自我は、ハートが、無条件の愛を形・肉体・個性として表現するための機能です | ------時給数百円のフリーターが学ぶ本当の愛

自我は、ハートが、無条件の愛を形・肉体・個性として表現するための機能です

ハートは、自我という、形・肉体・個性の表現機能を使わないと、目に見える形あるものとして、この現実の世界に自分の意志を表現することはできません。


自由意志というときには、本来は、ハートの自由意志のことですが、ハートがその意志を、形・肉体・個性として表現するときには、肉体により密接した意識である、自我の機能を使わなければなりません。


そのときに、自我の持つ観念が、どちらか一方という、形に囚われている場合には、ハートの合一の認識との整合性がなく、調和しないので、自我とハートが意識として、分離してしまい、ハートの意志というよりも、自我の意志として、表現されてしまう場合があります。


つまり、その場合は、ハート主導ではなく、自我主導で、思考を使ってしまうということです。だから、自我の相対的な不完全な認識方法による、不完全な自由意志となり、どちらか一方という条件付け、制限のある自由意志の表現ということになります。



一方、自我の持つ観念に、どちらか一方という条件付けや制限がなく、ハートの合一の、絶対的な完全な認識と整合性があり、調和しているときには、自我とハートは、意識として分離していないので、どちらか一方という条件付けや制限のない、ハートの完全な自由意志として、肉体により密接した自我意識の機能を使って、形・肉体・個性として表現することができます。


つまり、その場合は、自我主導ではなく、ハート主導で、思考を使っているということです。



内から外に、何かを表現する必要のないときには、ハートは、ただ在るものとして、自我意識の機能(記憶と思考)を使う必要はありません。


しかし、ハートが、内から外へ、形・肉体・個性を使って、何かを表現するときには、肉体により密接した意識である、自我意識の機能を使わなければできません。


肉体により密接した自我意識の機能を使わなければ、言葉も話せない、字も書けない、ブログも書けない、身体の感覚を使って、何かを感じたり、表現することもできないということになり、肉体を使って、何の意志表示もできずに、眠った状態のままになり、自分自身で、肉体的な生命を維持することさえ、困難になってしまいます。



つまり、自我意識の機能は、ハートが自らを、独立した、肉体的な個性をもった自己として認識するときの機能ということになります。


自我意識の機能とは、ハートが、肉体的に、自らを我であると、認識するための機能、ということなのです。



ハートの在り方には、静と動の両面があります。


静のときは、心の安らぎ、穏やかさ、優しさなどの感覚を持ち、思考を使って意識を外に表現するのをやめ、自我意識の機能を弱めている状態。これは、睡眠の状態に入ると、自我意識は薄れることから理解できると思います。夜、深く眠っている間のことは、肉体的な自我意識は、はっきりと認識していない、ということからも理解できるでしょう。


動のときは、心の高揚感、躍動感、情熱、強さなどの感覚を持ち、ハート主導で思考を使って、意識を外に表現し、自我意識の機能を通して、肉体的な活動をすることができます。これは、睡眠から覚め、薄れていた自我意識が活動をし始める、毎朝の体験を通して理解できると思います。



だから、ハートが、自らの意識を、内から外に、肉体的な個性を使って表現するときには、自我意識の機能を通して表現しますが、そのときに、自我が、ハートの合一の認識と調和していない、分離した観念を持っているときには、ハートと自我の意識が分離してしまい、ハートの完全な自由意志が、自我の不完全な自由意志として表現されてしまう、ということなのです。