精神体と感情体の分離が、観念の分離を強化する | ------時給数百円のフリーターが学ぶ本当の愛

精神体と感情体の分離が、観念の分離を強化する

精神体の持つ観念が、無条件の愛から分離した場合に、恐れを感じるのは、感情体であり、精神体は、恐れを感じませんから、精神体は、無条件の愛から分離した、どんなにネガティブな観念でも持つことができます。


自我の構成要素である、精神体と感情体が機能の上で、分離しているために、精神体において、どんなに、無条件の愛から分離した観念でも持つことができます。



精神体主導で、思考を使って、感情体を抑圧(固定)して、引っ張り、引き離そうとすると、そのストレス(緊張)により、感情体に歪みが蓄積されます。


この場合、感情体が抑圧されますので、抑うつ(気分が沈みこむ・無感動・不安感)の状態になります。


感情体が感情的・感覚的にしたいと思わないことを、精神体が思考を使って、しなければならない、という強迫観念を持って、無理に、周囲の環境に適応しようとしますので、感情体と精神体の分離が大きくなり、精神体の持つ観念の分離が強化されます。


精神体主導で、思考を使って、感情体との分離が大きくなると、その分離を止めようとする作用が生じ、適応拒否する場合には、精神体は思考をうまく使えなくなるので、無気力になります。


つまり、精神体主導で、思考を使って、感情体を抑圧(固定)して、引き離そうとして、引っ張り過ぎると、伸びきったゴムのようになってしまい、精神体において、思考をうまく使うことができなくなり、何もしないことによって、感情的・感覚的にやりたくないことでも、知的・理性的にやってしまうという、矛盾に気付こうとする作用が生じます。



感情体主導で思考を使って、精神体を抑圧(固定)して、引っ張り、引き離そうとすると、そのストレス(緊張)により、精神体に歪みが蓄積されます。


この場合、精神体が抑圧されますので、躁(恐れがあって、喜びがないから、喜びを作り出そうと騒ぎ立てる)の状態になります。


精神体が知的・理性的にしたいと思わないことを、感情体が思考を使って、感じている恐れを打ち消すために、ない喜びを形作るために、欲望(肉体により密接した感情体が肉体的・物質的な快楽を求める)に執着して、周囲の環境に適応しようとしますので、精神体と感情体の分離が大きなり、精神体の持つ観念の分離が強化されます。


感情体主導で、思考を使って、精神体との分離が大きくなると、その分離を止めようとする作用が生じ、適応拒否する場合には、感情体は、うまく思考を使えなくなるので、無気力になります。


つまり、感情体主導で、思考を使って、精神体を抑圧(固定)して、引き離そうとして、引っ張り過ぎると、伸びきったゴムのようになってしまい、感情体において、思考をうまく使うことができなくなり、何もしないことによって、知的・理性的にやりたくないことでも、感情的・感覚的にやってしまうという、矛盾に気付こうとする作用が生じます。



精神体と感情体の分離が大きくなり、伸びきったゴムのようになってしまったら、精神体または感情体主導で、その伸びを元に戻すのは、難しくなります。


伸びきったゴムのようになってしまった原因が、精神体の持つ観念が、無条件の愛から分離しているために、精神体と感情体のそれぞれで、矛盾が生じ、その矛盾を、精神体と感情体が、それぞれ別々に思考を使って、解消しようとしたためですから、ハート主導で、思考を使って、精神体の観念の分離の解消(気付き)をしなければならないのです。



感情体において、感情的・感覚的にしたくないことを、精神体主導で思考を使って、知的・理性的に、無理にしようとする。


感情体において、感情的・感覚的にしたくないことは、精神体主導で思考を使って、知的・理性的に、無理にしなくてもよい、と暗示して、精神体主導で思考を使って、感情体を抑圧する状態を解除する。


ここで、暗示とは、精神体に対して、暗に示すことであり、精神体のみ肯定して、感情体を否定するという、暗に支配する、無条件の愛からの分離ではなく、精神体も感情体も、どちらも同時に無条件に許容するという、無条件の愛を示すことです。


精神体において、知的・理性的にしたくないことを、感情体主導で思考を使って、感情的・感覚的に、無理にしようとする。


精神体において、知的・理性的にしたくないことは、感情体主導で思考を使って、感情的・感覚的に、無理にしなくてもよい、と暗示して、感情体主導で思考を使って、精神体を抑圧する状態を解除する。


ここで、暗示とは、感情体に対して、暗に示すことであり、感情体のみ肯定して、精神体を否定するという、暗に支配する、無条件の愛からの分離ではなく、感情体も精神体も、どちらも同時に無条件に許容するという、無条件の愛を示すことです。



そして、感情体または精神体の、一方のみ肯定して他方を否定するという状態を解除できたら、精神体の持つ観念が、無条件の愛から分離せずに、精神体と感情体の、どちらも同時にひとつとして働き、矛盾の生じないことを探してやってみればよいのです。


精神体または感情体のどちらか一方を、どちらかの主導で、思考を使って、抑圧しなくてもよい状態になれることを探すのです。



それは、創造の源とハートの純粋な光の波動が奏でる、完璧なメロディ(喜びに満ちた振動)を聴いて、その波動に、自我も一体化して調和する波動を持って、ありのままに、歌い、話し、描き、書き、つくり、動き、感じ、考え、憩い、休み、安らぎ、・・・・・・


すべては、本来の在り方は、喜びに満ちている(=すべてが喜びのもとにひとつとしてある)のですから、ただそれを、自らが制限せずに、自由に表現(経験)すればよいだけなのです。