My life is my message


私の生き方は私のメッセージである


俺が大好きな言葉



人は誰もがメッセンジャーだと思う

この世に生まれてきた意味は

メッセージを伝えるためであると言ってもいいかもしれない


自分の身に起こる様々な出来事

良いことも悪いことも

メッセージを研磨するために起きている


決して自分だけで完結するものではない

自分のメッセージを他の人々に伝えて行くことが

人生である


もしかしたらひとりの人が発するメッセージは

受け手によって変わるかもしれない

でもその受け取り方によって別の人のメッセージが磨かれて行く

メッセージとは言葉でああだこうだって伝えるものではない

その人自身のあり方、生き方で「伝わる」ものである


それは言葉を超えて他の人々に影響を及ぼして行く

頭で理解するものではなく心に響くものである


幼くして不慮の事故でなくなってしまう子どものニュースがやっていた

親は深い悲しみにくれ一生その出来事と向き合って行かなければならなくなる

悲しいニュースだ

しかしこれはその子どもが残したメッセージである

自分の命を賭して伝えたメッセージなのだ


子どもが生きていることが普通になっている人

子どもを虐待すらしてしまう人に対して

「生きているだけでどれだけ幸せであるか」を残された人々に伝えていって欲しい

そういうメッセージなのかもしれない


残された人の活動により

救われる命があるかもしれない

残された人が伝道師となることにより

何かが変わるかもしれない


残された家族にとってもそんな事故が起きなければ考えもしなかったようなこと思うようになる

そのことによって実は救われて行くのかもしれない

心に響く強烈なメッセージである



もちろんメッセージとは死と共に伝えるばかりではない

生きている間に自分のメッセージを見つけ

それを本気で伝えて行く人たちも多くいるだろう


メッセージを本気で伝えることを通して生き方を形成し他の人に良い影響を与えて行く


メッセージの本質とはどうしても伝えたいという想いなのだ

それは意識される場合もあるし意識されない場合もある


でも全ての人はメッセージに気付きそれを本気で伝えて行くことができる存在だ

その人にしか伝えられないメッセージがある

その人でしか伝わらないメッセージがある


自分の存在をかけてどうしても目の前の人たちに伝えていきたいという強い想い

それが想いが言葉に乗り態度となり熱を持ち相手に入っていく


全ての人はメッセンジャーである

俺のメッセージはなんなんだろうか

俺が

どうしても

何が何でも

伝えたいメッセージとはなんだろう


今はまだ見つかっていない

考えてわかるものでもない

でも答えが自分の中にあるように

メッセージも自分の中にある


これからどんなことが起こるかわからないが

それはメッセージを研磨していくものである


そして日々どんな生き方をしていくのか

どのような自分であるのかが

メッセージを形成して行く


俺のメッセージはまだない

しかしいずれ見つけ出す

そして縁のある人たちに本気で伝えて行く人生を歩んで生きたい




なんでも出来るようになりたい

オールマイティになりたい

なにか一つ特化しているものではなくて

どこをとっても優れている


そんな高いバランスにあこがれる

一長一短ではなく全て長


実際にはそんなことはありえないが

トータルバランスへの憧れは強い


例えば野球

ホームランはものすごく打てるけど

守備は下手で足が遅い選手より

足は早いし守備もうまい

打ってもアベレージを残すしタイミングが合えばスタンドまで運ぶ

そんな選手に強くあこがれる


勉強なら

理系が得意で将来科学者になる

とかよりも

国語も理科も社会も数学も英語もできる

文型も理系も関係ない

全てが得意科目

そんな状態を目指してやったし

実際にそうしてた



自分自身を会社に見立てる考え方がある

株式会社 自分 のような考え方

そう考えると俺はなんでもできるようになりたくなってしまう

営業、企画、マーケティング、経理、経営、商品開発などなど

なんでもできる存在になりたくなる

自分という会社のすべての部署が高いパフォーマンスが実現できるような

そんな状態を目指してしまう


当然やることが膨大になる

でもひとりでこなしたい


この思いが俺を大きくしてくれるけど

この想いは頭打ちを迎える


ひとりでできることなんてたかがしれている


頭で分かっているけどできない

それぞれ得意不得意がある

専門分野がある

お互いに補完しあえば良い


しかし俺はそこで

補完は弱さを生むと考えてしまう


自分のできない分野を人に任せてしまうとき

自分のコントロールを失ってしまう

その人がいなくなったら困る状態ができてしまう


コントロールがない状態は弱い


だったら自分が全部出来ればいい


そんな風に考えてしまう


でもこの考え方はそれ自体が弱い

つまるところ

人を信用できない

ということ


そして人に信頼される自信がない

ということ

人に信頼されうる人格を持ち合わせていない

ということ


あまりに弱い


俺がやりたいことを実現するためには

ひとりではできない

ひとりでどの分野もトップにする

そんな集団だったら

小さい自分の器の中で終わってしまう



最近思うのは


みんなで足して「1」になればいいってこと

俺がひとりで「1」にならなくても

俺がひとりで「0.9」とかにならなくても

