自我(闇、悪)とハート(光、善)という、対になったひとつの観念(人間)について考察する
まず、自我(=闇、悪、形作られた心)とハート(=光、善、形を超えた自分の本当の生きた心)という、対になったひとつの観念(=人間)があるとします。
自我が自我を肯定し、ハートを否定する。
あるいは、
自我 がハートを肯定し、自我を否定する。
この場合は、どちらか一方を肯定・執着し、他方を否定・排除するという判断をしていますから、その判断が影となり、ハート(=光、善)から、自我(=闇、悪)が分離して、自我(=闇、悪)が表に姿を現わし、自我主導の調和のとれていない人間(=観念)となります。
そして、どちらか一方というような条件付けや、肯定・否定などの判断が、一切ない場合は、ハート(=光、善)と自我(=闇、悪)は一体化していますので、表にはハート(=光、善)が姿を現わし、ハート主導の調和のとれた人間(=観念)となります。
一人の人間(=ひとつの観念)としては、ハート(=光、善、形を超えた自分の本当の生きた心)と自我(=闇、悪、形作られた心)が、一体化したときには、表にハート(=光、善、形を超えた自分の本当の生きた心)が現れ、ハート主導の調和のとれた人間(=観念)となり、分離したときには、表に自我(=闇、悪、形作られた心)が現れ、自我主導の調和のとれていない人間(=観念)になる、ということなのです。