なぜ、疑い、あるいは、恐れを持ったときが、その観念をひっくり返すチャンスなのか?
ある観念について、何の判断も執着もしなくなったとき、0ポイントにおいて、自我からハート(=本当の自分の生きた心=実在=真我)に意識が切り替わります。
ある観念をひっくり返すとは、本来、ネガ・ポジで対になっているひとつの観念を、形に囚われて、別々に分離しているものという自我の認識、形への囚われを解消し、ハートが空から飛翔して、その観念の源となっていた、実在のエネルギーである無条件の愛と融合することです。
観念をひっくり返す場合、どんな観念をひっくり返すのかに、焦点を当てておかないと、なんだかよくわからないものをひっくり返すことはできません。
もし、ひっくり返そうとする、ある観念に焦点を当てておかないままに、0ポイント(=静寂=意識、エネルギー、観念の転換点)に入ると、ただ空という観念を自我が認識します。
空とは、「形がある・形がない」という、創造の源からの分離の根幹をなす、重要な観念です。そこからすべての分離が始まっています。
空において、自我意識は、形がないと否定(=判断)し、形があると肯定(=執着)しています。つまり、ひとつの観念の「形がある」という面を肯定(=執着)しているために、同じひとつの観念の「形がない」という面を否定(=判断)しているのです。
これが自我意識の認識の限界です。自我意識は、形に囚われているために、認識において、分離したままで、同じひとつの観念として、同時に認識することができないのです。
あるひとつの観念の、対になっている、一方の面を提示されたときに、疑い(または恐れ)を持つということは、その提示された一方の面を否定(=判断)しようとしていますから、自我意識が、肯定(=執着)しているもうひとつの面があるということです。
だからこそ、疑い(または恐れ)を持ったときは、それに気付いて、ひっくり返すチャンスなのです。