本当の自由と責任について考察する | ------時給数百円のフリーターが学ぶ本当の愛

本当の自由と責任について考察する

自由とは、 文字通り、自ら由(よし)とするところに従って生きる、ということです。



つまり、自らの、自由意志に従って生きる、ということです。



そして、責任とは、その自由意志に従って生きる自分を、責めずに任せる、ということです。



自由意志に基づいて選択して決めた場合、そのことによって経験するすべてのことを、自分以外の他の誰かのせいで、自分がそのような経験をしていると、責任回避はできないのです。


すべて自分のせいです。



すべて自分の責任、自分に原因があるのですから、自らの、自由意志で調和を望むのなら、自分以外の他の誰かを変える必要はなく、自分自身が、調和するように、変わらなければならないのです。



逆に、自らの、自由意志で調和を望まないのなら、自分以外の他の誰かを変える必要はなく、自分自身も、調和するように変わる必要がない、ということになります。



一切の条件や制限を付けずに、どちらも同時に、すべてがひとつとして、可能性が許容されているのが、本当の自由に基づく、ハートの合一の、絶対的な、完全な自由意志です。



どちらか一方という条件や制限を付けて、もう一方の面の可能性を否定し、排除するのは、不完全な自由(支配)に基づく、自我の、相対的な、不完全な自由意志です。



どちらか一方という相対的な、不完全な認識をする、自我の不完全な自由意志に任せると、自分自身にではなく、自分以外の外に原因があるとして、責任を転嫁、放棄してしまいます。



この現実の世界を生きて行くうえで、何が一番大切か?と聞かれたら、自らの、心の持ち方だと答えます。


ここでいう、心の持ち方とは、自ら、より完全な調和の方向に向かうんだという、より完全な自由意志と、それを支える、より完全な認識を持つ、ということです。


そして、自らの、心の持ち方さえ、より完全な調和の方向に向かっていれば、他人からたとえ、見かけ上、逆境と言われるような状況にあっても、必ず、すべてが、より完全な調和の方向に向かって行くと信じています。

だから、より完全な調和を求めるのならば、ただ、何もせずに、待っていれば救われるというような、自我の、他力本願の、不完全な自由意志のままではだめで、ハートで、自ら助ける、自力本願の、完全な自由意志であれば、救われるというのが、決まりだと思います。



つまり、自らの認識(心の持ち方・意識)を変えるものが、より完全な調和の方向に向かうということです。



自ら意識を変えたものが、その自らの意識が反映された、より完全な調和の方向に向かう経験のできる、今もすでに同時に存在している、別の現実の世界へシフトする。



自ら意識を変えようとしないものは、今のまま、不完全な調和を経験する現実の世界にとどまる。



なぜなら、より完全な調和の方向に向かうということは、自分以外の、他の誰かではなく、自らの意識を変えるということだからです。



より完全な調和を望まないのならば、自らの意識を変える必要もないし、自分以外の他の誰かの意識を変える必要もないのです。




本当の自由とは、


自ら由(よし)とするところの、自らの、自由意志に従って生きる、ということです。


本当の責任とは、


そこで生じた経験の原因が、自分以外の、他の、外のものにあると、責任を転嫁して、放棄するのではなくて、ただ、自ら由(よし)とした、自らの自由意志に従った自らを、責めずに、任せるということなのです。



たとえ、自らの自由意志で、どんな選択をしたとしても、自ら由(よし)としたのですから、自らを責めずに任せることができるはずなのです。