一枚の写真がある


そこには守りたいものが詰まっている



今年おばあちゃんの米寿があった


父方の母なので父の兄弟2人とその家族が集まった


小学生のとき長期の休みには必ず家にとまりにきて遊んでた

たまらなく楽しかった思い出とみんなが帰るときにものすごく寂しかった記憶がある


そして次の休みまでが長くて長くて待ちきれなかった



でも学年があがると集まることもだんだん減っていった


それが普通だと思っていた


みなそれぞれの道を歩んでいて

今ではみんな働いている



今年おばあちゃんの米寿のお祝いということで何年ぶりかにみんなが集まった


家の親も歳をとった


おじさんおばさんも歳をとって


おばあちゃんは昔よりもだいぶ小さくなった気がした


従兄弟たちは仕事をしている人もいれば

仕事をしていない人もいて


都会に住んでいる人もいれば

田舎に住んでいる人もいて


姉ちゃんには旦那さんがいて

新たにメンバーが増えた


姉ちゃんには子どもが2人いて

メンバーが増えた



片田舎の小さなお店で

田舎にしては豪華なご飯を食べて

久しぶりに会う親戚と微妙な距離感で酒を酌み交わす


あたりさわりのない会話で

近況を報告しあう


特に夢に燃えている人がいるわけでもなく

特別な才能を持っている人もいなそう


本当に普通の家族が4つ集まったという集まりだった



最高に幸せを感じてしまった


父親は男3兄弟で全員真っ白の頭をしている

3人とも釣りが大好きでその日も釣りの話を夢中でしていた

みんな呆れていた


最高にカッコ良い親父たちだなって思った


みんな普通の人生を生きている

みんな生きている

これだけの人数がいたらそれだけで幸せだと思った


特別不幸なことが起きている人もいないし

みんな順調に歩んでいる


すごい幸運だ


お祝いをしているとき

ふつふつと幸福感が湧き上がってきた


そのときの光景がいまだに焼きついている


守りたいってなぜか思った



この中で誰かが不幸な人生を歩んだら

すごい悪影響を与えてしまう


だから自分は間違った人生は歩んではいけないと

強く思った



この中で誰かが成功すればみんなを守れる

なぜかそう思った


誰か一人でいい

苦しいときに助けれられる力があれば

みんなが救われる


その一人になりたいと思った


自分のルーツを守れる人間に

自分の家族を守れる人間に

自分の親戚を守れる人間に

あの日の絵を守れる人間に


そんな人間になりたいと思った


人をどういうふうに見るのか


自分にとっては多分一生かけて解決する問題だと思う



人を人としてみる


当たり前のことかもしれないけどこれが本当に難しい



こまとしてみたり道具としてみたり物としてみたり


障害物としてみたり問題の元凶としてみたり


そもそも目に入ってなかったり



自分の人の見方ってこんなもんだと思う



それじゃいけないこともわかっている


自分が生きたい人生を考えたとき


人を人として認めていかなければうまくいかない



頭でわかっているけど出来ない


目の前にいる人を見てあげられない


自分も見てもらおうとしない



「箱」の中から人を見ている



これは変えられないんじゃないか


と思うくらい変えるのが困難



ただ家族だったり友達だったり仲間だったりは「人」として見れる


その人の人生に興味もある


自分を見せようとする


認めたいし認められたい



こんな線引きをしてしまっていることにすら嫌悪感を感じる



ただなぜか将来は人を認められる男になれる気がする


そういう男になるものだと思い込んでいる


この葛藤がいつか笑い話になると思う



世界一周まであと100日


大親友2人と行く


もちろん世界の各地を旅したいっていう想いもあるけど


もう1つの狙いがある


親友2人とずっと過ごすということは


人を認めるモードにずっと入っているということ


人を認めるモードで出会った人は自然と認められる


自然と認められる経験をつめば人を人として見れる男になる


という狙い



伸びきったゴムをイメージしている


普通のゴムだと頑張って伸ばしてももとに戻ってしまう


でも2年も伸ばし続けたら伸びきって元に戻らなくなる


そういう状態をイメージしている



今はまだ出来ないけど


人を人として見れていないことに気付くことができている


そしてそれを克服する環境を整えた


どうすれば良いのかの知識も蓄えた


長い人生で乗り越えなければならない壁


脱出しなければいけない箱


もうすぐ出られると思うとワクワクしてくる


箱を出たときどんな新しい自分と出会えるだろうか


そして過去の自分に感謝できるようになりたい


人を人として見れなくてありがとう 


おかげでこんなに成長できました と



正しいことをすることが必ずしも正しいことではない



例えば人の話を心から傾聴する


これは一見「正しいこと」


話を聴いていくれる相手には安心・信頼を寄せやすい


また人の話を聴けるのはその人の器の大きさである



しかし人の話をいくら熱心に聴いていてもなかなか相手に信頼されない


熱心に聴いているのに相談されない


こういうことが起きる


それは「正しくないこと」をしてしまっているから


話を聴くという動作のメッセージと


「早く話せよ。」


「どうせ○○なんでしょ。」


「そんなのこうすればいいんだよ。常識じゃん」


という心の中でのメッセージ



ダブルメッセージが生じるとき


正しいことは正しいこととは限らなくなる



なぜダブルメッセージが生じるのか


それはその人の「立ち位置」が決める


ダブルメッセージが生じてしまう立ち位置とは



「自分が正しい」という立ち位置


自分が正しいという立ち位置は人を変えようとする


自分が正しいという立ち位置は人は変えられると錯覚を起こす



自分が正しいという位置に立って


正しい行動を行なうとズレが生じる


そのズレがダブルメッセージを生む


人の話に傾聴するという動作をしながら

人を変えようとしてしまう



他人と過去は変えられない


その人はその人の正しさがある


それを素直に知る

違いを尊重する

励ます

支援する


その立ち位置に立って傾聴するとどうだろうか


あっという間に「正しいこと」にかわる



「正しさ」とは行動ではない

「正しさ」とはテクニックではない



「正しさ」とは「あり方」

その人自身でしかない


気付かせていただきありがとうございました