もしひとりひとりが「0.01」だったら

100人集めればいい

100人たしても「0.9」にしかならならかったら

残り「0.1」を補える人と知り合い

友になり仲間になってもらえばいい


もしだれかが抜けても

それを補える人が新たに加われば「1」になる

その人に合った

その人が生きる分野がある

それを実現していけばいい


人が集まってくれるような人格になればいい

人を信頼すればいい

人に信頼されるようなあり方でいればいい


ひとりで「1」の人も

ずば抜けていて天才的な能力の持ち主かもしれないけど

何人だろうと

ようは足して「1」になってればいい

俺のムラは「1」の状態を作りたい

最終的には全部がそこでまかなえる


移動手段も通信手段もまだ何もかも未発達だった大昔の時代

集落では必要なもの全てをそこにいる人たちでまかなっていたはず

今みたいにお金を出せばものがかえるわけでもない

欲しいもの必要なものは作るしかない

誰が?

手先が器用な奴がやるのが一番

そういうことが好きな人が一番

子どもに教育をする

でも先生もいない

そしたらみんなが先生になるし

その中で頭が切れるやつがみんなを集めて教える

それが学校の自然な姿


こんな風にみんなで協力して「1」になる

そんな古き良き時代を感じながら

一体感を味わいたい



人生の師というべき人をメンターという


俺にはメンターというべき人はいない

尊敬する人なら何人もいるが

メンターとは違う


メンターとは

この人の言う事ならひとまず従ってみよう

困ったらこの人にアドバイスを求めよう

というように精神的な面で絶対的服従をしてしまうような

カリスマ的存在

そんな風に考えている


一時期メンターが欲しいと思った

もちろん今でも欲しいが・・

職場や自分の周りでメンターと呼べるような絶対的な存在がいない

それが歯がゆかった

成功者の本を読んだりしていると

決まってメンターの存在があって

メンターの一言がすごい大きな影響力を持っていたりする


俺にもメンターさえ居れば

そんな風に考えたりもしていた


でも結局

おれがメンターが欲しい理由って

楽をしたいから

それだけだと思う

さらには

自分の弱いところをかばって欲しい

それくらいだ


こんな自分ならメンターなんていないほうがいい

自分の弱さにつながってしまう

だからメンターがいないままの環境にしてもらっているのかもしれない


逆にメンターがいなかったから

自分で学ぼうとする意志ができた


さらにはメンターがいなくても

学びの種なんて回りにいくらでもある


俺の関わり方に問題があるのだろうけど

今まで同じ会社のなかで

「この人みたいになりたい」なんて思う理想の人なんていなかった

でもだから学びの種がないわけじゃない


俺が恵まれているのは

今の職場で自分よりも年下のアルバイトの人たちが

俺への学びの種をまいてくれること


上へ上へと思うとついつい足元が疎かになるけど

足元に学びの種があったりする


俺は教育に向いていない

断言できる

人のためになにかやる

という意識が明らかに弱い

それは今までの環境や選択がそうだったから仕方がない

これから学んでいくしかない

それをアルバイトの大学生からたくさん学ばせてもらった


なんでそんな生徒のために働けるんだろう

これが利他の行動というものなのか

人のために働くという基本スタンスが

俺よりもはるかに優れている

そしてその職務を全うするという責任感

俺なんかめんどくさがりだから適当にやってしまいたtくなるけど

それが利己の限界なんだろう

利他の心でやるとこういう働き方になるのか

と大いに学ばせてもらった


それだけじゃない

教育に対する尋常じゃない熱い思いをもっている人がいたり

一回の授業で生徒と高い信頼関係を築いてしまう高いコミュニケーション力をもっていたり

俺なんかよりも全然影響力があった

これがマンパワーの違いなのかと

愕然とするほどだった

会社の人たちには感じない

本物の想い、能力を見させてもらった


何度も辞めたいと思った

もういいや

めんどくさい

世界一周行くんだし

こんなこと考えて仕事していたり

最初の熱い想いがすっかり見せられなくなっていたとき

支えてくれたのは

会社の人ではなくてアルバイトだった


最初の頃の熱さがなくなっている

自分達のことを心から信頼してくれていないのでは

もっと生徒のためになるためにはこうしよう、ああしよう


全部俺に言ってくれた言葉だ

言いにくかっただろうしあえて言わなくてもよかったのに

わざわざ言ってくれた

こんな俺でも信頼してくれていた


この人たちに会っていなかったら

もう辞めているかもしれない

もっと適当な働き方になっていたかもしれない

気付かなかったことが多かったかもしれない

アルバイトに対して不平不満人間になっていたかもしれない


たまたま来てくれた人たちだけど

またまた俺は恵まれていた

なんでこんな恵まれているんだろう


学びの種はまわりを見渡せば必ずある

最初思っていたのとは違う形かもしれないけど

その種を大事に育てればいつか実になる


俺は教育に向いていない

だからこそこの業界には

自分と全然違う価値観の人たちが集まってくる

普通に生活していたらかかわらないような人たちと会えた


俺は利他の心が弱い

そんな俺に利他の心を教えてくれた

役職じゃなく想いなんだ

立場じゃなくあり方なんだ

年齢ではなく働く姿勢だ


この学びの種は

将来大きな実を結ぶように大切に育てたい