目標を人に宣言するとよい

やらざるを得ない状況をつくる

常に目標を人に言うことでプレッシャーをかけ

自己暗示をかける


という話を良く聞く


俺の場合はこれには少し疑問を感じる

確かに有効な面は多くあるし

口に出すことで後に引けなくなるからそれは力になる

口に出すことで応援してくれる人が現れるかもしれない

メリットは多くあると思う


でも人に宣言しないことも大きな力になると思う

俺はどちらかというと目標は人に言わない


特に自分が定めた攻撃目標については人に言わない

自分が一点に定めた目標であるなら言う必要はないと思う

「黙ってやれ」

そんな感覚だ


どうしても目標を人にいうことのデメリットを感じてしまうし

人に宣言することでふっとパワーダウンしてしまうような感じがする



目標に対しては「やりたいからやる」という遊びの部分を残しておきたい

人に言ったから「やらなければならない」という義務ではなく

「やりたいからやっている」という自分自身の意思と選択を感じていたい


人に宣言するから自分にプレッシャーをかける

というのも腑に落ちない

自分に対して甘いんじゃないのか

宣言するのは自分だけで十分だろう

自分が自分に対してかけるプレッシャー

目標に対する行動が伴わなかったとき

一番落胆するのは周りではなく自分自身だろう


世の中で一番裏切ってはいけない存在

自分自身

そのプレッシャーよりも大きいものがあるのだろうか


周りに宣言することで作り出したモチベーションは長持ちするのか

それよりも自分自身で作り出して行くほうが無限なのではないか

目標に向かっている行動を

「ねばならない」という義務に帰属するのか

「やりたいからやっている」という意思に帰属するのかは

大きな違いがある

「ねばならない」への帰属はストレスを生む

「やりたいからやっている」への帰属は肯定的な勘違いを引き起こす


肯定的な勘違いとは脳の勘違いである

脳は楽へと流れる傾向にある

目標へ向かう行動はこれと逆行するものである

脳の仕組みを目標というツールを使ってコントロールするのである


とすると

本来の仕組みと反対の行動をとることに脳は混乱する

「なぜこんなことをしているのか?」という理由を探す

そのときに「やりたい」という意思に原因の所在を見つけると

原因自身を自らの脳で作り出していることになる

これは非常に不安定な状態である

そのため脳は認知を変え安定状態にする

つまり目標に向かうことが「快」であるように認知を変えてしまう

そうするとどうなるか

目標へ向かうこと自体が快感となり強力な追い風を得られる


逆に「ねばならない」の場合はどうか

脳は「やりたい」ときと別の認知変容を行なう

「ねばならない」は原因の所在が外にある

そのため外の認知を変えようとする

様々な方法が取られるだろう

目標をあきらめる言い訳をつくりそれを人に宣言する

同じように目標をあきらめた人間をまわりに置こうとする

目標を宣言した人間と疎遠になる

目標を達成できないことが正当化される環境を作り出す

など

どんな手段をつかってでも安定状態を目指す

目標へ向かうことへの強力な向かい風が生じる


もちろん全てのケースでこうなるわけではない

ただ自分が定めた攻撃目標は人に言わない

「目標に愛をもつ」

ある人はこんなことを言っていた

つまり「達成したい」という愛情を持っていなければならない

ということである


逆に達成したら人に言うというようにすればいいのだ

そうすうると早く言いたいから更なる加速になる


本当の目標は人に言わない

自分と目標の2人の世界


愛だね~



本物の愛とは厳しさを伴うものである


一見利己的に見えることが本物の利他だったりする

それは今見えている現実ではなく

一つ上の視点にたって

これから訪れる現実を見て

判断し選択する厳しさ

それは本物の責任感と覚悟である



こんな話を聞いた


両親と3人の子どもの家族がいたとする

家には食料がほとんどない

残り一人分となったとき

誰が食べるのか


親は子どもに譲る?

子どもは親に譲る?それとも自分が?

5等分する?それとも子どもが3等分?

親が2等分?


選択肢は色々ある

しかし今上げた選択肢はどれも「ノー」である


本物の愛からくる選択とは何か


それは

「父親が全部食べる」

である


なぜか


父親は全て食べる

そして外へ行き食料を持って帰ってくる


全部食べるという行為は利己的な行為ではない

どんなことがあろうと必ず家族を守る

なんとしても食料をもって帰ってくる

という決意と責任感である

それを担えるのは一家の長である父親だ


それが本当の愛

厳しいが現実を伴う愛である


5等分して共倒れするのは精神的な愛

食料を持って帰ってくる能力が不足している子どもに分けるのも精神的な愛

自己満足である

しかしその自己満足の愛によって全員命を失う

それが本当の愛と呼べるのか



本当の愛があれば

どんなことがあろうと家族を守るという選択に

希望をつなげる


一番可能性が高いのは何か

これから訪れる現実を見て判断する

本物の愛とは厳しさを伴うものである

義務ともいうべき責任を伴うものである

行為そのものではなく

どこを見て判断しているかということである



この話を聞いたとき衝撃だった

安易な利他はときに全てを失う

自分の浅さに気付かされた

今の成長が愛につながるように


やがて守らなければならない人が出来たとき

守れる力を

成長は愛



世のため

人の為に

貢献

無償の愛


どれも頭では理解できるけど

行動にまでいたらない


自分のため

自分の成長

もっとよくなりたい

そういう思いの方が俺を動かす


人の為に動く

人の喜ぶ顔が見たい


そういったことは頭では分かる

もちろん人に喜んでももらうことをしたり

感謝の言葉をもらったりすることもある


その時はもちろん嬉しいし

人に尽くすのは素晴らしいことだと思う


自分のためより人の為にすることのほうが力がでる

そのこともわかってきた



でも心の底から

全てのことに感謝

人の為に尽くす

人の役に立ちたい

と思えていないのに

そういった行為をすることは結局は自分のための範疇の中にある


人の役に立つことをすると

見返りを求めてしまう

これじゃあ利他の心とはいえない


利他を装った利己

どうしてもそこから抜け出せない



ある人がこういっていた

若いくせに変に物分かりがよく

「感謝の心を大切にしています」

なんて言う人をみると皮肉の一つも言ってやりたくなる

そんな風に小さくまっちゃいけない

そんな若いうちに「人の為」なんていっていると

人と為がひとつになって「偽」のように見えるよ


感謝とは正反対の道を歩んでしまった人の方が

感謝能力が高い

とも言っている


今俺ができる感謝や

人の為なんてたかがしれている


もっともっと俺は自分を伸ばす

それが自分のためであり人の為

今の俺ができることなんて小さすぎる

そんなんで人を支えようとしても共倒れだ


今はまだ小さくまとまらなくてもいい

今は自分の力を伸ばすことに挑戦する

その挑戦がいつか人の為になることを信じる


今この想いをもっていれば

将来必ず人に貢献したい

という領域にいたるはず


その時に貢献の力を最大にするためにも

今は人の為より自分の為


そう考えての自分の為だったら

中途半端にはできない

徹底的に伸ばす


将来人の役に立てる人間になるために

もっともっともっと成長したい