固定観念に意志があるのではなく、観念を持つ自我・ハートに意志がある | ------時給数百円のフリーターが学ぶ本当の愛

固定観念に意志があるのではなく、観念を持つ自我・ハートに意志がある

本来であれば、自我の自由意志に基づく選択により、自我の望む観念を持ちます。



ルールでは、自我の自由意志を排除して、集団に共通の固定観念を持たせ、それを守らせます。



これが、今まで、大人の男/性の自我が築き上げて来た、形に囚われ、人間の自由意志を排除して、予め定められた固定観念を持たせ、支配することによって、調和させようとする、不完全な観念システムです。



大人の男/性の自我が、自分以外の者の自由意志を排除して、支配(管理)することによって、自分自身の自由を得ようとしています。



だから、その不完全な調和の観念システムの中では、支配(管理)される側よりも、支配(管理)する側になって、自分が誰よりも自由になろうと、自分以外の者の自由意志を排除することを競いあっています。



しかし、そのやり方では、本当の自由は、得られません。



予め定められた固定観念の集合体(ルール)に囚われて、自分自身の自由意志との間で、常に、矛盾が生じ、その葛藤の中で苦しみながら、表面上、調和を保とうと、協調しようとしていますが、内面では、常に、本当の自由を求めています。ハートが、自我に、葛藤という苦しみによって、本当の自由を求めるよう促しているのです。


本当の自由とは、認識における自由のことです。


自我の因果律に基づいた、相対的な不完全な認識を超えて、ハートの合一の、因果律を超えた、絶対的な認識を得ることです。


今まさに、今まで、大人の男/性が築き上げてきた、自由意志を排除した、固定観念の集合体(ルール)に基づく、不完全な調和システムが崩壊しようとしています。


今まで、その不完全な調和の、観念システムの中で味わってきた、多くの矛盾が、大きな歪みとして蓄積されていましたから、その歪みが表面に現象として現れ、見せ掛けの調和、形だけの調和が壊れ始めています。


この自我の存在の危機を回避するために、自我の因果律に基づいた、形に囚われた、相対的な認識方法のままでは、自我は、自分が持っている固定観念の方を肯定し、それに反するものは、否定して攻撃しようとしますから、自我の心の中の状態が、そのまま、相手に投影されて、自分自身で恐怖や怒りの感情を引き起こすことになります。


その恐怖や怒りを外に向けてしまったら、崩壊していく、固定観念の集合体の、不完全な調和システムと共に、自分の存在も崩壊してしまうことになりかねません。


だから、恐れや怒りに気付いたら、因果律を超えたハートの合一の認識に戻るチャンスなのです。



ここで、なぜ、宗教戦争が起こるのか考察してみましょう。



それは、宗教の教義が、人間の自由意志を排除した、固定観念の集合体(ルール)だからです。


自分の信じる、宗教の教義である、固定観念の集合体(ルール)を基準として、それに反しているもの、それと整合性のないものは、すべて否定し、排除しようとするからです。


自我の存在の危機を回避するために、自らを肯定し、他を否定するという、自我の因果律に基づく、相対的な不完全な認識方法によって、形作られた教義だからです。


教義の中に自由意志を認めてしまうと、教義の中に書かれている固定観念と、反対のことも認めるという矛盾を含んでしまい、自我が葛藤を引き起こし、存在の危機を招いてしまいますから、自我の防衛本能として、それは認めないということになってしまいます。


その教義に対する思い込み、妄信が強ければ強いほど、その思い込みと整合性のないものを否定し、排除しようとする、自我の防衛本能が強くなるのです。


自我が、自由意志を排除して、支配することにより、自我の存在が否定されること、自我の存在の危機を回避して自由になろうとします。


教義の中に、表面上、形としては、どんなに調和的なことが書かれていたとしても、ある瞬間には、内面では、恐れや怒りに支配されて、本当に自由ではないのです。認識における自由の壁にぶつかっているのです。


本当は、心の自由、心の安らぎを求めているはずなのに、大きな矛盾を孕んでいます。



大人の男/性の自我が、築き上げてきた、固定観念の集合体(ルール)に基づく、不完全な調和のシステム。



大人の男/性の自我ほど、その中に入り込んでいるので、その矛盾の中で、葛藤した経験が、認識における自由の壁があることに気付かせます。大人の男/性の自我こそ、その認識の壁を超えて、因果律に囚われない、ハートの合一の絶対的な認識を取り戻し、認識において、本当に自由になる必要があります。


そうすれば、今まで、大人の男/性の自我が、築き上げてきた、不完全な認識方法に基づく、不完全な調和のシステムを、ハートの完全な認識方法に基づく、完全な調和システムに変えていくことができます。


女/性や子供の自我は、男/性の自我ほどには、不完全な調和のシステムには入り込んでいませんから、社会を構成する調和システムが、不完全なものから完全なものに変わっていけば、無理なく、そのシステムの中で、ハートの合一の認識方法を使って、調和することができます。