観念と幸福感のエネルギーとの関係について再考する。 | ------時給数百円のフリーターが学ぶ本当の愛

観念と幸福感のエネルギーとの関係について再考する。

以前、考察した、観念と幸福感のエネルギーについて、僕自身の認識の壁と表現の壁のために、かなり、矛盾を生じていたので、再考させていただきます。



自我が、形に囚われて、対になっているひとつの観念の一方の面を肯定(執着)して、他方の面を否定(判断)しているときには、自我が、それらを合一として認識する、ハートとの分離を引き起こし不調和となり、無条件の愛が、ネガティブな方向に作用して、相対的な幸福感のエネルギーが縮小(共有範囲が狭くなる)・減少(幸福感の減少)します。



自我が、対になっているひとつの観念に関して、どちらか一方を肯定し、他方を否定するという、形に囚われていなければ、どちらも同時にひとつであり、すべてであるという、ハートの合一の認識と調和するので、無条件の愛がポジティブな方向に作用して、絶対的幸福感のエネルギーとなり、他の観念の集合の中で、相対的に働くときには、相対的な幸福感のエネルギーが拡大(共有範囲が拡がる)・増加(幸福感が増加)します。



自我が、対になっているひとつの観念の一方の面だけを肯定し、もう一方の面を否定すると、ハートの合一の認識と矛盾するために、恐れや疑いなどのネガティブな感情が湧いて来ます。


その矛盾が生じる原因は、自我が本来、対になっているひとつの観念を、別々のものとみなし、相反する(相対的な)認識を持っているために、合一の(絶対的な)認識を持っているハートとの間に、認識の(分離の)壁があるからです。


だから、その矛盾を解消するために、観念をひっくり返して、自我とハートとの、認識の分離の壁を解消し、自我もどちらか一方という、形に囚われた相対的な認識ではなく、ハートの合一の、絶対的な認識を得れば、自我とハートとの認識の間には、差がなくなり、矛盾は生じなくなります。そうなれば、自我が、その観念のどちらか一方の面を提示されても、恐れや疑いなどのネガティブな感情は、湧いてこなくなるのです。


その観念については、恐れや疑いなどではなく、安心感、心の安らぎなどのポジティブな感覚を持つことができるようになります。


そして、その観念をひっくり返すアプローチが二つあるということです。


幸福というひとつの観念について見た場合、幸福があるという面を基準面(肯定・執着)に持つ場合と、幸福がないという面を基準面(肯定・執着)に持つ場合です。


自我が基準面として持つ面の、反対の面を否定する度合いが強くなればなるほど、どちらか一方という形への囚われが強くなり、合一の認識を持つハートとの分離(不調和)の度合いが増し、無条件の愛が、ネガティブな方向に作用して、恐れや疑いなどのネガティブな感情が強くなり、相対的な幸福感のエネルギーが縮小(共有範囲が狭い)・減少(幸福感が減少)します。


逆に、自我が基準面として持つ面の、反対の面も同時に肯定する度合いが強くなればなるほど、どちらか一方という形への囚われが弱くなり、合一の認識を持つハートとの分離の度合いが弱くなり、調和の度合いが増し、無条件の愛が、ポジティブな方向に作用して、恐れや疑いなどのネガティブな感情が弱くなります。そして、その代わりに、安心感や心の安らぎなどのポジティブな感覚が持てるようになる。つまり、相対的な幸福感のエネルギーが拡大(共有範囲が拡がる)・増加(幸福感が増加)します。



結局は、幸福があると、幸福がないの、どちらの面を基準面(肯定・執着)として持っていても、観念をひっくり返すこと(分離から合一にすること)による、同じ気付きのプロセスとなります。


本当は、ハートの合一の、絶対的な認識からすると、どちらがどちらという、相対的な違いはないのです。


違いがあると思っているのは、ある観念について、自我が、合一の認識を持つハートと分離したままで、相対的な認識の壁に突き当たっているからなのです。