を例にして、どうすれば、本当の喜び(感動)が得られるのかを、考察してみたいと思います。
精神体が、感情体が自然の美しさを感じることを、抑圧(否定)してきた。
精神体が、人間が生きるためには、自然の美しさを破壊して、人間の都合のよいように、利用してもよいと考え、そのためには、感情体が自然の美しさを感じることを、否定(抑圧)してもよい、犠牲にしてもよいと考えた。
つまり、精神体の、自然の美しさを破壊して、人間の都合のよいように、利用してもよいという考えは、単に、自然を破壊しているだけではなく、自らの感情体を否定(抑圧)し、犠牲にしている、ということなのです。
精神体が、感情体と分離して、自然を破壊することは、自己否定であり、すべてが喜びのもとに、ひとつとしてあるという、本当の喜びの感覚を、押し殺して生きていることになります。
その自己否定が強いと、例え、自然が人間によって破壊されていないところに居たとしても、本当の喜びの感覚(感動)は、戻って来ません。
なぜなら、形として、投影されているものは、幻想であり、自らの意識が、自己否定により分離していることが、真実だからです。
だから、自然の美しさをありのままに感じて、本当の喜びの感覚(感動)を得るためには、自らの感情体を否定(抑圧)し、犠牲にして、自然を破壊し、利用してもかまわないという、精神体の持つ、無条件の愛から分離した観念(意識の波動)を、自らの感情体を否定(抑圧)せずに、精神体も、感情体も、肉体も、自然も、すべては、喜びのもとに、ひとつとしてあるという、合一の観念(意識の波動)に変えなければならないのです。
その合一の観念(意識の波動)にもとづいて、ハート主導で思考を使って、肉体のレベルで行動・反応するように、自我(精神体・感情体・肉体)の意識が変われば、自己否定(抑圧)されて、恐れのために、無感動となっていた感情体が、すべては喜びのもとに、ひとつとしてあるという、本当の喜びの感覚(意識の波動)を取り戻し、自然の意識の波動とひとつになって、感動する(喜びの意識の波動がひとつになって、振動数が高くなる)ことができるのです。
恐れがあって、喜びがないから、肉体的・物質的な喜びを形作ろうとするのではなく、それぞれの喜びの意識の波動があって、それらの意識の波動が、喜びのもとに、ひとつとなって、喜びの振動数が高くなるから、感動するのです。
純粋な喜びの意識の波動どうしであれば、それらの意識の波動は、形を超えて、喜びのもとに、ひとつとなり、一体化し、調和して振動数を増すのです。
ここで、自我(精神体・感情体・肉体)意識の中で、実際に、肉体のレベルで行動・反応するという、肉体の意識が重要になってきます。
自我の三つの意識の波動が合わさって、自我固有の波動となり、その波動が反映された現実を経験するのですから、精神体の信じていることと、肉体のやっていることが違っていれば、感情体の感じることは、本当の喜びにはならないからです。
精神体が、どんなに、自然を破壊することに対して、ポジティブな観念(意識の波動)を持っていたとしても、肉体のレベルで、その観念にもとづいた行動・反応をしなければ、感情体において、本当の喜びの感覚は得られません。
自我の構成要素である、精神体・感情体・肉体の三つの意識の波動のそれぞれが、すべて、恐れの意識の波動ではなく、喜びの意識の波動に変わらなければ、すべては、喜びの意識の波動のもとに、ひとつとしてあるという、本当の喜びの意識の波動にはならないからです。
精神体の信じていること(観念)と、肉体のとっている行動・反応と、感情体の感じていることとが、自己否定のために分離し、バラバラであれば、本当の喜びを感じることはできないのです。
だから、自我の構成要素である、精神体・感情体・肉体の三つの意識の波動が、自己否定せずに、喜びのもとに、ひとつとなったときに、本当の喜び(感動)が得られる、ということになります。