どうやったらひっくり返せるのか?
「本当はどちらもありだったんだ。どちらも無条件に許容されていて、愛されていたんだ」と気付くことが、ひっくり返すということです。
①+愛ー愛=0(空) どちらか一方の条件付きの愛、分離の愛、有限の愛、形に囚われた愛。不完全な愛。 なぜなら、どちらか一方だけを選択する場合、他方を否定し、自分の方を肯定しているからです。例えそれが、+愛で、相対的な幸福感のエネルギーを拡大・増加する方向に作用したとしてもです。
② +愛=+愛 -愛がひっくり返って、+愛になった。ここで、どちらか一方ではなく、どちらも同時に、すべてがひとつとして無条件に愛されていたと気付く。
自我が0(空)の中で、+愛、-愛という対になっているひとつの観念に対して、一切の肯定も否定もしないとき、その観念に関する分離の壁が外れて、その観念を持っている自我意識がハートと繋がり、自我意識がハートから、その観念に関するハートの合一の認識を、思考の直観的な洞察により得て、+愛とー愛が分離していて、どちらか一方だけではなく、本当は、合一であり、どちらも同時に無条件に許容され愛されていたと、自我の認識として気が付く。これがひっくり返すということです。
③|+愛|=|-愛|=愛 絶対的な無条件の愛。どちらか一方ではなく、どちらも同時にすべてがひとつである愛。限界のない無限の愛、形に囚われていない、完全な愛。
④+愛ー愛=愛(=実在)となり、空の中に、その観念に関する、無条件の愛という解が現れる。
ある観念に関して、ハートと自我の分離が解消されて、ハートと自我が調和すれば、どちらが、どちらという区切り(=分離)、どちらか一方という条件付け(=形への囚われ)は必要なくなり、どちらも同時に調和して作用することが可能になるのです。
ある観念に関して、自我がハートを愛さない、つまり、ハートが常に絶えることなく、自我に示している無条件の愛を受け取らないから、自我は、ハートとの分離(=不調和)を解消して、合一(=調和)することができないのです。
つまり、無条件の愛は、常に絶えることなくハートから自我に無条件に示されていますから、自我がどちらか一方の形に囚われて、条件付けをせずに、どちらも同時にひとつとして受けて取れば成立するのです。
本当の愛は、どちらか一方ではなく、どちらも同時に、すべてを、ひとつとして受け取ることによって成立するのです。
だから、ハートは、自我が受け取り拒否しているものを、無理に押し付けることはしないのです。
自我が受け取るか、受け取らないか、それさえも、どちらも同時に、どちらもすべてが、ひとつとして許容しているのが、無条件の愛の性質です。
無条件の愛は、どちらか一方というような、一切の条件を付けずに、ただ、どちらも同時に、すべてがひとつとして示すのみですから、ハートからではなく、自我が形に囚われて、どちらか一方の条件に執着して、押し付けようとしたら、それは、形に囚われた条件付きの愛、分離の愛、相対的な愛、制限のある有限の愛、不完全な愛になってしまいます。
無条件の愛は、どちらか一方というような条件付けが一切ない、すべてがひとつの合一の愛、絶対的な愛、制限のない無限の愛、完全な愛なのです。
自我がある観念の一方の面に執着している、形に囚われているために、その観念の面に関して、自我とハートが分離を引き起こしている。
そのため、自我が執着(=肯定)している一方の面と対になる、もう一方の面を提示されたときに、自我が今、強くしがみついている観念の面を否定されないように、提示された観念の面の方を否定しようとする。
今、強くしがみついている観念の面を否定されると、自我自身の存在が、否定されなくなってしまうのではないかと、強い恐れを持つ。
つまり、自我の存在が危機にさらされてしまうのです。
その危機を回避するには、相手を否定し、攻撃するのではなく、自我がその強くしがみついている観念に関して、自我がハートとの分離を解消しなければなりません。
ハートは、その観念に関して、対になっているひとつの観念のそれぞれの面を、同時に合一として認識する。自我がその観念への執着や判断を一切せずに、その観念に関する分離の壁を外し、その観念に関して、ハートが持つ合一の認識を、思考の直観的洞察により受け取る。
対になっているひとつの観念のそれぞれの面を肯定も否定もせずに、どちらも同時にひとつとして受け入れる。つまり、自我がハートの無条件の愛を、そのままありのまま受け入れる。その観念に関して、自我が、肯定も否定もせずに、ハートとの分離を解消する。
これが、自我の存在の危機を回避して、ある観念の面をひっくり返す方法です。
自我が観念の一方の面に強くしがみついて、その面が自我の奥深くに潜在し、自我を根幹から支える、固定観念となっている場合があります。
その観念に関して、自我がハートから分離を引き起こしているので、その固定観念となっている観念の面と対になっている、観念の面を提示されると、強い疑いや恐れの感情が生じてきます。
その観念について、一切の判断や執着をしないことにより、その観念に関しての分離の壁が外れるので、ハートと繋がり、ハートがその観念に関して持っている合一の認識を、思考により、直観的な洞察として得て、肯定、否定しようとしていた、それぞれの観念の面が、同じひとつの観念の別々の面であったことに気付きます。
これが観念をひっくり返すということです。
どちらか一方という条件付けではなく、どちらも同時にひとつであり、すべてであるという、無条件の愛を、自我がハートから示されて、それを自我自らが受容して、変容するのです。ハートと分離する自我ではなく、ハートと調和して合一である自我に生まれ変わるのです。生まれ変わるだけであって、けして消してしまうことではないのです。
あなたのハートからの無条件の愛を、受け取り拒否している、あなたの自我に、あなたの外からではなく、あなた内側のハートから来る、無条件の愛を受け取らせてください。
あなたのハートで、あなたの自我を無条件に愛してください。
それが、どちらか一方という条件付きではなく、ただ、どちらも同時に、すべてがひとつとしてただ示し、受け取る、本当の愛だからです。
疑問という名の気付きの原動力である、思考のエネルギーに、いつも感謝しています。