思考・自我・ハートを定義して、気付きのプロセスを考察する
まず、 思考・自我・ハートをそれぞれ定義してみます。
思考のうち「思う」自分は、感じ取ろうとする自分(感覚的・直観的なイメージ能力、全体同時把握能力)
思考のうち「考える」自分は、形作ろうとする自分(分析能力、言語化能力、部分的把握能力)
自我は、形作ろうとする自分が、記憶の中に形作った心
ハートは、形作られた記憶を超えた、自分の本当の生きた心、実在、無条件の愛のエネルギー
それでは、ある観念をひっくり返す、気付きのプロセスを考察してみます。
①ある観念を提示されると、疑いや恐れの感情を感じる。
②その疑いや恐れの感情がどこにあるのか、まず、自我主導で、思考の思う(感覚的・直観的なイメージ能力、全体同時把握能力)働きと、考える(言語化能力、分析能力、部分的把握能力)働きを使って、思いを巡らす、考えを巡らして、思考の焦点を当てるべきところを探す。
③自我主導では、原因がどこにあるのかを、思考を巡らして焦点を当てるべきところを探しても、意識が分散するだけで、原因がどこにあるのか分からないという、自我の認識の壁(=ハートとの分離の壁)、認識の限界に突き当たる。自我主導で原因がどこにあるのか、思考を巡らして、探っていると、ただ、認識の壁、認識の限界があることに気付く。ここで、焦点を当てるべきところがどこなのかを、まず認識できたことになります。
④そこで、自我主導で、思う働きと、考える働きを使うのを止める。
原因がどこにあるのか肯定(執着)も否定(判断)も一切しない。思い考えることを止める。
その思わない(イメージしない、イメージすると、身体の感覚をイメージせずに弛緩・リラックスすることができない)、考えない(イメージを言葉にしない、意識を分散から集中に切り替える)状態が極まる(分散から集中、緊張から弛緩へ移行する)と、焦点を当てていた認識の壁(自我とハートの分離の壁)が外れる。分散していた自我意識の焦点が、0ポイント(意識の転換点)に集中すると、自我意識とハートがつながる。
⑤自我とハートの意識がつながったら、自我主導からハート主導に切り替わり、ハート主導で思考の思う(感覚的・直観的なイメージ能力、全体同時把握能力)働きを使って、本来、対になっているひとつの観念に関するハートの合一の認識を、直観的に受け取り、思考の考える(言語化能力、分析能力、部分的把握能力)働きを使って、言葉にして、自我がハートの合一の認識を、認識する。
⑥自我主導で思考を使って、どこに原因があるのかを探って、それに焦点を当てようとしても、どちらか一方を肯定(執着)して、他方を否定(判断)するという、形に囚われた認識しかできない自我には、疑いや恐れの原因になっているものが、本来、対になっているひとつの観念であると、同時にどちらもすべてでひとつであると、直接、認識できない。認識(分離)の壁にぶつかる。
だから、自我主導で思考を使って、どこに原因があるのかに焦点を当てようとしていると、認識の壁にぶるかるので、そこで、自我主導で思考を使うのをやめて、ハートとの分離の壁が外れたときに、ハートとつながり、ハート主導で思考を使って、ハートの合一の認識を、まず、思考の思う働き(イメージ能力)で直観的に受け取り、次に、思考の考える働き(言語化能力)で言葉にして、自我が認識の壁を超えて、ハートからの合一の認識を、認識し、気付くのです。これがひっくり返す、ということです。
つまり、自我だけでは、気付けない、わからないことも、自我とハートの分離(認識)の壁を外して、ハートとつながることによって、ハート主導で、自我も気付ける、わかる、ということなのです。
自我だけでは、形に囚われて、形作られた、記憶の中だけから探し出そうとするので、答えがでません。
だから、形に囚われない、形作られた記憶を超えた、実在である、ハートの主導であれば、自我も気付くこと、わかることができるのです。
本来は、実在(形を超えた、絶対的な無条件の愛)であるものを、自分の内のハートから、外に表現するためには、ある一定の枠(パーソナリティー、個性)に当てはめて、相対的に表現しないとできません。
内から外に表現する場合は、どうしても相対的となり、表現の限界があります。
外に相対的に表現されたものを、外だけ相対的に受け取ると、そのままでは、相対的な認識であり、絶対的な認識にはなりません。
外から相対的に受け取ったものを、自分の内のハートを通して、相対的にではなく、絶対的に受け取ればよいのです。
ですから、外から提示されたものを、自分で絶対的に認識するためには、まず形として受け取り、そして、次に、形(枠、分離の壁、認識の壁)を外して、ハートとの分離を解消し、自分の内のハートに、合一(実在)として、絶対的に認識させ、そのハートの合一の絶対的な認識を、今度は、自分自身の形(枠、パーソナリティー、個性)に当てはめ認識してから、表現するということなのです。
だから、自分の外からではなく、常に、自分の内のハートから来るものを受け取ってください、ということになるのです。
相対的(不完全)な認識、相対的(不完全)な表現を、ハートとつながって、絶対的(完全)な認識、ただ、今、ここに在るもの(=無条件の愛のエネルギー)として認識するのです。